Avery Brewing Company

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「誇りを持てるビール、そして毎日でも飲みたいビール、こういったビールをつくるということに尽きます」。ありふれた醸造哲学とも思えるが、この一見シンプルな信念は、エイヴリーブルーイングのビールづくりというアートに対する姿勢にはっきりと表れている。信念はシンプルだが同社のビール自体は決して単純ではない。ラインナップは多種多様だ。創業者のアダム・エイヴリーは、「自家醸造時代から既成概念にとらわれず、新しい味わいを生み出すことを楽しんできました。ブルワリーを立ち上げてからも、自家醸造時代と変わらぬ考えのもとにこれまで22年間やってきました」と説明してくれた。エイヴリーのビールはそれぞれのレシピや風味がとても複雑で、醸造所の規模の問題やさまざまな制約に対する創造性に富んだ解決手法、品質管理に対する頑なこだわりなどが、同社のビールに奥行きを与えている。

168名いる社員のうち、何人かとタップルームで直接話をすることができた。社員たちの魅力的な個性は製品にも反映されている。「クリエイティブで楽しい社員に恵まれています。ビールに関する新しいアイデアはいつでも大歓迎です」とエイヴリーは言う。ブルワリーチームとして、大胆なアイデアを進んで採用し、実行に移す体制ができている。一例を挙げると、同社の最近の試作ビールの一つである「ロッキーマウンテンオルソンズ」は麦芽乳ボールを使ったオートミールポーターなのだが、これは麦芽メーカーのブリース社がつくるスナック菓子からヒントを得ている。醸造作業を行いながらそのスナック菓子をいつも食べているスタッフを見た誰かが、そのお菓子と合うようなビールをつくろうと言いだした。馬鹿げたアイデアのようではあるが、私はそのビールを一口飲んですぐ好きになった。甘く滑らかで、とても口当たりがいい。麦芽乳ボールを4時間も延々と手作業で(しかも切れ味の悪いナイフで)細かく砕いて投入しているということを聞くと、一段と美味しく感じられた。

エイヴリーのタップルームでは、このほかにもいろいろな面白い試作ビールが提供されている。 Beer Badassador (イケてるビール大使)の肩書を持つジェス・スタイニッツと、Chief Barrel Herder(バレル持ち主任)の肩書を持つアンディ・パーカーと会ったときに、タップルームで試作ビールを何種類か飲んでみた。エイヴリー社のチャレンジと成功について話していると、同社の社員が持つ仲間意識の強さが感じられた。そして、次々に飛び出すジョークに笑いが止まらなかった。そのリラックスした空気は、私が飲んだすべてのビールに共通するものだった。面白いことが大好きなエイヴリーのスタッフは新しいアイデアを出すことが大好きで、麦芽乳ボールやパッションフルーツ、マデイラワインの樽など、面白いものをレシピに取り入れている。しかし、彼らはビールで遊んでいるわけではない。すべてのビールが完璧な仕上がりを見せている。週末に改めて同社のタップルームを訪れたが、テイスティングセットで飲んだビールすべてが複雑な風味を持ち、バランスが良く、工夫が感じられた。エリーズブラウンエールからホワイトラスカルベルジャンヴィットに至るまで、どれも美味しかった。

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私の個人的な好みは別としても、エイヴリーはコロラド州で最も人気の高いブルワリーの一つである。同社は1993年に父と息子で創業した。アダム・エイヴリーはロースクールへの進学を考えていたが、クオーターライフクライシス(十代後半〜三十代前半の際に感じられる、人生に対する懸念や大人になることへのストレス)に直面した彼は、父親を説得し、彼の退職金をすべてブルワリー設立に投入してもらった。それから彼らは今日に至るまで、ずっと家族経営を続けている。しかし、これまでずっと順調にきたわけではない。初めのころは、地元のビール好きに受け入れてもらうためにいろいろと苦労があったようだ。特にIPAに関しては不満の声も少なくなかったという。得意先にケグを納入した数日後に電話があり、ビールが苦すぎるので客が飲んでくれない、と苦情を言われた。実際には、1996年以降、同社のIPAのレシピはほとんど変わっておらず、69というIBU値は今日の超ホッピーなビールと比べれば大人しいものである。これは過去20年足らずの間に人々の嗜好が大きく変化したことを物語っている。しかし当時はこの苦みが人々に受け入れられなかった。しかし、エイヴリーは不評を受けていたにもかかわらず、醸造を続けた。それは彼が自分がつくるIPAの味を、そのホップの風味を好きだったからである。「やがては皆がホップ好きになってくれるだろうと予想していました。時間差でホップを投入することで得られる苦みと香りこそがクラフトビールの真髄ですから」。今日、エイヴリーがつくっている、面白く、創造性に富んだビールにはっきりと表れているのが、この「自分が飲みたいビールをつくる」という姿勢である。

