ベアボトル・ブルーイング・カンパニーは、サンフランシスコの閑静な住宅街、バーナルハイツにある花崗岩切削工場の倉庫跡地で革新的なビールをつくっている。バーナルハイツは他の多くの住宅街のように丘の中腹に位置し、太平洋とサンフランシスコ湾に囲まれた都市部の素晴らしい眺望を望む公園がある。わずか数ブロック離れた湾岸に近いエリアには、サンフランシスコの歴史を物語る、IT革命以前に栄えた最後の工業地区がある。しかし、テイスティングルームの中央に誇らしげに醸造設備を構え、高品質なビールをつくるベアボトルは、さながら過去と現在――絶え間なく進化する趣向と興味を持つ若手エリートたちが働く都市――をつなぐ、橋渡し的な存在だ。サンフランシスコでは、革新していかなければ成功できないのである。
レスター・コガ(共同創業者、ブルワー兼雑役係)は、ブルワリーのラウンジにある座り心地の良さそうな椅子に座っている。最初は、彼が説明するブルワリーの取り組みが平凡なものに思えた。
「共同創業者であるマイク・サイツ、ベン・スターリングと私は、自家醸造から得たアイデアをもとに、このブルワリーの構想を練りました。マイクと私は10年ほど自家醸造をしていました。ここ6年間はBJCP(ビアジャッジ認定プログラム)のジャッジを務めています。自家醸造家向けの大会でもジャッジをしますが、決勝に残ったビールや部門賞を受賞したビールは、ほぼ間違いなく、プロによってつくられたビールよりもはるかに美味しいことが多いです。私は、これだけの情熱を注いでビールをつくっている自家醸造家たちが、マスマーケット(大量市場)に入り込むのに、もっと良い方法があるはずだと考えました。ブルワリーとして、それをサポートする役割を果たしたいと思っています。自家醸造のアイデアや自家醸造家の革新的な取り組みを、ここで実現化してほしいのです」
自家醸造家がプロになる話は米国ではありふれていて、聞き飽きるほどだ。そして自家醸造で使っていたレシピをプロのレベルでも用いることは、今では珍しくもなく、ほぼ定説になりつつある。これは全く革新的ではなく、オーソドックスなやり方である。きっと他にも何かあるはずだ。
「まずは、サンフランシスコ自家醸造家組合と組んで進めることにしました。大会を開催し、優勝者は私たちのブルワリーで醸造できるという内容です。ビールに関するガイドラインをいくつか決めました。自家醸造家の創造性に自由を与えすぎると、ビールの種類に収拾がつかなくなると思ったからです。セゾンに対してIPAをどう審査すればよいのでしょうか? そのため、私たちの大会では毎回制約を設けています。最初の大会では、『ミューアウッズIPA』をテーマにしました。サンフランシスコ近郊にあるミューアの森を思い起こすようなIPAを募集したのです。応募作品数は26にものぼり、私たちはその中から三つに絞りました。その三つは、ブルワリーでタップルーム用の生産規模で醸造し、タップルームに来た人たちに飲み比べセットで提供して、一番美味しいと思ったビールに投票してもらいました。面白いことに、2位と3位を足した票数の倍以上の票を集めて優勝したビールは、私なら選ばなかったビールでした(笑)。私が良いと思ったビールは、深く赤い色で、濡れ落ち葉と湿気のある森のような香りを持つ、松の味が強いインペリアルIPAでした。優勝したビールは、ニュー・イングランド・スタイル(本誌第31号参照)に近いスタイルで、曇りがかった柑橘系のビールでした」
それ以来ベアボトルは、毎回違うテーマで四半期に一度、これまでに5回大会を開催している。現在はサンフランシスコ近郊の他の組合も大会に参加できる。そして彼らは優勝者の一人をシフトブルワーとして採用した。しかし、これは本当に革新的だろうか? 米国のブルワリーではそれほど珍しいことではない。厳密には自家醸造が違法な日本でも、秘密裏に行われる自家醸造大会で優勝したビールをつくるブルワリーが存在する。いずれにしろ、コガは良いレシピとアイデアを得る以外の目的を強調する。
「ブルワーとオーナーは、いつも正解がわかっているわけではありません。消費者に聞くべきです。私が負けた方のビールを選んでいたのは個人的な好みだと思います。ブルワーとして違う嗜好を持っているのです。自分が一番好きなビールが、市場でも受けるビールだとは限りません。大会を開催することで、誰もが好むようなビールをつくることができるのです。楽しくもあり、フィードバックを得る良い方法でもあります」
