日本にある約400のクラフトブルワリーのうち、ほんの一握りが地元産、またはブルワリーが栽培したホップを使っていて、その数は増えつつある。しかしながら、使われる量はたいてい限られている。日本はホップの生産大国と呼ぶにはほど遠く、ホップのほとんどが輸入されたものだ。地元で原料を調達することは、地域を活性化させ、地元民がより協力的になるという点で大きな意味を持つ。また、観光客へのアピールにもなる。その土地ならではの味を楽しめるからだ。北海道に最近新しくできた忽布古丹醸造が、このコンセプトを極めようとしている。地元産ホップの使用割合を、一部ではなく100%に近づけようとしているのだ。日本の多くのブルワーが可能だと思いもしなかったことを、忽布古丹は成し遂げることができるのだろうか?
忽布古丹は札幌出身の堤野貴之が代表を務め、会社の理念を形にしていくという大切な役割を担っている。彼が、同じく北海道のSOCブルーイングが手掛ける、ノースアイランドビールの醸造長を務めていたことを知っている読者は少なくないだろう。堤野は札幌にある北海学園大学を卒業後、メガネチェーン店に就職。お金を稼ぐ大変さを知るとともに、自分が一生をかけるべき仕事は他にあるのではないかと思い始めた。そこで学生時代からビールが好きだったこともあり、2001年4月、小規模ブルワリー用の醸造設備や原料を扱うCITトレーディング(現存しない)という小さな商社に転職した。この会社が、自らブルワリーを立ち上げて運営する計画を持っていたことも、大きな魅力だった。
堤野はその計画に則って、カナダのバンクーバーにあるリッチモンドビアワークス(現在は閉鎖)でビール醸造研修に参加した。ちなみにこのときに一緒に参加していたのが、現在ノースアイランドビールで醸造長を務める多賀谷壮だ。彼らはアシスタントブルワーとして、醸造責任者のもとで醸造を一から学んだ。しかし、2001年12月に研修を終えて札幌に戻ってきて間もなくすると、ブルワリー設立計画がなくなるということを知らされた。ちょうどその頃、坂口典正という人物が、北海道でBOP(体験型ビール工房)を主としたブルワリー設立を計画していた。さらに、坂口はCITトレーディングから醸造設備の購入を検討していた。またとないチャンスが巡ってきたのである。カナダで学んだことを生かしたいと考えていた堤野と多賀谷はCITを退職して、坂口の計画に乗る形で、2002年3月にカナディアンブルワリー有限会社を設立した。ブルワリー自体は2003年に完成。社名の由来はもちろん、堤野と多賀谷がカナダで醸造研修を受けていたことだった。ブランド名はのちに「ノースアイランドビール」に改名され、北海道産のビールの名前としてよりふさわしくなったように思える。現在、カナディアンブルワリーはSOCブルーイングに社名が変更されている。
堤野が指揮を執るノースアイランドビールは、国内有数のクラフトブルワリーの中でも高い評判を得るまでになった。一躍有名となった彼は、2015年にデンマークのミッケラーから誘いを受け、北海道の名産、ハスカップを使用した冬限定のコラボレーションビール「ハスカップブロンド」をつくっている。
その1年前の2014年、国税庁が毎年開催している道内の醸造者交流会に堤野は参加した。このときの会場は旭川の大雪地ビールだった。今日でさえ、日本にはホップ農家の数は少ないままだが、その交流会には上富良野のホップ農家も参加していた。その出会いがきっかけで、堤野は彼らが育てたホップを実際にビールづくりに使ってみた。「輸入ホップと比べても、品質に全く問題はありませんでした。それまで原料は海外産が当たり前でしたから、自分が生まれ育った北海道産を使えることに驚くとともに、生産者の顔が見える原料を使ったビールづくりができることに感動を得ました」と、堤野は当時を振り返る。コミュニティで助け合う大切さと誇らしい思いは、堤野の中に残り続けた。
道産原料を使いつつ、つくりたいビールをつくる――。このコンセプトが堤野の中で湧き上がり、ノースアイランドを辞めて新しいブルワリーを立ち上げたいという思いが強くなった。2015年7月、堤野は同社の取締役醸造長を辞任し、醸造には関わりつつも、自分のブルワリーを立ち上げる準備を進めていった。「1仕込み200、300リットルのブルーパブではなく、1000リットル規模の『メーカー』を立ち上げたいと思いました」。ホップ畑に隣接した地区にブルワリーを立ち上げる計画だったが、上富良野の人口は1万人強程度のため、現地での消費ではなく出荷を中心としたビジネスモデルを構想していった。
堤野の計画が広く知れわたることになったのが、2017年5月10日に募集が開始されたクラウドファンディングだ。当初の目標金額650万円はなんと18時間で達成し、その後2回、目標金額を設定し直し、同年6月23日までになんと673人から2495万2222円を集めた。下4桁が「ツツツツ」と読めるのがなんとも堤野らしくもある。「最初の650万円はタンク2基分に使う予定でしたが、約2500万円集まったことで、導入する予定だったタンク8基すべてを賄うことができるようになりました。この後に銀行借り入れも行い、設立資金をやっと調達できました」。堤野がそれまで優れたビールをつくり続けてきたからこそ、資金の調達に成功したように思えてならない。
醸造釜の一つは、志賀高原ビールから譲り受けたものだ。「(志賀高原ビールの)佐藤栄吾さんにはかわいがってもらっていて、コラボレーション醸造も一度したことがあります。志賀高原が新しい設備を入れて2年ぐらい経ったタイミングで、格安で譲ってもらえたんです。カナダのスペシフィック社製で、サイズもちょうど良く、ホップをたくさん入れることができます」
醸造設備の次は物件だ。上富良野町には、ブルワリーを設立できる物件の選択肢はあまりなく、ホップ生産者が同町の深山峠にある現在の物件を紹介してくれた。深山峠は、ラベンダー畑とその背景には美しい山並みが連なる絶景スポットとして有名である。物件は、1997年から2007年まで稼働していた「上ふらのビール」のブルワリーの跡地だった。現在は美術館、物産館が併設されていて、ブルワリーの真上には観覧車もある。
この物件を2018年2月に契約し、その後すぐに工事を始めた。そして4月に入社したのが、堤野が「いつか一緒にビールをつくりたい」と思い続けていた植竹大海だった。植竹は、コエドで働いたのち、うしとらブルワリーで醸造長を務めた人物で、国内のビール業界でも知られた存在だ。なお、本誌(第31号のうしとら特集記事)でもお伝えしたことがある通り、植竹はうしとらブルワリーの初代醸造長ルーク・ラフォンテインがカナダ・トロントで立ち上げた、ゴッドスピードブルワリーで働く予定でいたが、就労ビザがなかなか下りずにいた。しかしこの度やっと許可が下り、本誌が発行されてすぐの2019年7月、植竹は忽布古丹醸造を卒業してトロントに旅立つ予定だ。植竹の健闘を祈っている!
