筆者のように、珍しいビールを探してビアバーや酒屋をうろつくことが好きな本誌読者なら、ベルギーの「欧和ビール」というちょっと風変わりな名前を聞いたことがあるだろう。ヨーロッパを意味する「欧」と日本を意味する「和」を組み合わせた造語なのだが、ブルワーであり実業家でもある日本人、今井礼欧がベルギースタイルのビールをベルギー本国でつくっているのだから、この社名は言い得て妙である。
創業当初からヨーロッパ、中でもベルギーをメインターゲットにしていたため、同社のビールを日本で見かける機会は少なかった。代表銘柄である欧和はクラフトビール専門のパブや、フェスティバルなどで見かけることはあったものの、その機会はごく限られていた。しかし状況は変わってきており、同社の各種ボトルビールは日本に少しずつ輸入され始めている。樽も早く日本に入ってくることが期待される。
筆者は2013年の秋に今井に会う機会があり、今年の初めには京都で再会。その際に彼がこれまでどんなビールをつくってきたか、そして今後のことなどについて聞いた。
横浜生まれの今井は大学卒業後、レストランチェーンのキリンシティに入社したが、その頃から、やがては独立して自分のパブあるいはレストランを開業することを目標にしており、就職はそのための下積みと考えていた。「ブルワーになることなど全く考えていなかった」と今井は笑う。
1999年、ドイツのデュッセルドルフ支店に転勤を命ぜられた今井は、それ以来ずっとヨーロッパに住んでいる。デュッセルドルフのキリンシティで働きながら、ホップと麦芽を日本に輸出する業務にも携わったが、ビールの醸造は遠い世界のことだと感じていた。新しいビールが発売されてもそのことを知るのはウェブサイトを通じて、という状況だった。その一方で、新発売のビールを店の客に勧める際には、そのビールがどのようにつくられたかについて詳しく知っている方が勧めやすいと感じていたのも事実。これが彼にとって大きな転機となったのである。
2001年、今井は醸造科学と蒸留科学の修士の学位を取得する目的でスコットランドにあるヘリオット・ワット大学に入学。やがて全てのコースを修了した彼はドイツのレーゲンスブルク郊外の小規模ブルワリー、Prösslbräuで醸造助手の仕事を始めた。そこで3年間働いた後、2005年に今井はベルギーにやってきた。
すぐに今井はユニークなアイデアと個性的なビールが話題となっていたブリュッセルのドゥ・ラ・セーヌ醸造所で働き始めた。しかし当時はまだ新しいブルワリーであり、生産規模も小さかったので、安定した仕事とは言い難かった。
そこで今井は自分のブルワリーを立ち上げ、しばらくの間やっていたが、人件費が掛かり過ぎて収支が合わなかった。醸造自体に掛かるコストとは別に、設備投資や、設備をクリーンに保つための費用も掛かる。それらの仕事を全て一人でこなすことは難しかったので、彼は委託醸造の方がベターだと考えた。
今井は当初、日本人がつくったビールなどベルギーで受け入れられるはずがない、と思っていた。外人がつくった日本酒など日本人は好んで飲まないだろう、という考えからだった。ところがベルギー人はそういう風には考えないことがやがてわかり、今井は驚いた。「彼らは美味しいビールが飲みたいだけなのです」と話し、さらにこう付け加えた。「彼らは地域の小規模生産者の地元の原料をビールに使いたいという考えを持っています」。地元のものを買って使うという考えは日本よりもベルギーの方が相当強いと今井は感じている。日本ではチェーンの居酒屋、ファミリーレストラン、コンビニへ行くことに何の疑問も持たない。すでに生活の一部となっている。ベルギーにもスーパーやチェーン店は存在するが、多くの人は、小さな、個人経営のレストランやバーへ行くことを好み、市場でも可能な限りそういった食料を買い求める。生産者の顔が見たいという意識が強いのだ。このベルギー人気質のお陰で自身の商売もうまくいったと今井は感じている。
そうはいっても、黒字に転換するにはずいぶん時間がかかった。アパートと倉庫の両方を借りる余裕はなかったので、ビールケースでベッドを作り、1年間は倉庫に寝泊まりしていたという。倉庫の金属製の屋根を叩く雨の音はとてもうるさく、冬はとても寒いのにお湯も使えなかった。しかしそうしたことも今は過去のこと。今井はビールの仕事を軌道に乗せることができた。とはいえまだまだ安心できる状態にはほど遠いらしい。今井はブリュッセル市内で串焼き屋「串亭」も経営しており、そこではもちろん欧和ビールが飲める。料理もほとんど自身でこなす。
