営業やマネージメントといった選択肢もある中で、なぜブルワーの仕事を選んだのですか?
会社のことをもっと深く知りたいという気持ちがあり、そのためには醸造について知ることが不可欠だと思いました。清酒よりも多くの材料を使うビールの方がいいかなと思い、ビールの方が自分に向いているような気もしていましたから。ビール醸造については醸造長の辻から教わったり、広島の醸造学校に通ったりしながら3年くらい前に始めました。
どんなところが難しいですか?
初めの頃は力仕事が多かったです。小西は清酒も造っていますし、とても保守的な社風ですので私のトレーニング方法もそうした社風を反映し、見て学ぶ、というやり方でした。実際に醸造工程に少しずつ関われるようになったのは2年目に入ってからでした。ウチで使っているボイラーは手が掛かる古い型なので、煮沸の工程が一番大変だと感じています。発酵も初日はとても神経を使います。
造ったビールを廃棄処分した経験は?
幸い、私がビール造りに関わり始めて以降、廃棄はありません。清酒ではありましたが。
レシピ作りに関わったビールは?
レシピには工夫を凝らしていて、例えばGarnet Rougeというビールはワインに近い感じなのですが、赤い色を出すのに苦労しました。最初はシソの葉や各種ハーブを使うことを考えましたが、最終的に黒米を使うことで赤い色を出すことができました。ホップはネルソン・ソーヴィニヨンで独特のアロマがあります。フルーツ類は一切使っていません。
あるビールを造ったらそれを評価して、次回はこんなやり方で造ろう、というフィードバックも行います。ですが私はまだ一からレシピを作り上げた経験がありません。そんなにたくさんのビールを造っているわけではないので、リスクが高いということもあります。でもいつかは100%オリジナルのレシピを一つは作ってみたいと考えています。
御社は清酒も造っておられますが、清酒用の酵母をビールに使ってみたことは?
幸民麦酒というビールは清酒酵母を使っています。ペリー提督の通訳をしていた川本幸民にちなんで名前を付けたビールで、彼は仕事柄、ビールを飲む機会があり、日本で最初にビールレシピを作った人物といわれています。そのレシピは今でも残っていて私たちはそれをよく調べてみたのですが、一体彼はどんな酵母を使ったのだろうという疑問が湧きました。清酒酵母ではないかということで実際にやってみたのです。彼は兵庫県出身でしたから、当時の小西酒造の酵母を使った可能性もあります(笑)。ある時、市役所の方から川本幸民が造ったビールを再現できないかと打診があり、2008年から造り始め、現在も造っていますが、このビールはなかなか難しい。活発な清酒酵母を使ってバランスのとれた風味に仕上げるのはかなり難しいです。
御社は早くからクラフトビア造りに参入していますが未だにあまり大規模にはやっておられませんね。かつての地ビールブームが一過性のもので終わってしまった記憶からでしょうか?
小西は地元密着型でしたから当時のブーム終焉の影響はさほど受けませんでした。自分たちが造るものに責任を持たなければならないことを知っていましたし、そのことをとても重視していました。それで最初から現在に至るまで規模はあえて小さくしているのです。当時、ほとんどの地ビールメーカーがドイツビールのスタイルを踏襲していた中で小西は最初からベルギースタイルを選びました。ベルギーのように小規模な設備と確かな技術、そしてベルギースタイルの原料の調達を目指しました。焦らずゆっくり、イベントなどへの参加も控えめでした。他社を意識したりイベント参加を積極的に始めたのはごく最近のことです。
ビール造りにはこれからもずっと携わっていきたいですか?
そのつもりですが会社の都合で社内での異動はあり得ます。しかし輸入部門にせよ、製造部門にせよ、ビール関連の仕事を続けたいと思っています。
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