ビール審査会の主催やチェコでの受賞、そしてテレビのドキュメンタリー番組に取り上げられるなど、さまざまな注目を浴びているのが、横浜ベイブルーイング代表の鈴木真也である。本誌登場は2回目で、1回目はブルワリー立ち上げの直前にどんなブルワリーをつくるのか意気込みを聞いた。それから4年以上が経った今まで、鈴木はどのように夢を実現に近づけてきたのだろうか。
まずは鈴木とビールの出合いから振り返ろう。鈴木が大手メーカー製のピルスナー以外のビールの美味しさに目覚めたのは今から15年ほど前、大学生のときだった。友人から「美味しいビールを飲みに行こう」と誘われて向かったのが、御殿場高原ビールだった。そこでさまざまなスタイルのビールを味わい、特にヴァイツェンを気に入った。
大学を卒業し、自転車で荷物を届けるメッセンジャーの仕事に就いた。そしてある日、NHKの「地球に好奇心」という番組の、ドイツのジンゲンにあるシュミット醸造所を取り上げている回を観た。ブルワーは一人だけで、当然すべての仕事を一人で全部こなしていた。そして「こんな職業が世の中にあるのか。自分もやってみたい。日本でこんな仕事ができるところはないか」と探し始めた。「ビール職人になるためには何でもやるつもりだった」と言う鈴木は、得意の自転車で関東中のブルワリーをすべて回り、19社に履歴書を提出した。最終的に、出身地・横浜の横浜ビールに入ることができた。
横浜ビールで働き始めて2年目に目標となるビールに出合った。ホップなどの輸入・販売を行う会社が年に1回ほど輸入していたチェコのピルスナーウルケルを飲み、美味しさに衝撃を受けたのだ。しかし、その美味しさがどのようにして出るのかが分からなかった。翌年その輸入会社にブルワリーを紹介してもらい、訪問した。これが今も続くチェコとのつながりの始まりである。
同じ年には横浜ビールの醸造長に就任している。その後すぐ、前述のシュミット醸造所に行く機会を得た。同醸造所の銘柄はピルスナーのみ。花のようなその香りは独特で素晴らしいという。鈴木はそのビールをつくる技術をなんとか盗みたいと思い、それからも何度か足を運んでいるが、「ブルワーは何もしゃべってくれない。作業を見せてはくれますが、あるときの訪問時はひたすら薪割りをしていました」と盗むことの難しさを語る。この旅はそれで終わってしまったが、鈴木の新たな旅が始まろうとしていた。
「ビールをつくりたくてブルワーになったのはもちろんですが、同時に将来的には自分で工場を持つことも考えていました。それも30代で。実際、29歳で横浜ビールは退職し、30歳で独立しました」。
当初は、現在のものよりも大きな醸造設備にするつもりだった。小さい分、場所はまちなかを選び、飲食スペースを設け、飲食代で利益を出すビジネスモデルにした。実際、ブルワリーと飲食スペースの広さはそれぞれ10坪。本当に「まちの小さなブルーパブ」だ。鈴木によると、しっかりした設備のブルワリーを開業するには最低でも4000万円は必要だが、中古の乳製品用のタンクを代用するなど工夫して設備投資費を抑え、初期投資約2000万円で開業した。
ブルーパブとしてブルワリーと飲食店を切り盛りしつつ、チェコにはこれまで4回訪問している。本物のボヘミアン(チェコ西部風の)ピルスナーをつくるため、デコクションという糖化の方法を3週間習いに行ったこともあった。そして2011年から毎年参加(2012年は独立準備のため不参加)しているのは、ターボルという都市で毎年開催されている、ゴールドブルワーズシールというビール審査会だ。審査員は300人くらいで、20カ国170醸造所から約800銘柄が出品された2014年には、鈴木のベイピルスナーが金賞を獲得している。憧れのボヘミアンピルスナーの本場で1番になったのだ。
このビール審査会の面白さを日本にそのまま持って来るというコンセプトで、2013年から横浜の大さん橋ホールで毎年開催しているのが、ジャパンブルワーズカップフェスティバルである。「フェスティバル」という名前が付いているように、審査会と並行して同じ会場でビールフェスティバルも開催するというもの。これはゴールドブルワーズシールと同じ方式だ。初回は4月に開催され、2回目からは1月に。2016年も1月29日〜31日の開催が決定している。今年の第3回は3日間で6400人の来場者を集めた。出品銘柄数も初回から第3回まで49、67、71と増え続けている。
鈴木の中で最近特に進捗が進んでいるのが、新工場の設立だ。現在、資金の融資や補助金の申請を進めており、2016年中の着工を目指している。今のブルワリーは設立以来、設備増強はしておらず、より大きなブルワリーでベイピルスナーの委託醸造を進めてきた。これまでに日本海倶楽部(石川県)、常陸野ネストビール(茨城県)で実施し、最近は御殿場高原ビールで製造している。奇しくも、ピルスナー以外のビールに初めて出合ったブルワリーである。
「新工場ではピルスナーだけを製造し、今のブルワリーではこれまでのように多彩なスタイルのビールをつくっていくつもり」と、鈴木は言う。当初は今のブルーパブで、ラガーより熟成期間が短いエールを製造・販売して工場設立の資金を集める計画だった。しかし、ベイブルーイングは繁盛店として成長してきたが、それでも工場設立を賄うための資金調達の方法としては足りなかった。そこで委託醸造でピルスナーをつくり、樽詰めとビン詰めを外販して利益を上げる作戦を始めた。ビンは6月から販売が始まり、店頭と赤レンガ倉庫での購入、そしてメールかファクシミリでの通信販売も可能だ。工場を新設した後は、そこでつくったビールを売る直営店を展開していく計画を目論んでいる。
そのベイピルスナーは、分かりやすく言えば、本当に良い意味でサッポロのヱビスのような、濃厚ではないがどっしりとした麦芽とホップの香りが魅力だ。それでいてアルコール度数はヱビスより低く、杯が進む。定番銘柄はこのベイピルスナーのみで、準定番に位置付けられるのが、ダーチービター、ベイヴァイス(スタイルはヴァイツェン)、横浜産の大麦を使った岩崎IPAだ。
現在、横浜ベイブルーイングで製造しているビールは年間12キロリットルで、2015年の御殿場での委託醸造分は42キロリットル。合わせると年間54キロリットルを販売していることになり、年間最低醸造量が60キロリットルのビール免許を申請するための販売計画の証明として、十分な規模になっている。
これまで述べてきたことのほかにも、横浜DeNAベイスターズのオフィシャルビールを製造、横浜スタジアムで販売したり、さまざまなイベントに参加したりと、年々忙しさを増している横浜ベイブルーイング。現在は鈴木のほか2人のスタッフが加わっている。一人は2013年に入社した中村亮雄。以前は82エールハウスというビアパブのチェーンで働いていて、そこではゲストでクラフトビールを扱っていた。担当する仕事は多岐にわたり、製造も一部任されている。「想像以上に大変な仕事」と言う表情は明るい。もう一人は宮野涼太である。以前は関西の自動車メーカーに勤務していたが、クラフトビールに出合って「こんなビールをつくりたい」と決意し、横浜にやって来た。
今年4月には法人化し、同時に年中無休となった。最寄り駅はJR関内駅だが、桜木町駅からも歩ける距離にある。新幹線が停まる新横浜駅からのアクセスもいいので、横浜もしくは首都圏に行く際はぜひ立ち寄りたい。そして折々に訪れることをおすすめする。その度に何かしらの成長を見て取ることができるだろう。
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