タップルームに備えられた20タップのうち一つか二つは、大会に参加した自家醸造のビールを提供している。過去に優勝したビールから派生したビールを置いている場合もある。彼らは常にレシピに手を加え、新しいビールをつくっているのだ。そのほかは、彼と彼のパートナーのレシピでつくったビールで、中には過去に別の大会で受賞したレシピもある。コガの革新のコンセプトが明らかになってきた。
この研究所でつくられたビールのなかで最も人気のあるビールの一つに、ギャラクシーダストがある。これはサンフランシスコのスマッシュビール(「Single Malt and Single Hop」の略、本誌第32号参照)大会に応募した、昔のレシピをもとにしてつくられたものだ。桃やプラムなどの「核果のような特徴」を持つバーモントエール酵母と、「桃の香りがする」ギャラクシーホップを使ったビールである。この二つを掛け合わせると、かすみがかった「桃爆弾」が出来上がる。このビールは人気が高く、電話でレシピを聞いてくる人たちもいた。聞かれれば、コガは快く教えた。
「レシピをすんなり教えることに驚く人もいます」と、コガは言う。「しかし正直に言うと、次につくるときはレシピを変えていると思います」
筆者は彼の生い立ちと、それがどうブルワリーに影響をもたらしたか聞いてみた。というのもこのブルワリーに興味を持ったきっかけが、彼の名前と、彼がつくった日本酒とビールのハイブリッドだったからだ。
「私の両親は日本人なので、日本の味は身近に感じていました。例えば、冷蔵庫にはいつも味噌が置いてありました。庭には梅の木が植えられ、母は毎年梅酒をつくっていました。話はそれますが、巷にはユニークで面白いアジアの味がたくさんあるにもかかわらず、ビールに使われることは稀です。そのような味のするビールになじみのあるアジア系のブルワーやオーナーブルワーはどれほどいるでしょうか。多くはないでしょう。私は食べることも大好きです。いつもと違う味に一番惹かれます。子どものころ、私の父は袋入りのウニをよく持ち帰って、家族でハンマーやドライバーで殻をむいては、ご飯にかけて食べていました。そういった経験が、食べることに対する遊び心と考え方を形成しました。そして、ビールの世界では、まだまだ開拓しきれていないアジアの味がたくさんあると感じています」
ベアボトルの日本酒とビールのハイブリッドは一つの例だ。この組み合わせは意外に多く存在する。複数の日本のブルワーが、このタイプの美味しいビールを長年つくっている(最近ワールドビアカップで金賞を受賞した小西酒造のビールも含む)。筆者は2012年、サンディエゴで開催されたクラフトブルワーズ・カンファレンスで、当時Nøgne Ø(ヌグネ・エウ)にいたシェテル・ジキウンと、現在ボストン近郊でダブテイル・サケという酒蔵を経営しているトッド・ベロミーが主催した、このテーマに関するセミナーに参加した。ベアボトルは、先述の工業地区近くにある小さな酒蔵、セコイア・サケと組んで仕事をすることにした。
コガ(そしてこの驚きの情報を念のため再確認したサコイア・サケのオーナー兼ブルワーのジェイク・マイリック)によると、まずベアボトルが「スパークリング・ウィートエール」のレシピを考案した。そしてブルワーたちが、様々な状態の酒粕を麦汁に加えた。しかし酒粕(大抵は乾燥したもの)ではうまくいかなかった。マイリックは、最も出来が良かったのは、雫しぼり(酒袋にもろみを詰めて吊るし、重力でしたたり落ちてくる「雫」の部分だけを採取する方法)で搾ったあとにすぐ採取した、どろどろした粕だったと言う。厳密に言うと、それは大吟醸酒用の酵母を使用したセコイアの発泡日本酒から取れたものだった。彼らは、袋に残った新鮮な酒粕になら、酵母がまだ生きているのではないかと考えた。そして、その読みは当たっていた。酵母は麦汁の糖を食べ尽くして完全に発酵し、極めて辛口なビールが出来上がった。洋梨とブルーチーズの風味を持ったビールだった、とコガは言う。このビールは、日本人と白人のハーフの昔のルームメイト(そして現在のベアボトルの投資家)のあだ名から取って、「ハーフ・サムライ」と名付けられた。
