世界遺産に登録された富士山には、今年7月の山開き以来、山道が連日「渋滞」するほどに多くの登山客が訪れているという。東京の高尾山も登山客で渋滞することが有名であり、山登り人気はまだまだ続きそうだ。小学生のうちから子どもに登山の経験を積ませる山登りの本場・長野県でも特に人気がある山の一つに木曽駒ケ岳があり、混雑のピーク時にはロープウェイの整理券が配布されるほどだ。この山の麓にあるのが、南信州ビールである。南信州ビールはその名の通り、長野県の南部・宮田村に醸造施設を、隣の駒ヶ根市に直営レストランを持つ。
駒ヶ根市ではマルスウイスキーのブランドを展開する本坊酒造が1985年、ウイスキー醸造所を設立した。1994年の地ビール規制緩和を受け、駒ヶ根市と宮田村が地ビールづくりに興味を持ち、地元に醸造施設を持つ本坊酒造に打診して、勉強会を発足させた。1995年には駒ヶ根市、宮田村といくつかの地元企業による第三セクターの会社が設立され、本坊酒造が筆頭株主となった。1996年7月1日に醸造免許を取得し、同時にレストラン「味わい工房」の営業をスタートする。オープン当時に醸造を担当したのは本坊酒造から出向したスタッフであり、ラインナップはゴールデンエール、アンバー、デュンケルヴァイツェン、ピルスナーだった。
このラインナップのレシピと醸造技術を伝えたのが、後に新潟のスワンレイクも指導したエド・トリンガーリである。なお、エドの弟子はオラホで指導している。エドから指導を受けたスタッフには、本坊酒造からの出向者2名に加え、直前までレストランで働いていた竹平考輝がいた。ある日、工場の樽洗浄機にトラブルが起きた際、竹平がその修理を手がけた。前職でメーカーの生産管理を担当しており、機械いじりが得意だったからである。この能力が会社に知れ渡り、「ぜひ醸造をやってくれ」と請われ異動することとなった。この竹平が、後述する素晴らしいフルーツビールである「アップルホップ」の生みの親である。現在は取締役に就き、醸造は若き醸造長である伊藤陽洸と丹羽隆に任せている。
オープンしたのが7月1日という、夏が本格的に始まったタイミングということもあり、レストランは大いに賑わった。翌8月も大きく売り上げを伸ばし、ビール生産量も増えた。しかし9月にはレストランの売り上げともにビールの生産量も落ち、さらに10月には大きく落ちた。この状況を「ハイシーズンが去ったから」ではなく「何か手を打たないとまずい」と竹平は考えた。そこで、それまでほとんどレストランでの提供のみだったビールの、瓶詰め販売をすることを決めた。瓶詰めの設備は、1万円で竹平が部品を調達し、自分で組み立てた。瓶はお土産需要に応えていったが、それでもビール生産量は減っていき、良いとは言えない状況が数年続くこととなった。
この時期に入ってきたのが、現在醸造長を務める伊藤だ。農業高校出身で、2000年に南信州ビールに入社した。料理など何かものをつくる仕事をしたいと思っていた伊藤はレストランに配属される予定だったが、入社前日にビール工場への配属に変更することが伝えられた。「もちろんかなり驚きましたが、自分が全く知らなかったものをつくることができるということで『面白い仕事ができるようになる』と思いました」と伊藤は振り返る。
そうして4月の入社日から瓶や樽の洗浄が始まった。最もビールが捌ける夏に向けた準備の忙しさの中に身を置き、翌5月には仕込みを担当するようになった。「エドのレシピはほとんど変えていません。もちろん少し改良はしていますが、進化させるというより、洗練させている感じです。もともとのレシピが良かったと言えるでしょう」
竹平や伊藤が売り上げを伸ばすために考えたのは、直接消費者に訴えるべく、積極的にイベントに出ていくことだった。そうして2008年にビアフェスに初めて参加した。イベントに出る前は全国的な知名度はほとんどなかったが、「質の高いビールをつくっている」という自信はあった。実際に同業者からの評価も高かった。「ファンのなかには『自分だけが知っている、とっておきのビール』と思っていた方もいたでしょう。だからイベントに出たら『ああ、ついに出て来ちゃったんですか…』と冗談まじりで嘆く方がいらっしゃいましたね」と竹平は笑う。イベントに出るたび、少しずつだが売り上げが伸びていった。
この2008年に入ってきたのが、駒ヶ根市出身のブルワーの丹羽だ。醸造に関する学科があることでも有名な東京農業大学出身で、卒業後は食品の卸売企業に就職。その後、Uターンで南信州ビールに就職した。6月に入社すると「東京農大出身なら、さっそく新商品を開発してくれ!」と言われた。「私は大学で、醸造ではなく管理栄養士になるための勉強をしていたのです。しかし、夏の繁忙期に向けて皆がむしゃらに働いていた時期でしたから、とにかくやってみました」(丹羽)。だからと言ってゼロからデザインしたわけではなく、竹平が温めていたアイデアを実現するのが丹羽のミッションだった。丹羽の入社により、竹平は新しいビールの実現に必要な発泡酒免許の取得に注力できた。丹羽による商品開発も進み、2009年に商品化を果たす。現在、広く飲み手に愛されている発泡酒扱いの南信州ビール、アップルホップの誕生である。
2010年のビアフェス東京に出品し、来場者の人気投票で決められる東京都知事賞に輝いた。ヴァイツェン酵母で醸造され、少しダークな色をしたこのビールは、名前の通りリンゴの味わいが前面に出ている。それでいてアルコール度数が6.5%と高めで、酒としての飲みごたえが十分にある。さらにリンゴの品種によるバリエーションもあり、微妙な違いを楽しめる。使っているリンゴはすべて食用であり、だからこそ毎回『紅玉(Kougyoku)』や『シナノスイート』など、品種の名前を出せるのだ。竹平は振り返る。「やはり地元産の原料が欲しかった。まず麦芽づくりに取り組みましたがうまくいかず、地元で作られている食用リンゴに落ち着いた。最初からリンゴ果汁を仕入れるほうが加工は楽ですが、それでは地元産の食用リンゴを使うというコンセプトが崩れてしまう。アップルホップをきっかけに、リンゴの様々な品種にも興味を持ってもらいたいのです」。丹羽も「地元への貢献と食の探求が同時にできるクラフトビールづくりは、僕にとってこれ以上ない仕事だと思っています」と、やりがいを感じつつビールづくりに取り組んでいる。
南信州ビールのレストランを訪れるべき季節は、やはり夏だろう。長野県外の人は場所をなかなか想像できないかもしれないが、駒ヶ根には鉄道でもアクセスできるし、東京、名古屋、大阪・京都からはバスも出ている。青い山々と、赤いリンゴからできたビール。日本でいま人気があるこの2つのものを同時に味わうことができるだろう。
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