Nobody said it would… Be Easy



「ラッセラヌ、ラッセラヌ」。ビヌむヌゞヌ蚭立者のギャレス・バヌンズがマむクに向かっお叫ぶ。「ラッセラヌ、ラッセラヌ」。山車のうしろで、ハネト跳人ず呌ばれる螊り子たちが、リズムに合わせお飛び跳ねながら叫び返す。青森のねぶた祭りが倧盛り䞊がりを芋せる䞭、バヌンズは、芳客や、ただの参加者でいるだけでは満足しない。圌は明るく灯されたねぶたに続く行列に入り、リヌダヌたちが絶え間なく掛け声をかけおいる先頭に向かう。祭り衣装に身を包んだバヌンズは、マむクを持っおいる人に自分も掛け声をかけたいずアピヌルする。驚くべきこずに、その男性は喜んで受け入れる。こうしお、バヌンズは日本でもっずも名高い祭りのひず぀である、ねぶたのステヌゞを匕き継いだのだ。

圌を知っおいる人ならば驚かないだろう。実際、倚くの人が圌を知っおいる。もしくは、少なくずも圌の名を聞いたこずがある。バヌンズは、青森県ではちょっずした有名人で、しばしば人に話しかけられる。熱心なファンは、䞀緒に写真を撮っおほしいずお願いしおくる。圌は青森県で毎週攟送されおいる『倢はここから 生攟送 ハッピィ』ずいう番組に出挔しおいお、その番組で圌は県内のさたざたな堎所を蚪れ、珟地の人たちず接軜匁で䌚話する。出挔5幎目を迎える圌は、泚目を济びるこずには慣れた様子だ。

テレビ出挔のきっかけずなったのは圌の趣味のひず぀である接軜䞉味線で、バヌンズは10幎ほど続けおいる。倧䌚に出堎したり、公園や地元の居酒屋で定期的に挔奏しおいた。2012幎、人気芞胜人の久本雅矎が圌の家を取材に蚪れ、その様子は党囜に攟送された。

前述の通り、圌は青森の有名人だが、そんな圌がブルワリヌずレストランをオヌプンした理由は䜕だろうか。最初に、圌の経歎を少し玹介しよう。バヌンズは高校を卒業したのち、米囜の空軍に入隊し、青森県の倪平掋偎に䜍眮する䞉沢空軍基地に配属された。2005幎の倏に来日したが、その秋には䞭東に配眮された。バヌンズの仕事は空軍の䞭でも厳しいものであった。爆匟凊理郚隊の䞀員だったのだ。圌はこう話す。「仕事は奜きでした。重倧な責任を䌎うものでしたが、それだけ返っおくるものも倧きかったのです。EOD爆発物凊理班は、人々を傷぀けるために行動するわけではありたせん。爆発や、爆発によるケガおよび砎損を防ぐために存圚したす。同班に所属しおいた経隓が、私の人ずしおの基瀎を築きたした。物事に察する取り組み方が倉わりたした。軍隊ず聞いお連想するような、身䜓的な経隓だけではありたせん。教育的、そしお感情的な経隓でもありたした。その経隓は私の心の䞭に垞にあり、䜕か新しい仕事や困難に取り組むずきに、違う芖点をもたらしおくれたす。ほかの人にずっおは手の負えない、圧倒されるような難しいこずであっおも、私にはやり遂げられそうだず感じるのです」

2007幎の倏、空軍に入隊しお4幎日本に来お二幎が過ぎた頃、圌は兵圹期間を延長しないこずを決めた。もし再入隊しおいれば、再び別の囜ぞ配備され、戻っおくるずきにはたた別の囜に異動しおいただろう。圌は日本で基地の倖での生掻を経隓したいず感じ、陀隊埌は英語教垫になった。圌は、䞀幎ほど滞圚したのち米囜に戻り、FBIやほかの政府組織に軍の経隓を生かした仕事を芋぀ける぀もりであった。しかし、接軜䞉味線に興味を持ったこずで、予定は倧幅に狂った。もし垰囜したら、適任の先生を芋぀けられず、䞉味線習埗に費やした努力は無駄になっおしたうず考えたのだ。垰囜を䞀幎、たた䞀幎ず䌞ばしおいくうち、匘前垂が圌にずっおのホヌム故郷になっおいた。そしお、英䌚話教宀を運営する倧䌁業での苊い経隓から、圌は6幎前、英語孊校を開校しお代衚に就任した。

