Inkhorn


(by Mai Furukawa)

ビールが口に飛び込んでくる! 美味しいビールに出くわすと、いつもそんな感覚を覚える。美味しすぎて一口、また一口と飲んでしまうようなビールだ(筆者の場合は一口が一杯になるが)。今回、オリンピアンのように飛び込みを決めてくるビールをつくりだしたのは、ニコっというよりニカっという表現が合う、人懐っこい笑顔が印象的なインクホーンブルーイングの創設者兼醸造責任者の中出駿。

中出は東京都江東区出身。食事やお酒にこだわる両親の影響で、幼いころから美味しいものが好きだったと話す彼は、地元の中学校を卒業すると、米国オレゴン州の高校へ進学した。当時、ジミ・ヘンドリックスやニルヴァーナが好きだったと話す中出は、高校卒業後にワシントン州シアトルへと移り、音楽理論や心理学を学んだ。米国西海岸といえば、クラフトビールのブルワリーが星の数ほどあるイメージだが、彼は「アメリカにいた時は、クラフトビールをクラフトビールと認識していなくて。日本に戻ってきたら同じようなビールがないなあと思っていました」と明かした。

帰国後、ドイツビールやベルギービールが揃うビアバーに通い、時折米国を訪れては、自家醸造ショップを回って自家醸造を試したりと、美味しいものをつくるために試行錯誤を繰り返す生活を送っていた。2010年代前半、地元の江東区にあるインターナショナルスクールで、翻訳や通訳など秘書業務の仕事をしながらビアギーク的な生活を続けていくうち、中出の胸にはいつしかブルワーになりたいという思いが生まれていた。当時を振り返って、「ビール業界がいいなと思っていたのですが、ツテがないと業界に入れないような感じがしていました」と語った。すると2018年、地元の知り合いを通じて、清澄白河にある「ピットマンズ」でブルワリーの立ち上げに携わることになり、そこではじめて商業的にビールをつくる機会に恵まれた。それまで積み上げてきたビールの知識や経験を生かして醸造に取り組んだ中出は、しばらく経つと、現場を取り仕切っていた醸造長の信頼を勝ち取り、ビールづくりをほぼ一人で任されるようになる。また一方で、似たような設備を持つ銚子ビールやつくばブルワリーに赴いて、機器の使い方やレシピの作り方など醸造に関することを教えたり、一緒にビールをつくっていたという。「2020年にはインクホーンを開業することが決まっていたので、ジプシーという形でビールをつくって、2021年1月にタップルームがオープンしたときには、そこで一緒につくったビールをメインで出していました」と中出。複数のブルワリーの立ち上げに関わってきた彼だが、自分で実際にブルワリーをはじめるにあたって、何か違いはあったのだろうか。「醸造設備の搬入ルートを考えたりと、ブルワリーのことはわかっていましたが、店側のことは知らないことばかりで、飲食許可の申請に必要なものがわかりませんでした。自分一人でやっていたので頼る人がいないというのはつらかったです」と話した。続けて「タンクをフォークリフトで搬入したあとは、最後手作業で運ばなければならず、近くにある東京エールワークスのメンバーに手伝ってもらって乗り切りました」と、近隣で同じようにビールづくりに励む仲間たちに感謝の気持ちを表した。