こうして今ではエイヴリー本人が好きでつくっているビールは世界中で愛されるようになった。そのシンプルなビジョンによって、同社は一躍人気ブルワリーとなった。2011年には前年比63%アップという急成長を遂げ、それ以降も成長を続けている。現在、米国内では30の州に出荷されており、スウェーデンや日本にも輸出されている。同社のビールに対する市場の需要は非常に高く、そのため生産能力の問題が目下最大の課題となっている。実は、同社はもう何年も前に生産能力の限界に達していた。狭い路地に醸造所があったために、規模拡大は困難だった。同社のプロダクションマネージャーの試算では、その設備では1万バーレル以上の生産は不可能だったが、将来の移転拡張に備え、その場所に留まって操業を続ける決定がなされた結果、同社はその場所で生産規模を拡大する方法を模索することになった。そしてその試みが大成功し、昨年は約6万バーレルを生産した。どうしてこんなことが可能だったのか。私がアウトオブマインドコーヒースタウトを飲みながら尋ねると、パーカーが屋外の発酵タンクについて話し始めた。「ちょっと待ってください。それはあのサイロのことではないですよね?」と私はさえぎった。タップルームに来る途中でサイロがいくつかあることに気づいてはいたが、穀物が入っているのだろうと思っていた。屋外タンクに麦汁が入っているなどと誰が想像できるだろう。冬場は氷点下に気温が下がることもしばしばある。パーカーの説明によると、屋外タンクには6インチ程度の厚さの断熱材が取り付けられているらしい。底部の円錐の部分には断熱材が付けられないため、外側に保温のためのコーディングが施してある。それでも氷点下を大きく下回るような冷え込みが何日か続けばビールも凍ってしまう。凍ったビールのかたまりが出来てしまったタンクの洗浄方法はこうだ。ブルワリーからお湯を入れたバケツを急いで持ってきて、氷が溶けるまで何度もタンクに投入する。すると、タンクのドレーン抜きと洗浄ができるという。彼の話では、ブルワリーの全員が吹雪の中で屋外タンクの洗浄を行なった経験があるという。「新しくて快適なブルワリーに引っ越したら、従業員全員が急に太るだろうと話しているんです。バケツのお湯を何度も往復して運ぶ作業がなくなり、コンピューター制御の快適な内勤だけになってしまうのですから」とスタイニッツは笑った。

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面白い話ではあるが、醸造所の手狭さや屋外タンクといった困難は、当人たちにとっては笑いごとではない深刻な問題であり、目覚ましい成長を遂げているブルワリーの多くが直面している問題でもある。エイヴリーは信じがたいくらい困難な環境の中で、非常に手間のかかるビールを生み出し続けている。彼らは入念な安全計画と厳しい品質管理の下に操業している。「私は現状維持にはまったく興味がありません。誰も完璧なビールはつくれませんし、ビールに限らず、完璧は不可能です。しかしそれに近づける努力は必要です。そして自分自身の味覚を可能な限り楽しませるのです」とエイヴリーは解説する。エイヴリーには同社の5倍規模のブルワリーに相当する検査スタッフが勤務している。ビールの品質を維持・向上させていくために万全の配慮がなされた醸造設備、ソフトウェア、各種プログラムについてエイヴリー本人から順に説明を受けるにつれ、私は頭がクラクラしてきた。スタッフ全員がよく教育されていて、醸造の各段階で試飲検査を行なう能力を備えている。仕込みから完成までにだいたい20回くらい試飲検査を繰り返すという。検査スタッフが醸造の各段階のビールの詳細をチェックし、ゴーサインを出すまで、ビールは次の工程に進むことが許されない。簡単に言えば、検査スタッフがブルワリーを管理している。「ブルワリーはこうあるべきだと思います」とエイヴリーはきっぱりと言った。「飲みたいと思うビールをつくる」という同社のポリシーを傲慢だと考える向きもあるかもしれないが、そうではない。厳格な品質管理のおかげで、彼らがつくりたいと思うビールは最高の品質が保たれており、コロラドでも日本でも、同じ味が保証されている。