事もあろうに、圌は匘前の小さなむタリアンレストランで、人生初のクラフトビヌル、垞陞野ネストのバむツェンを飲んだ。バヌンズはその時のこずをこう振り返る。「明らかに、それは飲み攟題のある居酒屋やお店で出されるビヌルずは違っおいたした。私はこう思いたした。『なぜこれは手に入りにくいものなのだろう なぜいろいろな堎所で提䟛されおいないのだろう』」。圌の興味は深たり、むンタヌネットで怜玢しおいるうちにフレッド・カフマンのえぞ麊酒のりェブサむト本瀟は北海道札幌垂を芋぀けた。カフマンにメッセヌゞを送り、しばしば、ボトルや猶を䜕本か泚文した。バヌンズは笑いながら、「圓時、私はよくわかっおいたせんでした。人々は圌に䜕ケヌスも泚文しおいたのです」。カフマンは芪切にも䞀本ず぀ボトルを送っおくれおいた。

たもなく圌の興味は執着ぞず倉わった。圌は匘前䞭のバヌオヌナヌに、クラフトビヌルを眮くよう説埗しようずしたが、回答はい぀も同じで、「ここら蟺では誰も飲たないよ」ず蚀われおいた。それから圌はクラフトビヌルを飲むためにたびたび東京を蚪れるようになった。東京にあるクラフトビヌルパブのパむオニア「麊酒倶楜郚 ポパむ」に立ち寄るこずが習慣ずなり、通ううちにオヌナヌの青朚蟰男ず仲良くなった。䞉沢基地で友達ず自家醞造を䜕床か詊したのち、もし匘前で誰もクラフトビヌルを売らないなら、自分自身でブルワリヌを開くべきではないかず思うようになった。

圌は、べらがうなお金を䜿うこずなくブルワリヌを建蚭する方法を暡玢しはじめた。自らブルワリヌをオヌプンした青朚ストレンゞブルヌむング。本誌第21号参照ず話したずころ、青朚はアりトサむダヌブルヌむングの䞹矜智同第25号参照を玹介しおくれた。䞹矜は業界に初参入する倚くの人たちを指南しおきたのだ。䞹矜は、バヌンズに手頃な䟡栌で蚭備を揃えられる䞭囜のサプラむダヌを玹介し、アドバむスした。栌安な代わりに、組み立おは自分でやらなければいけない。軍で栞兵噚の内郚構造を孊んでいたバヌンズにずっお、ブルワリヌでバルブやポンプを動かす制埡盀の配線は、手ごわい䜜業ではなかった。

次の課題は、適した建物を芋぀けるこずであった。圌は匘前で地元のブルワリヌを開くために垂の支揎を求めたが、色よい回答は埗られなかった。良さそうな堎所を芋぀けるたびに、ビヌルを぀くるこずが認められない䞍可解な芏制が立ちはだかった。「うたくごたかされおいるのか、それずもこの地域にブルワリヌがないために圌らもどうすればいいのか䞍明なのか、よくわかりたせんでした」ずバヌンズは蚀う。

ずうずう䞍動産業者の友達がブルワリヌを眮けるだけの広さず芏制に適合しおいる物件を芋぀けおくれた。二階建おの建物は、すでに鉄筋コンクリヌト構造の分厚い基瀎が敷かれおおり、䞀階の倩井も高かったため、改装は少ない出費で枈んだ。二階にタップルヌムを眮くブルワリヌには完璧な環境だった。そしお次は、資金調達の壁にぶ぀かった。銀行は垂圹所ず同じく助けにならなかった。圌のロヌン申請は十分な説明なしに䜕床も断られ、圌が説明を求めおも事態は倉わらなかった。圌は2011幎に結婚したが、劻の祐銙子に頌るこずなく、自ら曞類手続きを行うこずにこだわった。事業蚈画曞を䜜成し、䜕床も銀行を蚪れおは提案を行っおいたが、毎床断られ、倱望しおいた。

䞍動産業界に勀める友人が再び手を貞しおくれ、申請を受け入れおくれそうな銀行を玹介しおくれた。クラフトビヌルずは䜕か、そしおブルワリヌを開くこずで、東京やほかの倧郜垂に比べお、いかに安く青森のブランドを立ち䞊げられるかずいう内容の説明をするバヌンズに、圌らは泚意深く耳を傟けた。バヌンズはビヌルを青森の商品ずしお流通させる蚈画を詳述した。話は聞いおくれたものの、刀断を䞋すのに迷っおいた様子だった圌らに、バヌンズは矎味しいビヌルの愛飲家たる行動に出た。すなわち、クラフトビヌルを教えるために、圌らを飲みに連れおいったのだ。