堤野たちは、2018年6月下旬にビールと発泡酒の免許を取得し、7月中旬に醸造を始めた。北海道でのビール免許取得は実に約20年ぶりで、幅広い銘柄をつくることを狙って申請したビールと発泡酒免許のダブル取得は道内初となった(酒税法については、本誌第36号「発泡酒」参照)。「免許はほぼ最短の4カ月強で取得できました。一時期に比べると、ブルワリーの事業計画や事業概要を、税務署が理解しやすくなった面があると思います」
社名およびブルワリー名の「忽布古丹」の由来は、「忽布」はホップで、「古丹」はアイヌ語で「村、集落」を意味し、堤野の「北海道のホップの町・上富良野で、現地で採れたホップを使ってビールをつくりたい」という思いが込められている。
2018年8月についに最初のビール「メイドイン上富良野ラガー」と「メイドイン上富良野エール」が完成した。いずれも上富良野産カスケードのシングルホップでつくられたビールで、ラガーはホップの香りと苦味がはっきりしたピルスナー、エールはゴールデンエールだった。この二つの銘柄のお披露目会は、札幌のビアセラーサッポロ、東京のクラフトビアマーケット神田店、大阪府堺市のヒビノビアで開催された。特に東京では店外に行列ができるほどの盛況となり、クラウドファンディング出資者だけでなく、他の消費者の期待の高さがうかがい知れた。いずれも雑味が全くない、きれいな出来だった。そしてその特徴は、これまでつくられてきたすべての銘柄に共通すると思う。上富良野のホップ生産者も「この素晴らしい出来なら、がんばってホップをつくり続けたいと思う」と言ってくれたという。
醸造開始から約10カ月経った取材時には、仕込みの数は65、発売してきた銘柄は58を数えるまでになっていた。「最初の1年間は、ビールの多様性を広めるため、定番を決めず、すべて一度きりの銘柄をつくろうと決めていました。また初めて使う設備に慣れる意味もあります」。醸造開始から1年の製造量は約80キロリットルの見込みで、次の1年は95キロリットルにまで伸ばす計画だ。醸造量の増加に向けては、植竹がいなくなる代わりに、昨年入社した鈴木栄に加え、さらに近々3人の若手が入社し、5人体制になる。
今年の秋に、忽布古丹醸造の第1章が始まると堤野は話す。それまではプロローグだというわけだ。今年の上富良野産ホップの収穫見込みは上々で、夏の収穫後は忽布古丹醸造で製造するビールの約7割に、上富良野産ホップを使用できるという。これは見事な数字だ。さらに、秋からは、上富良野産ホップ100%使用の定番銘柄の製造が始まる。本稿執筆時は、同社は上富良野産ホップをホールホップのまま使用しているが、2019年産より、大半をペレット加工して使用する計画が進められている。そのため、ペレタイザーを購入する予定だ。また、瓶詰めが始まるため、近い将来、彼らのビールがより広い地域で飲めるようになるだろう。他には、ミッケラーとのコラボレーションでも使われたハスカップをはじめとする道産のフルーツを使い、地元のワイナリー「ふらのワイン」から購入した木樽を使った長期熟成銘柄の醸造も考えているという。
上富良野は言うまでもなく、冬は雪が深い。訪ねてみるならば、色鮮やかな花畑を一望できる夏がいい。それもホップの収穫時期だと最高だ。さらにいいのは、忽布古丹醸造が毎月主催している、上富良野のビール会に参加することだ。地元の消費者、ホップ生産者、そして堤野たちと一緒に心ゆくまで忽布古丹醸造のビールを楽しむのは、忘れられない思い出になる。もしかすると、彼らから刺激を受けて、自分の地元を応援しようと思うようになるかもしれない。私たちビール好きにとっては、地元産の原料を使って地元でつくられたビールを飲むことが最初の一歩だといえるだろう。
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