ブルワリー名の「インクホーン」とは、かつて西洋で使用されていた、動物のツノを用いたインクの壺を意味する。この言葉を選んだ理由の一つとして、中出は「インク壺言葉」を挙げた。インク壺言葉とは、16世紀~17世紀ごろ、学者や作家のあいだでラテン語から言葉を借りて英語を書くことで知識をひけらかすような風潮が広まり、そこから転じて、インク壺を使うような人たちが使うラテン語系借用語を「インク壺言葉」と呼ぶようになったことに由来する。「その風潮が英語の純粋さを保つとか保たないとか、なんでほかの国の言葉を英語に入れるんだという議論が当時あって、その流れが面白いと思いました」と説明した。この話を聞いて、筆者の頭にはやたらと横文字を使いたがる政治家が思い浮んだが、なかなか普遍的な議論だと感心してしまった。彼は続けて、「その理由以外にも、インクから言葉やストーリーが生まれるので、インク壺にはインスピレーションの元があるように感じます。あとインク壺は書斎や図書館に置かれていることが多く、そういう雰囲気も好きだし、いろいろな理由があります。半分、自分たちで皮肉ってインテリぶってやってるよというところもあります」と冗談めかして語った。すると横から、「駿は日本人ですが、ドイツのスタイルやアメリカンスタイルなど、世界各国のブルワーが操る言葉(ビール)からインスピレーションを得ているので、そういう意味でもふさわしいと思いました」と補足してくれたのは、中出の妻で共同創設者でもあるエイミー。

ストラップドレスを素敵に着こなす彼女は、別の仕事をしながらインクホーンのブランドとしてのコンセプトづくりや、タップルームのインテリアデザインなどをサポートしてきた。彼女の出身地であるコネチカット州には鳥類などの野生生物保護区「オーデュボン・ソサエティ・コースタル・センター」があり、その影響もあってか、昔から鳥が好きだったというエイミーと中出は、自宅で文鳥を飼っているそうだ。「インク壺から鳥の羽が出ているイメージもインクホーンを選んだ理由の一つです」と彼は付け加えた。

インクホーンのタップルームは目白駅から徒歩8分ほどの場所にある。せわしなく車が行き交う道路沿いに位置し、スタイリッシュなロゴと、大きく開放された店構えが特徴的だ。歩道からブルワリーのタンクや中の様子が見えるようになっており、また店内からは、行き交う人々の表情を眺めることができる。木を基調とした店内は、現代的でおしゃれな雰囲気で、タップのある壁面のデザインは鳥好きなエイミーが選んだそう。19世紀の博物学者であり、画家でもあったジョン・ジェームズ・オーデュボン著『アメリカの鳥類(The Birds of America)』シリーズの表紙を飾ったサンショクサギ(ルイジアナサギ)が、タップを囲むように大きく鮮やかに描かれている。凛とした立ち姿のサンショクサギは、ビールを楽しむ人間たちを見守っているかのようだ。反対側の壁一面には植物のプランターが掛けられていて、コンクリートの建物が立ち並ぶ都会の中にありながら、どこか遠くへ旅しているような気分にさせる。喉をうるおす命の水(ビール)もそろっているので、まさに都会のオアシスといった具合だ。

このタップルームを支えているのは、マネージャーの川島唯と、週に一度程度手伝うという佐川友美。出荷や管理、ビアパブとの連絡などを担当する川島は、中出と同様音楽が好きで、自らもメタルコアバンドでボーカルとして活動し、海外ツアーへも行くと話す。まさにバンドマンといった雰囲気をまとう川島は、ともすればとっつきにくい印象を与えるかもしれないが、ひとたび話を聞いてみると真面目で誠実な性格が伝わってくる。佐川も、明るくおだやかな笑顔が印象的で、ここには優しい空間がつくられている。

