Ballast Point Brewing Company

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サンディエゴのミラマーという地区に新しく建設されたバラストポイントの新しい建物は圧巻だ。受付の先に待っているのはサンディエゴ市内でも2番目の規模を誇るレストランの広大な空間で、さながら豪華なホテルロビーのよう。しかしここはタップルームで、しかも施設全体のごく一部にすぎない。レストランの壁の一面が大きなガラス窓になっていてその向こうに見えるブルワリーも見応えのある立派なもの。ドイツのローから輸入した銅製の巨大なろ過槽と大釜が特に目を引く。ほんの20年ちょっと前に自家醸造のためのよろず屋からスタートして、現在これほどまでに大きく成長している事実には感動すら覚える。

創設者であり最高経営責任者(CEO)でもあるジャック・ホワイトは大学生だったとき、ルームメイトのピーター・エイハーンと一緒に自家醸造を楽しんでいた。原材料の調達に苦労しているうちにジャックは、自家醸造のためのよろず屋を自ら立ち上げることを思い付いた。やがて1992年にホームブルーマートをオープンさせた時点で彼らの計画はさらに大胆なものになっていた。ピーターはマスターブルワーの認定を受けるためカリフォルニア大学デービス校に入学。ジャックは将来のブルワリー開業の資金づくりのために店に残った。二人ともビールのプロになる志を当時から持っていたのである。

彼らが従業員として初めて雇ったのは将来の進路に悩んでいた男で、彼の父は2010年にバラストポイントが最優秀ブルワリーに選ばれるまで息子の決定を快く思っていなかったらしい。その初めての従業員とは、現在最高執行責任者(COO)兼ヘッドブルワーを務めるユーセフ・チャーニーである。

Yuseff and Earl Kight, VP of Sales

Yuseff and Earl Kight, VP of Sales

「当時私は友人と一緒に世界中のビールを買い集めていました。そして実際に飲んでみてどう感じたかを書き留めていました。美味しくなかったビールをもう一度買ってしまう失敗を避けるためです。私は生物学にも興味があり、そのころ友人の一人がたまたま自家醸造について話すのを聞いて面白そうだと感じました。大学を卒業した私は法科大学院へ進むか、何か別の道へ進むか悩んでいました。その年の夏のこと、2週間前にオープンしたばかりのホームブルーマートへ行き、私はジャックとすぐに仲良くなり、次の日にはそこで働いていました」

彼らがホームブルーマートの裏手に初めての醸造設備を構えることができたのは、その4年後の1996年のことだった。「その4年間は辛かったのでは」と聞くとユーセフは、「店の業務に追われる毎日でした。一日の仕事が終わると将来のブルワリー開業に備えて自家醸造に取り組む日々でした。気持ちの準備はできていました。私は暇さえあれば自分のアパートでたくさんのビールを発酵させていました」と振り返る。

「自家醸造の店をやっている間に、優れたブルワーとたくさん知り合いになることができました」。当時ジャックたちに雇われたもう一人のホームブルワーが、現在副社長兼スペシャルティーブルーイングのリーダーを務めるコルビー・チャンドラーである。彼は前職から比べると70%もの収入減という条件を受け入れて、1997年に営業マンとして入社した。しかし、大幅な収入減も辛くなかったという。

「ブルワーの仕事は料理人のそれに近いところがあります。私は家で料理をつくることが好きですが、料理人は色々な道具を清潔に管理しておかねばなりません。ビールづくりには科学的な知識も少しは必要なので、私もずっと科学を学んできました。機械に関する知識もいくらか必要になります。機械を理解するだけでなく、時には修理することも必要ですから。こうした知識のすべてがあって、私はビールづくりに取り組んでいます」

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現在人気が高いウェストコーストスタイルビール(特にここでは南カリフォルニア)の発展において、ユーセフ、コルビー、そのほかのサンディエゴのブルワーたちが果たしてきた役割は非常に大きい。ユーセフは信頼しているパイオニア的存在のブルワーの名前を何人か挙げてくれた。エールスミスの創設者スキップ・ヴィルジーリオ、サンディエゴでおそらく初めてのクラフトブルワリーであるボルトブルーイングを1987年に立ち上げたポール・ホルボーンなどである。

「サンディエゴにはホップヘッズ(ホップ狂)の中核集団があって、お互いに知り合いなので、ビールを飲みながら情報交換をしていました。ピッツァポートのヴィンス・マーサグリアはとても興味深いビールづくりをしていましたし、ブラインド・ピッグ(現ラッシャンリバー)のヴィニー・シルゾーはすでにホッピーなビールをつくり始めていて、そこにコルビーがダブルIPAで参入しました」と、ユーセフが当時の状況を説明してくれた。

