Spring Valley Brewery Talk Session

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先月、東京・代官山にあるスプリングバレーブルワリー東京で、日本のクラフトビール業界の重要人物を迎えたディスカッションパネルが開催され、本イベントの映像が最近スプリングバレーブルワリーにより公開された(映像はこちら: https://www.youtube.com/watch?v=MT5O2kCLtoQ)。

本イベントに関する本誌シニアライター・熊谷ジンヤの考察は以下の通り。

2015年4月10日、1週間後にオープンを控えている東京・代官山のスプリングバレーブルワリーにて、興味深いトークイベントがなされた。

登壇者は五十音順に、青木辰男(麦酒倶楽部ポパイオーナー)、朝霧重治(コエドブルワリーの協同商事代表取締役社長)、小田良司(日本地ビール協会(クラフトビアアソシエーション)会長)、木内敏之(木内酒造取締役)、田山智広(スプリングバレーブルワリー シニアマスターブリュワー)、チャック・ハーン(豪モルトショベルブルワリー マスターブルワー)、ブライアン・ベアード(ベアードブルーイングブルーマスター兼代表パートナー)。またファシリテーターは藤原ヒロユキ(日本ビアジャーナリスト協会会長)が務めた。

話題はさまざまに及んだが、筆者が特に興味深いと思ったのは「クラフトビールと地ビールという言葉について」「酒税について」「和食とビールについて」の3点だった。

1.「クラフトビール」「地ビール」という言葉について



小田 日本で地ビールが生まれたのは1995年。そのころ米国では、「クラフトビール」ではなく、「Brewpub and microbrew beer」という呼び方をしていた。一方、世界的なビアライターであるマイケル・ジャクソンは「New generation brewery(によるビール)」と呼んでいた。

ハーン オーストラリアで自分の小規模ブルワリーを立ち上げた1980年代後半、同じような小規模のところは20社ほどあり、「クラフト」でも「マイクロ」でもなく「ブティックビール」と呼ばれていた。

ベアード 創業以来「マイクロ」ではなく「クラフト」という言葉を使い続けてきた。「クラフト」であるかどうかは規模ではなく、愛情や心による。「地ビール」という言葉はもともと好きだった。地元で生産し、地元で愛飲してもらい、地元の支援を得て少しずつ外に出ていく――。これは素晴らしい在り方です。

朝霧 残念ながら「地ビール」という言葉を一度否定せざるを得なかった。「埼玉の川越でつくっています」と言うとすごくバカにされたことがあった。「サツマイモを使っているんだから、そちらのビールは全部イモでできているんでしょ」とも……。「クラフトビール」の一番の根っこは地域に根差していること。だから「地ビール」から「クラフトビール」に行き、そして今もう一度「地ビール」に戻ってきて、「顔が見えるものづくり」「丁寧なビールづくり」といったことが地域に根差していることとともに注目されているのではないか。これは英国やドイツ、ベルギーなどのビール伝統国と同じ。

弊誌2015年冬号春号でクラフトビールという言葉に関する記事を掲載したが、その言葉の意味を考えることは重要である。もちろん、あるビールがクラフトビールであるか否かどうかと、そのビールに飲む価値があるかどうかという判断は、同じではない。大手メーカーによる大量生産品には質的に優れたものが多いし、逆に残念ながら、小規模生産で愛すべき存在でありつつも、品質に問題のあるビールをつくっているところもある。

「ビールは美味しければ何でもよい」という主張と「クラフトビールか否かを区別すること」は、論理的に独立していて、一方をこなせば他方はこなさなくてよいという関係にない。前者を理由にして後者を考えないでいるのは一種の思考停止だし、危険だ。「ビールはビール。区別しないでただ楽しもう」となると、大手メーカーによる画一的な銘柄に集約されていくのは、明治から昭和にかけてこの国で実際に起きたことである。今こそ議論を深めるときだろう。議論によって得られる知的なたくましさは、トレンドの宿命である浮き沈みの「沈み」のときに耐え忍ぶ力となるし、広めていく方法や言葉を考えていく上での基礎にもなる。

2.酒税について



青木 地ビール解禁前までは戦前からずっと、メーカーは守られてきて、個人が参入できない業界だった。酒税法はそれでも今の時代に合わない法律。ビールに対する酒税は高すぎる。田山さんにお願いしたいのは、クラフトビールに参入してきたのであれば、我々に近づいてきて、小さなブルワリーやブルーパブが独立していけるような世の中にすることに力を貸してほしいということです。

