In Memoriam: Jack Joyce



この春、ローグエールの創設者であるジャック・ジョイスが亡くなった。彼はクラフトビールの先駆者であり、アメリカンクラフトビールを日本に輸出した初めての人であった。えぞ麦酒および札幌の麦酒停を率いるフレッド・カウフマンは、ここにローグとの絆を振り返る。

私がジャック・ジョイスに初めて会ったのは1993年のこと。えぞ麦酒を醸造するためワシントン州オリンピアへ旅立った後のことだった。そこでのブルワリーとの契約は実現しなかったものの、彼らは私にジャックを紹介してくれた。オレゴン州ニューポートまで車を運転し、夜はジャックと共にビールとギャンブルに没頭した。

その翌日、我々のコーヒーが入ったバッグの後ろでジャックが契約書を作成し、その後20年にもわたる関係が始まった。ジャックは霧がかった空港でジョン・メイヤーと出会い、彼を醸造長として雇うという才気を発揮した。前職でナイキ社の重役を務めていた彼はスポーツビジネスのためアスリートを雇ったが、彼の埋もれた才能を嗅ぎ出す能力はビールの世界にも拡大された。

ジャックの哲学は、まずはジョンに醸造させ、その後そのビールにいくらの値をつけるべきか理解させることにあった。今日に至るまで、そのようにしてローグはビールをつくっている。醸造士に何をすべきか教える会計士がうまいビールをつくるわけではない。

最初、ローグを輸入する前は、単にえぞ麦酒を日本で売っていた。「フレッドのなまらにがいビール」という特別なビールをつくった際、「警告: 政府に注意せよ」と「警告: 飲み過ぎは妊娠を引き起こす可能性があります」という2つの政府警告をラベルに記載した。ジョンと私が3つめのバッチに取りかかっていたとき、ジャックがボトルを見た。気分を害したジャックは、「今後、一切のボトルは私のチェックを受けねばならない」と言った。彼があれほど怒ったことはかつてない。とはいえ、現在ではボトルはローグ博物館に展示され、そのポスターも本社に飾ってある。

20年の長きにわたってジャックと付き合えたことは幸せなことだったし、彼は本物の「ワル」だった。

ジャック・リロイ・ジョイス(1942-2014)

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