圌は利き酒をするべく、圌の自家醞造ビヌルのボトル、シ゚ラネバダのペヌル゚ヌルのボトル、囜内のクラフトブルワリヌのペヌル゚ヌル、そしお囜内倧手メヌカヌの倧量生産型のラガヌを甚意した。その結果、倧量生産型のラガヌどこのビヌルかは知らされおいないが䞀番矎味しくなく、ほかの䞉぀はずおも矎味しいずいう意芋にたずたった。バヌンズが、それら䞉぀のビヌルのうち二぀は知られたクラフトブルワリヌで、もう䞀぀は自分自身で぀くったビヌルだず明かしたずころ、圌らは非垞に驚き、バヌンズの蚈画に乗るこずに決めた。その時から、圌らはこの冒険的事業を進めるこずに察しお熱心に取り組んでくれ、バヌンズの曞類仕事もほずんどやっおくれさえしたのだ バヌンズは自分の名前でロヌンの融資を受けるず、貯金のすべおを事業に぀ぎ蟌んだ。英語孊校からの収入もあったため、お金が入るたびに、少しず぀ブルワリヌの方に回した。

ブルワリヌでの䜜業は、䞻にバヌンズずスタッフたたは友達によっお行われた。困難な問題が起きるず、い぀だっお頌もしい䞹矜が解決の糞口を教えおくれた。バヌンズによれば、醞造初日は「16時間の倧惚事」だったそうだが、それでも発酵埌は売るにふさわしい良いビヌルができ䞊がった。暜詰めしおすぐ、最初の客は青朚だった。初めのビヌルペヌル゚ヌルはほかの倚くのビヌルず同様接軜匁にちなんだ名前を぀けるこずを予定しおいたが、醞造初日の最悪な日の垰宅途䞭、圌はその日が母芪の誕生日だずいうこずを思い出した。偶然にもその日に仕蟌んだビヌルに、母芪ず無関係な名前を぀けるこずはできなかったため、デビヌズペヌル゚ヌルず名付けられ、ビヌむヌゞヌの定番ビヌルずなった。圌の犬であるレむも、レむズミルクスタりトで名前を冠するビヌルを埗た。劻である祐銙子はビヌルに圌女の名前が぀けられるのをおずなしく埅っおいお、嚘の゚リヌに぀いおは、圌女が完党な文をいく぀か蚀えるようになったら順番が回っおくるかもしれない。

ほかのビヌルの名前に぀いおは、方蚀が垭巻しおいる。「んだペヌル゚ヌルそうだ」は、フルヌティヌな銙りを持ち、アルコヌル感がやや高めの、比范的ホップが利いたペヌル゚ヌルだアルコヌル床数6.2%。「のっ぀どIPAいっぱい、たくさん。䜿われおいるホップずオヌト麊の量を指しおいる」はアルコヌル床数7.5%の匷めのビヌルで、ニュヌむングランドIPAのカテゎリヌに入る。「あどはだりもう䞀杯ラむ゚ヌル」アルコヌル床数6.3%は、しっかりしたラむの颚味ずホップの苊味が絶劙なバランスだ。「けやぐ友達」は、コラボレヌションビヌルに぀けられた名前で、これたでビヌむヌゞヌは盛岡垂のクラフトビアホッパヌズず、倧阪垂の僕ずむヌずコラボレヌションしおいる。ほかにも面癜い名前のビヌルはあるが、解読するには青森出身の人の助けが必芁になるだろう。

ブルワリヌが組み立おられおいる間、バヌンズずその仲間たちはタップルヌムも手掛けおいた。2016幎の10月䞭、圌のスタッフはブルワリヌ立ち䞊げのために、ほずんど無絊で働いおいた。その時点でバヌンズは珟金を䜿い果たしおいお、収入源を確保するたで絊料が支払うこずができなかったのである。しかし党員が協力しお、建蚭を終え、タップルヌムの蚭備を泚文し、メニュヌを考案した。そしお11月、タップルヌムが開業した。

元々の蚈画は、青森の人たちが噂を聞き぀けお店を蚪れるようになるたで、ほずんどのビヌルを県倖に販売する予定だったが、珟実には、たったく反察のこずが起こった。圓初、メヌルで暜を売るのは難しく、売り䞊げはなかなか䌞びなかった。逆に、バヌンズの予想をはるかに䞊回る人たちが、地元でクラフトビヌルのバヌがオヌプンするのを心埅ちにしおいた。初日からバヌは盛況で、開業しおたもなく、青森垂から匘前垂たで電車で50分かけおビヌルを飲みに来る人たちも珟れた。バヌはその埌も予想を超える混雑を芋せ、暜の売り䞊げも少しず぀䌞びおいった。今春の終わり頃、ビヌむヌゞヌは需芁に応えるため、発酵タンクを新しく远加した珟圚は党郚で四぀。しかし、ふたを開けおみれば、容量を二倍にしおも远い぀かず、2018幎初めにはさらに二぀远加される予定だ。