ハーン 「クラフトビールに対する税の不正な徴収」について話すべきことはたくさんある。私もこれまで20年間、オーストラリアで酒税について戦ってきた。米国では30、40年間戦いがあり、その結果少し進展が得られている。まず、課税はアルコール度数に応じているわけではなく、一定より小さい規模のブルワリーは、それより大きな規模のブルワリーの半分の税率しか課されない。

青木氏が言わんとしているのは、個人が参入できるほどの酒税の減税である。その上で重要になるのがやはりロビー活動(個人や団体が政治的影響を及ぼすことを目的として行う活動)だ。日本という国のシステムにおいて、法改正以外に減税の道はなく、法改正について具体的に取り組もうとしない減税論は空論である。

大手メーカーは「クラフトビール」について、それまでは自ら含まれることはなかったにもかかわらず、その意味を示したり再設定したりすることなしに、この市場に参入してきた。弊誌2015年冬号の記事「クラフトビールは死んだ?」でも指摘したように、大手メーカーの参入によって市場全体を大きくして各社にとってチャンスが広がるかもしれないし、小規模ブルワリーのチャンスが奪われることになるかもしれない。しかし責任を担うことが期待されている仕事がある。それが減税のためのロビー活動という戦いに参加することだ。いやむしろ、製造や営業などほとんどのリソースの面で優れているのだから、戦いを主導していくべきなのかもしれない。これを果たすことにより、前述の「クラフトビールの意味を示さないまま市場に参入してきたこと」を補って余りあるほどの尊敬を受けるだろう。

木内 (現状の)酒税法は守るべき。守ったなかで何ができるのか、日本の風土や原料を生かして何ができるのかを探ることで、日本独自のカルチャーがつくれると思っている。

この話を聞いて思い出すのはもちろんギネスだ。ギネスはアイルランド発祥のスタウトで、当初はイギリスで流行していたポーターをつくろうとしたが、英国から麦芽に高い関税が課せられたために頓挫。そこで考案したのが、麦芽を製麦せずに(麦芽にせずに)焦がしたローストバーレイを用いてつくることだった。これが今日、世界中で飲まれているドライスタウトの基本設計となった。制約があった方が結果的に面白いものが生まれることがあるのは、例えば手に汗握るスポーツの試合や、仕事上で上司に何度も突っ返されて何度も直した素晴らしい企画書を見ても分かるだろう。

3.和食とビール



朝霧 原料も重要だが、それだけが日本的なものを表すわけではないと思う。日本人が培ってきた繊細で素材の良さを丁寧に引き出していく和食の世界を、(ビールづくりでも)期待されているところがあるのではないか。

田山 世界で注目されている和食と合わせられる、日本オリジナルのビールをつくっていきたい。

和食は魚介類、海藻、キノコなどさまざまな材料から得られるダシを多用し、それらを掛け合わせることも珍しくない。ダシにはうま味成分が豊富に含まれている。筆者も普及活動を進めている「ビールと料理のマリアージュ」では、味や香りを分解し、それらを掛け合わせることにより、単体では出て来なかった「第3の味わい」を引き出すことを目的にしている。この法則のなかに、「苦味はうま味を強くするほかの味の一つ」ということがある。苦味はもちろん、ビールの飲み物としての最大の特徴だ。これらお互いの最大の特徴でもって、ビールと和食は大きな効果を生み出せる組み合わせと言える。世界で尊敬を集めている和食とうまく手を組むことにより、日本のビールは独自の地位を築くことができると信じている。

最後に、聴衆からの質問で興味深いことが起きた。

質問者 スーパーマーケットでクラフトビールとしてバドワイザーとハイネケンが扱われていた…。

質問としてはまだ続くが、ここでほかの聴衆から大きな笑いが起きた。意味するところはもちろん、「バドワイザーやハイネケンがクラフトビールだなんて、バカげている」といったところだろう。つまりこれは自ずと「クラフトビールの範囲」が意識されているということである。ただしその境界線(つまり定義)は、少なくともここ日本ではまだはっきりしていない。やはりクラフトビールの定義は議論をすべき対象である。さもないと、これら二つのビールがクラフトビールと当然のように言われるようになるときが、遠からずやってくるかもしれない。

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