他にもコガがつくった面白いビールに、桂花茶(キンモクセイ茶)を使ったセゾン「パンダ・ペタルズ」がある。中国を訪れた際に、この「鮮やかな花の香り」と果実味あふれる特徴を持つ木に出合い、米国に持ち帰って友人に特定してもらったのだ。そしてそれを使ったビールの自家醸造を始めた。
「セゾンのエステルと絶妙にマッチしていて、私たちのビールの中でも繊細なビールの一つです」
コガの中国訪問は仕事のためだったが、その仕事はビールと無関係のものだった。友人とベアボトルを開業する前、彼は、空港のスキャナー装置など、テロリスト対策の工業技術品を扱う製品マネージャーだった。4年間、世界を周って政府や軍関係者と会っていたが、彼は食べ物とビールも楽しんでいた。ドイツに行くことが多かったため、必然的にビアガーデンにも足を運んだ。ビアガーデンにはジャングルジムを置いているところもあり、子連れを歓迎するその雰囲気にコガは衝撃を受けた。その経験は今でも心に残っていて、ベアボトルのテイスティングルームも家族連れに優しい。
ブルワリー成功の鍵は美味しいビールだけではない。経営も大切だ。コガは冗談ぽく、「私たちの時間の95%は、ビールづくり以外に費やされています」と話す。過去16か月のベアボトルの成功を考えれば、コガと彼のパートナーたちが、過去の経験と知識をうまく活かして事業を成していることは明白だ。サイツはプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)のプロジェクトマネージャー、ベンはVisaでブランドマネージャーを務めていた。三人はコロンビア・ビジネス・スクールでMBA取得を目指しているときに知り合った。卒業後、彼らは友人の結婚式で再会し、そのときマイクはチャーリー・パパジアン著『The Complete Joy of Homebrewing』を持っていた。一方コガは、彼の興味を引いた記事が掲載されたビジネス雑誌を携えていた。その記事とは、クラウドソーシングのアイデアと将来の客に受ける商品をつくり出すことをテーマにしたものだった。その二冊がテーブルに並べられ、ベアボトルのアイデアが生まれた。サイツとコガが大会でジャッジをするようになったころには、そのアイデアはしっかりとした事業計画に変わっていた。
ブルワリーの場所の選定には、精細なデータ分析を用いた。彼らは、自家醸造家たちが顧客の多くを占めることを理解していた。そしてまた、可処分所得が大きく、教育レベルが高いクリエイティブな職種で、食べ物と料理が好きな人たちが集まる場所を探していた。分析結果では、サンフランシスコとワシントンDCが他の都市を大きくリードしていた。三人ともサンフランシスコには馴染みがあったが(コガとサイツは大学時代に、スターリングは仕事で)、それと同時に、このエリアは他の都市に比べて、一人当たりのブルワリー数が驚くほど少ない未開拓市場ということに気づいた。さらに、繁華街よりも周辺地区の方が活気があるように見受けられた。一年に及ぶ調査の末、探し求めていた場所を、彼らはバーナルハイツで見つけたのだ。
タップリストは、ビアスタイルを面白く解釈したビールのバリエーションに富み、素晴らしい内容だ。実験的な精神が見てとれる。特に、ベアボトルの過去のビールを見れば(ウェブサイト: www.barebottle.comに掲載されている)一目瞭然だ。多くのビールが、同じテーマでも、使用するホップの種類など一部を変えたビールだ。コガが強調する「イノベーション(革新)」が、いわゆる破たんしていたり突飛なビールであったりというわけではないことが分かった。より高い品質と目標達成のための微調整を指している。人口統計データ、自家醸造とタップルーム経営など、一見異質な要素を組み合わせ、まとまりのある事業として発展させていくことでもある。個人の好みと消費者の求めるものが必ずしも一致しない矛盾があったとしても、自分の舌を信じることも大切だ。なぜなら革新は予想していないところから生まれるからである。ベアボトルの場合は、革新は予想の範囲内だ。コガ、スターリングとサイツは、しばらくはその方針に従うだろう。
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