今井はとても謙虚な人柄で、穏やかな口調で話す。ブルワーとして成功し、しかも海外でブルワリーを経営している割には謙虚過ぎる感じさえする。なにしろ日本のビール好きにとってはちょっとした英雄のような存在である。今井はドイツ語と英語を完璧に使いこなし、フランス語とオランダ語にも通じている。マーケティングや宣伝には関心がなく、人々が飲みたいと思うビールをつくり続ける。そんな保守的なベルギーのブルワーのイメージをも今井は備えている(ランビックのボトルのラベルは美しい和紙を採用しており、それゆえ販売価格は相当のものとなっているのだが)。
欧和の現在のラインナップは全部で6種類。欧和(5.5%)はフルーティで土のような香りもあるベルジャンペールエール。「黒欧和」(8%)はチョコレート、レーズンのフレーバーと複雑な旨みを併せ持つストロングベルジャンダークエール。数量限定ながら毎年リリースされる「欧和グランクリュ」(8%)は黒欧和をボルドー産赤ワイン樽で10カ月熟成させたもの。熟成によりチェリーやイチジク、ドライフルーツ、ウッディなノートが加味され、複雑な風味を生み出している。
さらに興味深いのは3種類のフルーツランビックである。フランダース地方の古い伝統に従ったスタイルで、今井はデ・トロフ醸造所(ランビックを使って甘いフルーツビールをつくっている歴史ある醸造所)の各種ランビックにフルーツを漬け込むという方法でフルーツランビックをつくっている。しかし今井がつくるのはクリークやフランボワーズではない。いかにも日本的なフルーツを用いた、ひねりの利いたランビックが欧和ビールの魅力である。
「Yuzu Lambic」は冷凍状態で輸入した和歌山産の柚子の皮を使い、今井が自らランビックの風味付けを行っている。1バッチ仕込むのに80時間もかけるという。そして4か月熟成のデ・トロフ・ランビックに2カ月間柚子の皮を漬け込むのだが、375mlボトルあたり柚子を1個の割合で使っている。出来上がったビールは柚子が豊かに香り、甘みもやや後を引く感じ(ただし欧和の各種ランビックには砂糖や甘味料の添加は一切ない)。ランビックらしい素朴なキャラクターを持つ、ドライで爽やかなビールに仕上がっている。
「Ume Lambic」も和歌山産の冷凍フルーツを使っている。ランビックに使用すると細胞壁が壊れてフレーバーがより豊富にビールにもたらされるので、梅はランビックに向いていると今井は言う。デ・トロフの1年物のランビックに、375mlボトルあたり梅を3~4個の割合で2カ月間漬け込む。出来上がったビールは強い酸味があり、梅が豊かに香るファンキーな風味が特徴。ランビックに慣れていない人にはとっつきにくい味だが、ランビック好きにとってはそれがたまらない魅力となる。
「Sakura Lambic」は欧和の最新フルーツビール。ここ数年、日本国内で出てきているその他の桜ビールと同様に、Sakura Lambicは春の風物詩である桜餅で使われているものと同じ、塩漬けした桜の葉を使用している。3か月熟成のデ・トロフ・ランビックに桜の葉を3カ月間漬け込んで出来上がったビールは少し甘みがあり、桜と餅(ただの私の気のせい?)のようなフレーバーと塩味も感じる。欧和のランビックの中では最も酸味が穏やかなので、初心者にも飲みやすいだろう。3種類の中では最も斬新なランビックともいえる。
今井が次に考えているのはベルジャンヴィットだという。串亭で出している日本料理に合いそうだから、というだけでなく、日本でもウケが良さそうだからである。
彼が日本に帰国し、開業する予定は今のところない。考えてはいるが、実行に移すことは経済的に厳しいという。ブルワリーは立ち上げ費用がとても大きいし、年間最低60,000リットルというハードルも高い。税金も高い。「日本は小規模ブルワリーのための税制上の優遇措置が足りない」と今井は言う。ベルギーではブルワリーの規模に応じて税制が4段階に分かれており、欧和の330mlボトルにかかる税はわずか0.05ユーロ(約7円)。日本では1本あたり約65円の酒税がかかる。欧和ビールを日本で飲みたいと思っても、今のところは輸入ボトルで我慢するしかない。欧和がつくるビール総量のうち20%が日本向けであり、近い将来この数字はまだ上がることが予想される。日本に入ってくる欧和ビールのほとんどは関東圏の伊勢丹で販売されているが、筆者は東京駅構内のビール専門店や名古屋でも欧和ビールを見かけたことがある。しかし、この日本で欧和の素晴らしいフルーツランビックを樽生で飲める日が来るまで満足は出来ない。たとえもうしばらく待たなければならないとしても。
Mark Meli
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