Minoh: a Requiem 追悼 大下正司氏



「箕面ビール」ブランドのビールを製造・販売するエイ. ジェイ. アイ. ビア有限会社の代表取締役である大下正司氏が、2012年12月15日に急性硬膜下血腫で亡くなった。享年63歳。

箕面ビールは大下氏の先見の明の表れである。彼が突然醸造所を設立したことは、3人の娘たちをとても驚かせた。大下一家はそれまで酒販店を20年営んでいたが、この事業転換には先見性があった。箕面ビールはその後の15年で、日本で最も尊敬と成功を得たクラフトビア醸造所のひとつとなったからだ。彼らは大阪や関西地域に深いつながりを持ち、醸造所に加えて3つのパブを大阪で営んでいる。大阪らしいファンキーなスタイルを信奉し、それは力強いエールや、人目を引くオリジナルTシャツにも現れている。肩で風を切って歩く大下氏はしばしば注目の的だった。

近年の箕面ビールは世界レベルの知名度を得ていた。2012年のワールドビアカップ フルーツ・ウィートビール部門で素晴らしい「ゆずホ和イト」が金メダルを獲得する前にも、いくつかの世界的なビールのコンペで受賞を果たしている。大下氏の長女で醸造長を務める香緒里さんが、同社の醸造面の成功において大きな功績を挙げる傍らで、大下氏はできるだけ多くのクラフトビア・フェスティバルに出向き、その活動に深く関わろうとしていたようだ。彼は活動に参加しないことを好まなかった。また、彼が自分のビールを自分で注ぎ、しかしほんの少し飲むだけで酔ってしまっていた姿は、多くの人が記憶に留めているはずだ。

フェスティバルで顔を合わせると、大下氏はいつも満面の笑みで私たちの出展テーブルにやって来ては、自信作のビールをふるまってくれた。彼は多くの人が自分のビールを好んでくれることを望んだ。彼にとってそれは、彼自身が皆から好かれることと同義だったのかもしれない。私は彼が大好きだった。カリスマの魅力にあふれ、いつも私を笑顔にしてくれた。池袋のデパートでのある物産展で会ったときは、彼は盛んに呼び声を掛けてビールを売っていた。若い女性に囲まれ、彼が飛ばす冗談に彼女たちが笑う。それはとても自然で彼らしいエピソードだったように思う。

日本のクラフトビア産業に携わる多くの仲間たちは、彼とのあたたかい思い出を抱き続けるだろう。ビアフェスティバルでも他のどんなイベントでも、彼に出会った誰もがあの笑顔を憶えている。彼は多くの人々を残して旅立ってしまった。御夫人、3人の御息女、従業員とその家族、200を超える同志のクラフトビア醸造所、箕面ビールを提供する数百のバー。そして、箕面ビールを口にするたび大下氏の人生と功績を讃えることになるだろう、数えきれないほど多くのクラフトビアファンたちを。

ジャパンビアタイムズ発行人 ライ・ベヴィル





(Ohshita, far right.)