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醸造所の規模が小さいために、別の問題も生じている。ここ数年、同社は人気の高い定番銘柄を生産する時間とエキサイティングな試作ビールへの取り組みに割く時間の割合をどう調整するかについて、難しい選択を迫られている。「お客さんがすでに買ってくれているものをさらにつくり続けるのか、あるいは新しい何かに取り組むのか。醸造所の生産能力に限界があるため、試作ビールについては思うように取り組むことが困難でした」と、ジェスが説明してくれた。そのような状況にもかかわらず、これまで同社は多種多様なビールを生み出してきた。昨年は瓶または缶でおよそ30種類のビールを製造し、エイヴリーの話では、通常でも年間60種類を超えるビールをリリースしているという。タップルームでは、イングリッシュエールからジャーマンピルスナー、ベルジャンストロングに至るまで、さまざまなビアスタイルが楽しめる。まずはアルコール度数4%のセッションIPAで喉を潤し、それから19%のバーボンバレルスタウトを楽しむ、といったことも可能だ。パイロットシステムを持たない路地裏ブルワリーとして、これは悪いものではない。

エイヴリーの新しい醸造施設が2月16日にオープンした。長年の懸案事項だった製造能力の問題はついに解消されたが、それは決して一時しのぎの策という性格のものではない。「これは我が社にとって大きな賭けです」とエイヴリーは言う。「状況はまだまだ落ち着いておらず、引っ越しもまだ終わっていませんし、フル稼働できているわけでもありません」。しかしフル稼働できる日は近いと思われる。エイヴリーの物語がここで終わるとすれば、いろいろな意味で、同社の歴史はビール界のシンデレラストーリー的なものになるだろう。クラフトビールが今ほど知られていなかったころから、同社は数々の苦労を経験してきた。頭脳明晰で有能なスタッフを育成しながら、夢に描いた新ブルワリーも実現させるほどの成功を収めてきた。しかし物語はここで終わりではない。エイヴリー社の新しい醸造施設は、業界全体が成長する次のステージを象徴するものといえる。この新工場移転で、同社には新たな課題やチャンスがたくさん訪れるだろう。新しいブルワリーを設立したエイヴリーが今後も限界線を広げ続けていくことは間違いない。

*エイヴリーブルーイングは、新しいブルワリーが稼働し、バックアップ需要を供給している。そのため、同社の日本代理店であるAQベボリューションによれば、今夏後半から初秋にかけて、より多くのエイヴリーのビールが日本に輸入されることが期待できるとのことだ。

取材・執筆: Anne Abrahamson

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ジェニファー・ディッキー



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ジェニファー・ディッキーは「北東部と日本のビールの目利き」という面白い肩書きを持っていて、2年半ほどエイヴリーブルーイングに勤めている。彼女は神戸市の垂水区という小さな郊外の町で英語教師を務めていた経験があったため、日本でのセールスを任された。彼女が日本に住んでいたころは垂水区にいる外国人の数は少なく、彼女が受け持っていた生徒たちのおかげで、彼女は日本文化について学ぶことができた。主に日本のスタンダードな大手のビールと違うものが飲めるという理由から、彼女はよく神戸のホブゴブリンパブで時間を過ごした。

今年の4月、ジェニファーはエイヴリーの一員として来日したが、驚くべき変化に気づいた。彼女は以下のように述べた。「ローカルな醸造所やクラフトビアバーがいたるところにあったことは嬉しい驚きでした。昔は、私が日本にいたころは、このようなクラフトビール文化を経験する機会はありませんでしたが、ローカルなビールやアメリカの輸入ビールを提供する場所を新しく知って、とても幸せでした。アメリカのビールに近いものを見つけるとしたら、ローソンやファミリーマートにあるバドワイザーの缶ビールぐらいのものだったと記憶しています」

現在のところ、日本および世界のエイヴリーのトップセラー銘柄はホワイトラスカルだ。ジェニファーによれば、「ベルジャンウィットビアは日本料理にうってつけのスタイルのビールで、とてもすっきりしています。ラベルのイメージとオレンジ色の缶は、日本では本当に目立つと思います」という。また、大変ワクワクすることには、彼女の出張の間にエイヴリーの樽熟成ビールおよびサワービールがつくられたという。同社はこの種のビールを2016年にはさらに多く日本に輸出したいと考えている。ジェニファーは、エイヴリーの新作、リリコイ・ケポロ(ハワイアンパッションフルーツベルジャンウィットビア)をチェックした方がいいとのヒントをくれた。早めの情報に感謝したい。我々はそのビールを心待ちにしている。

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