Coedo

コエドビールは地元の農産物を積極的に使って製造されているが、その製品は世界的な評価を受けている。優れたレシピと醸造技師の技術の高さだけで世界的な評価は得られるものではない。高品質のビール造りには醸造技師の優れた判断力、そしてその判断力を伸ばすリーダーシップもトップには要求される。そういう意味でコエドのCEOである朝霧重治の功績は計り知れない。

朝霧は大変若くしてCEOという重責を担っているのだが、彼の若さみなぎるエネルギーと優れた国際感覚を見ればコエドの今日の成功がまぐれではないことが分かる。流暢な英語で朝霧は“I’m a producer, not a brewer”(私は云わばプロデューサーであり、醸造技師ではありません)と言った。また、彼はマーケティング能力にも長けている。一方、日本のクラフトビア産業はヨーロッパやアメリカと比べればまだまだ成熟していないと言わざるを得ないものの、コエドが高品質のクラフトビアを市場に送り出して人々のクラフトビアに対する関心を高め、日本のクラフトビア産業の成長に大きく寄与していることには感謝しなければならないだろう。

コエドは1996年に創業したが、それはちょっとした思い付きから始まったという。それまでは農業関連の会社として野菜を専門に扱っていた。「農業とビールの密接な関係は誰でも分かりますよね。ビールの原料は農業なくしてはあり得ません。ワインも同様です。そこで、我が社が当時すでに取り扱っていた品質の良い農産物を原料としてビール造りに取り組んでみようというアイデアが出たのです」と朝霧がビール造りに至った経緯を話してくれた。川越産の金時薩摩芋を使うこともアイデアの一つだった。

江戸時代から高カロリーの野菜としてこの地域で重宝されてきた薩摩芋だが、昨今は消費者が野菜を買い求める際、、大きさが規格外のものは敬遠される傾向にある。焼酎メーカーから発想を得て、コエドはそういった規格外の薩摩芋を利用してビールを造ることを考えたという。

「初めの頃は果たして薩摩芋がビールの原料になり得るのかもわかりませんでしたが、社内にバイオテクノロジーとプロセスエンジニアリングの分野で博士号を取得している者がいて、その社員の話では理論上可能だということでした。酵母はその活動に糖類の存在が必要ですが、都合のいいことに薩摩芋はデンプン(多糖類)を豊富に含んでいます。あとはある種の酵素を加えてやるだけでオーケーでした」。

原料に薩摩芋を使うということで、税務署は同社にビール製造のライセンスではなく発泡酒のライセンスを認めた。税務署はその際同社に、ビール文化とその商業的側面についてもよく勉強しておくようにと注文を付けたという。そしてコエドは1996年に薩摩芋ラガーを発売したが、これは現在コエドが造っている「紅赤」の原型となったものの、その中身はかなり違うものだった。

「その後は試行錯誤が続きました。焼き芋を使ってみてはどうかとか、芋を煮てみてはどうかとか、裏ごしを使ってみようとか、色々なことを試した結果、やっと納得のいくレシピが完成しました。それが紅赤でした」。

地ビールブームに乗って1997年に会社は大きく売り上げを伸ばし、ついにビール製造のライセンスも取得。さらにドイツ人の醸造技師も採用し、この技師は5年の在職期間中、他の醸造士たちに対する教育的な役割を果たしたという。「ドイツにはビール純粋令というものがあるので、薩摩芋を使った紅赤について彼は公然とは好きだと言いにくかったようですが、実際には結構気に入っていたようです」と朝霧が笑いながら話してくれた。

しかし地ビールブームも長くは続かず、コエドの業績も頭打ちになった。「景気の悪化に対応し、別の発泡酒を造って130円で売り出しましたが、これはうまくいきませんでした」と朝霧は明かす。

その後朝霧は2003年に副社長に就任し、ビール造りを初めてビジネスとして見る立場になった。「それ以前は会社がうまくいっていないとは思っていませんでした。会社としての考え方は間違っていなかったと思いますし、技術的にも問題はなかったと思いますが、やり方に問題があったようです。そこで私はブランドの再構築を決意し、商品のデザインと販売方法について再検討に取り掛かりました。また、我が社のビールを地元の単なるお土産品として考えてはいけない、ということを従業員に意識付けしました。あとは継続は力なり、ということで頑張りました。そして2005年の4月、新しい顔でコエドビールは再出発を果たしました。もっと日本人の味覚に合うようなビールを造ることを目指し、理念も商品も一新です。色にちなんだ商品名をということで、日本の伝統的な色彩名を使うことになり、ブランドコンセプトはシンプルに“Beer Beautiful”と決定しました。半年後、私たちは確かな手応えを感じていました。従業員たちには、地ビールでなくクラフトビアを造っているのだという意識を徹底させましたが、これは地ビールに対する良からぬイメージを払拭したかったということと、クラフトということにこだわりたかったからです」。

その後まもなく、コエドのビールは世界各地で高く評価されるようになった。まず、2007年にモンドセレクションで最高金賞を受賞。皮肉といえば皮肉なことだが、サントリープレミアムモルツも同賞を受賞し、コマーシャルで盛んにPRを行った。2010年にはワールドビアカップで「紅赤」がシルバーメダルを受賞。この時ゴールドメダルを獲得したのはベアードの「かぼちゃエール」だった。「ベアードさん同様、地元の農産物を使ったビールで受賞できたことはとても大きな励みになりました」と朝霧は言う。

コエドの瓶ビールの海外輸出は好調で、その数は今後ますます増えていきそうだが、一方、同社の缶ビールの方も日本のスーパーマーケット市場に入り込むことに成功していた。国内市場の掘り起こしには今後も充分に注力していきたいと朝霧は言う。「日本全国どこにいても私共のビールが飲めるという状態が理想です。全国のレストラン、カフェ、その他ビールを扱うあらゆる業態のお店を視野に入れています。それと同時に、もっと日本におけるクラフトビアの存在が大きくなってくれることを願っています」。それは僕たちみんなの願いでもある。朝霧の活躍に期待しよう。

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