Brooklyn Brewery’s Art Legacy
クラフトビールのように何千ものブルワリーがあり、何万ものブランドの中から消費者が選ぶような激戦市場で成功を収めるにあたって、品質は絶対に欠かせない要素だ。一度消費者を落胆させてしまったら、おそらくもう二度と敗者復活のチャンスは巡ってこないだろう。同様に、巧みにブランディングすることも必要不可欠である。その際、ラベルアートは要となる要素だが、これまでのところ全米でブルックリンブルワリーほどラベルアートで成功したブルワリーはほとんどいない。そこにはまた、他社にはないブルックリンブルワリーの強みがあったのだ。
創業者のトム・ポッターとスティーブ・ヒンディーが、1980年代半ばにブルワリーをニューヨークに造ることを計画してまだ間もない頃、二人はブロンクス生まれのデザイナー、ミルトン・グレイサーにロゴ開発の手助けを求めた。グレイサーといえば、当時既に世界中に名の知れた大御所デザイナーである。例えば『ボブ・ディランのグレイテストヒット』付属の特別カラーポスターは、彼が1966年に制作した初期のポスター作品の一つだ。また、1977年にデザインした「I ♡ NY」のロゴは、ナイキのスウォッシュやアップルのロゴに匹敵する規模のアイコンになっている。今となってはシンプルで見る者にとって明らかなロゴだが、そうなったのも長年ずっと繰り返し作られ、また、数え切れないほど真似されてきたからに他ならない。地元ニューヨークを愛するグレイサーはこのロゴの権利をニューヨーク市に譲渡したため、現在同市はこのロゴを冠したグッズ等の販売から年間およそ3千万ドルの収益を上げている。
そういった背景から、ポッターとヒンディーがグレイサーを説得して戦力に加わってもらうことができた、などとという話はほとんど作り話のように聞こえる。だが実際、何ヶ月にもわたって何度も電話をかけた挙句、グレイサーは短時間なら会ってもよいと承諾した。そして予想通り、グレイサーは二人に「ブルックリンブルワリー」という名を使うようにと言った。その理由は、ブルックリンという地名はよく知られており、文化的にもその名が高まっているからだった(そしてその通り、今なおその名声は鳴り響いている)。デザイン料の代わりとして、グレイサーは株式の持分…に加えて、タダでビールを飲める権利を求めた。その結果、パートナーシップは双方共に報われたと言って良いだろう!ブルックリンブルワリーの「B」のロゴは、今や業界では最も認知されているロゴの一つになったのだから。
そのグレイサーは90歳を過ぎた今も現役だが、近年ブルックリンブルワリーは他のデザイナーの力も借りている。そのことに関しては、以前ディフェンダーIPAのパッケージデザインについて、醸造責任者のギャレット・オリバーに話を聞いた際に記事にしている。同ブルワリーでは最近、主力商品の新しいパッケージデザインを発表した。時間が経てばデザインやロゴを一新するのは、企業にとっては何も珍しいことではない。時代によって好みも変化するのだから。ただ、今回の話におけるブルックリンブルワリーのレガシーを考えると、彼らの発表は注目に値するのではないだろうか。輸出用にパッケージデザインを変更する企業は多い。だが今度の新しいデザインは、日本国内のブルックリンブルワリーの製品にも登場する。市場はそれに反応するだろう。と言っても結局、目に付くもの=好きなもの、ということになるわけだが…。