当時のホームブルワーフェスティバルでは、まだIPAスタイルのガイドラインがつくられていなかったため、コルビーのダブルIPAはストロングホッピーエールとでもいうべきものだった。バラストポイントで最も人気の高い銘柄の一つになっているスカルピンIPAはコルビーが最も誇りにしているビールである。このビールに対する彼の表現はウェストコーストスタイルビールに関する説明の中でも、最も素晴らしいものの一つだ。

「このビールのレシピを書いたのは2005年のことでした。サンディエゴスタイルともいうべき新しいビールで、シムコーやアマリロなど、華やかでジューシーなホップが合いそうなレシピでした。ライトボディのビールに華やかでジューシーなホップを重ねていきます。ドライホッピングによってホップ油を加えるのが昔からの私のやり方です。大量のホップでドライホッピングを施すと、ホップ油によってビールの粘性が増し、スカルピンらしいボディーが出来上がります。ホップ油による粘性がすでに得られているならば、クリスタルモルトからの大量の残留糖分によって苦みとのバランスを取る必要があるとは思いませんでした。こうして最終的には、より杯が進むビールが出来上がります。ほかのブルワリーは1バレル当たり1ポンドのドライホッピングでも多過ぎるくらいだと考えていました。スカルピンには1バレル当たり3ポンド近くのドライホッピングを行います。重層的なアロマがグラスからあふれ、色も味わいも華やかです。ペールエールのように飲みやすいですが、実際にはアルコール度数が7%あるのでダブルIPAに近いです」

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スカルピンの大ヒット、グレートアメリカンビアフェスティバルやワールドビアカップでの数々の受賞を背景に、バラストポイントは2006年にスクリップス・ランチという地区に移転するとともに規模を拡大した。これにより発酵槽がより自由に使えるようになり、実験的なことにも取り組めるようになった。

「当初は実験的につくっていたビールも、何年かやっているうちに定番銘柄に入れるようになりました。常に新しいスタイルを考え出すようにしています。新しいスタイルを生み出すことは会社を健全に保つために重要です。さらに私たちは自家醸造の精神を忘れないよう努めています。自家醸造の精神は今日、さらに重要な意味を持つようになっているので、私たちはリトルイタリーに研究開発を目的としたブルワリーを持っています」

そのブルワリーは同社が商業的大成功を収めた数年後の2013年にオープンした。その背景には、ユーセフが2008年に蒸留酒の世界に進出を果たしたことがある。バラストポイントはサンディエゴ初のクラフト蒸留所でもあるのだ。ワールドビアカップ2010で「チャンピオンスモールブルワリー」に選出されたことも同社を勢い付けた。

「私が法科大学院に行かなかったことを父に納得してもらうには随分時間がかかりました。ワールドビアカップでの受賞のおかげでやっと褒めてもらえました」と、ユーセフは笑顔で話してくれた。

バラストポイントの規模拡大はさらに続いた。リトルイタリーのブルワリーができてちょうど1年後、ミラマーに大規模な複合施設をオープンさせたのである。ユーセフは自分たちがやっていることのスケールの大きさをここで初めて実感したという。

「ドイツにあったこの芸術品を廃棄せず、ここに持ってきて生命を吹き込み、2年後にこれを使ってビールづくりができるようになったのは本当に素晴らしいことでした。感激して泣いてしまったほどです」

今後の方向性については次のように話してくれた。「私はセッションビールが大好きです。IPAのフレーバーがありながらとても飲みやすく友達と何杯でも飲めます。パブでゆっくり時間を過ごして友人と語り合う。人々の行動様式はそんな方向に戻りつつあると思います。ドイツやその他のヨーロッパ各国のパブは社交場として利用されていますが、そこではセッション的なビールが必要になります。よりライトなビールのニーズもあると思います。暑い日に釣りに出かければ軽快なラガーが飲みたくなるものです。クラフトビールにもライトなものがあるのだということに人々が気付けば、こうしたビールの人気も高まってくるでしょう。ドイツでライトなビールが毎年大量に消費されているのには、理由があるのです」。バラストポイントも毎年大量のビールを売り続けていくことだろう。

Colby at World Beer Cup 2014

Colby at World Beer Cup 2014

コルビーは力強く言う。「今はこれまでで最高の生産量になっていますが味のほうも今が最高です。研究開発の段階から瓶詰めまでの各ラインで何らかの不具合が見つかり、それに対する建設的な解決策が見つからない場合は生産を止めます。品質コントロールと安定性。今後10年ブルワリーが続いていくためには、これらの要素が不可欠です」

自家醸造の精神も忘れてはいけない要素かもしれない。大規模な醸造設備の導入によって手作業の部分がどんどん減っていったとしても。22年経った現在でもホームブルーマートは営業している。これからも有能なブルワーたちがこの店から生まれていくことだろう。

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