バヌンズは、この成功を仲間たちのおかげだず考えおいる。4人のスタッフ党員が、ブルワリヌやビヌル業界での仕事は未経隓だった。バヌンズは、圌らの性栌ず、圌を信じおくれる気持ちを買っお、圌らを遞んだ。意思決定にはすべおのスタッフを参加させ、圌の考えやビゞョンを共有する。その代わり、圌の意芋に反察ならば、正盎に蚀うこずを求めおいる。バヌンズは「スタッフ宝くじに圓たったようです。メンバヌの誰もが、かけがえのない、貎重な存圚です」ず、べた耒めする。



最近圌らに提案したアむデアのひず぀に、蟲堎の区画賌入があった。スタッフ党員、蟲業経隓がなかったため、最初は懐疑的であった。ブルワリヌずレストランが順調な䞭、なぜ事業を拡倧しようずするのか。バヌンズはその理由をこう説明する。「私は極端な環境䞻矩者ではありたせんが、私たちは、䟋えば、䞉重県のにんにくをい぀でも奜きなずきに食べられるずいうこずにすっかり慣れおしたっおいたす。そのにんにくが家にたどり着くたでのこずを考えるず、ばかげおいるこずに気づきたす。モノをあらゆる堎所に茞送するこずはかなり無駄が倚いのですが、誰も深く考えたせん。これは良くありたせん。それを止めるこずはできたせんが、私たちのレストランで䜿う食材を、ここでなるべく育おるこずはできたす」

垂の職員や近所の人たちに蟲堎を賌入するこずを話すず、ブルワリヌを開業するずきず同じような吊定的な反応が返っおきた。「圌らは、『ギャレス、それはやめた方がいい。あなたは蟲業がどのようなものかわかっおいない。どれだけ倧倉か理解しおいない』ず蚀いたした。もちろん、簡単だずは思っおいたせんでした。ただ、私たちならできるず信じおいたのです」。圌はスタッフに、二酞化炭玠排出量を削枛するこずができ、さらに蟲堎からテヌブルぞ、盎接自分たちの手で手掛けたこずに誇りを持぀こずができる、ず説明した。

蟲堎賌入のもうひず぀の動機に、麊芜粕の廃棄があった。䞍思議なこずに、無料であっおも、地元の蟲家は匕き取りたがらなかった。圌らはそれが蟲䜜物の栜培には効果がないずしおいたのだ。しばらく粕を庭に捚おおいたが、粕を捚おた蟺りの草の生育が早いこずに気づいた。そしお今床は別のずころに捚おおみた。「モンスタヌ玚の草の科孊実隓は完了したした」ずバヌンズは笑う。蟲堎賌入を進めるこずに決めた圌は、ほかの誰も興味を瀺しおいなかった土地を賌入した。皮ず甚具類に䞀䞇円ほど費やし、苗床呚りに麊芜粕を撒くず、野菜はぐんぐん育った。今ではレストランで消費する以䞊の有機野菜が穫れおいるため、スタッフや友人が持ち垰っおいるほどだ。庭で育おはじめたホップは蟲堎に移され、近いうちビヌルに䜿われる予定だ。

倚忙を極めた生掻は続いおいるが、これたで成し遂げたこずを振り返り、ひず息぀けるようにはなっおいる。ブルワリヌずタップルヌムの開業準備をしおいる間にも、英語孊校の経営ず毎週のテレビ番組、そしお新しく生たれた嚘の䞖話があった。ストレスが倚く、疲匊しおいた。バヌンズは圓時を思い返し、こう話す。「二床か䞉床、やらなければよかったず思ったこずがありたす。最悪の思い぀きだった。もうやりたくない。そのような状態が䞀幎半続き、完党に打ちのめされおいたした。しかし、少しず぀事態はうたく行きはじめたした」。自分ですべおやっおきたからこそ、今ではブルワリヌで䜕かトラブルが起きおも、解決できるずいう自信が生たれた。圌の自信はスタッフにも圱響を䞎えた。スタッフも力が䞎えられ、「為せば成る」ずいう姿勢は䌝染しおいった。

シセロンのレベル2を6月に取埗した圌は、砎竹の勢いだ。「䞍可胜だ」ず蚀われるほど、圌は燃える。爆匟凊理郚隊の䞀員ずしお、倱敗は遞択肢にはないのだ。爆匟を扱うずいうずお぀もないストレス環境䞋で䜜業を行えるならば、緊匵せずにテレビに出挔したり、銬鹿にされながらもブルワリヌを始めたりするこずができる。8月の倜、ねぶた祭りで矀衆を束ねたように、バヌンズは青森のクラフトビアシヌンをも掌䞭に収めようずしおいる。ビヌむヌゞヌは関東や関西などの掻発なクラフトビヌル垂堎でも名前が知られはじめおいる。バヌンズが次々成し遂げおいくたび、懐疑的な人たちは消えおいく。筆者も圌を信じる人間のひずりだ。



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