タップルーム内の窓からはブルワリーが見えるようになっていて、ここには5バレル(約600リットル)のタンクが2つと、ダブルバッチ用10バレル(約1200リットル)のタンクが2つ備わっている。週に一度ほど仕込むというが、「一人じゃ大変です。とくにダブルバッチは一人では無理。シングルバッチもクタクタになって時間もかかります。なので皆に手伝ってもらってやってます」と話した。
好きなタイプのビールについて尋ねると、「個人的に飲むのはラガーが多いです。あまりアルコール度数が高くなくて、しっかりモルトもホップも楽しめる、ホップ感の強いピルスナーが好みです」と答え、続けて「サワー系も好きで、アルコール度数は高すぎないほうがいいですが、サワーの場合は気づけば飲み切っている感じです」と語った。いわゆる定番ビールというのは無いそうだが、ウエストコーストIPAはいつもつくるという。その理由として、「のろけっぽくなりますけど、エイミーがギャラクシーホップが好きなので、ギャラクシーの特徴が出たウエストコーストIPAはずっと置いておこうと思います」と、笑みを浮かべた。「僕は安定した仕事を辞めて、フラフラしながらいろんな人からお金借りて事業の立ち上げをしたのに、とてもサポートしてくれたので、感謝しかありません」と中出。その思いは、鳥の名前や鳥にまつわるビールの名前が多いという点にも表れている。

ビールは、原料の特徴がわかるようにすることを心がけていて、とくにホップの特徴を楽しみたいという中出は、基本的にドライホップしたビールしかつくっていない。また、レシピをつくるときの考え方として「IPAは足し算だと思っています。モルトやベースのビールがどれだけ耐えられるか、そこに積み上げていく感覚です。ジェンガのように積み上げていって、崩れるギリギリのところを狙うとホップのキャラクターが出やすいと感じていて、そのラインをつねに攻めたいです」と話し、また「逆にピルスナーは引き算の世界だと思っていて、ラガーリング(低温熟成)が終わって飲める状態になると、いろんなものがすっきり落ちて、入れたモルトのキャラクターやノーブルホップのキャラクターがはっきりと出てきます。そこで足し算しすぎちゃうとバランスが崩れてしまうのです」と語った。

取材に訪れた日は7種類のビールが提供されていて、うち5種類がオリジナルだった。「フロックメンバーズ」はアルコール度数5.3%で、前号(本誌第47号)でも特集したイタリアンピルスナー。ドイツ産のディアマントホップでドライホップされたこのビールには濁りがあり、上品で華やかな香りが立っている。すっきりとしていながら、果実味と、ほどよい苦味が口に広がり、洗練された味わい。空気が澄んでいる秋晴れの日には格好のビールだ。ウエストコーストIPAの「ゴールドフィンチ」(6.5%)は、このスタイルにしては苦味がひかえめで飲みやすい。南国の果実のような芳香、ピリっとした酸味とうま味、そして余韻には心地よいほろ苦さが残る、バランスの取れたビールだ。この日、筆者の一番のお気に入りとなったのは、サワーIPAの「ポストサワリズム」(6%)。ブラックベリーとカシスが使用されており、ワインのような鮮麗な赤紫色が目を引く。ひとたび鼻を近づけると、みずみずしいベリーの芳醇な香りが筆者を圧倒した。これもうアロマテラピーの領域。味は辛口で、ふくよかなベリー系の果実が感じられる。香りから想像するような甘ったるさがなく、酸味も強すぎないのでとても飲みやすい。そしてほのかに残るホップの苦味がIPAらしさを添えていて、全体をうまくまとめている印象を受ける。どのビールもとても美味しく、勢いよく口にどんどん飛び込んでくるので困っていると(全然困ってない)、タップの壁面でくつろぐサンショクサギが、筆者が千鳥足にならぬよう戒めの目線を送ってくるように感じた。ありがとう、サンショクサギ。いい仕事をしている。

インクホーンの将来については、「まったく考えていないです(笑)。一日一日のことでいっぱいいっぱい。でも、もし事業展開するなら海外、とくにアジア地域で2店舗目をつくりたいと考えています」と、中出は正直に答えてくれた。余裕が出てきたら、インターナショナルスクール時代に奉仕活動の一環で英語を教えていたという、カンボジアの子どもたちを支援していきたいと考えているそうだ。

人生の伴侶と仲間たちに支えられ、ペンを握る中出はこれからどんな物語を紡ぎ出してくれるのだろう。今後の作品への期待に胸を躍らせながら、都会の楽園をあとにした。

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