近隣の住民でない限り、特別な事情がなければふらっと行くことがない地域の一つが、富山湾沿岸ではないだろうか。クラフトビアファンにとってはまずタナバタビアフェスタトヤマが思い浮かぶし、その場でビールを楽しめるブルワリーもある。それだけではなく、豊かな海産物、立山連峰、温泉など、ビール旅行とともに訪れたい魅力が沢山ある。
能登半島のほぼ先端にある石川県能登町に1998年にオープンしたのは、ビールの製造・販売とレストランを営む日本海倶楽部である。ブルワリーの母体は石川県白山市で障がい者、高齢者、児童のための施設を運営している社会福祉法人「佛子園」だ。
醸造免許を取得して実際にビールづくりを始めるにあたり、同法人の理事長はヨーロッパ巡りを敢行。様々なビールに触れるなかで、まずピルスナーをつくろうということになり「どうせ作るなら元祖である、チェコ式がいい」となった。
醸造を始めるためコンサルタント企業の協力を仰いだところ、その会社にはマチェスカというチェコ人が在籍していた。チェコ風のビールをつくるならとマチェスカから紹介されたのがチェコ人のブルワー、ステファンだった。彼の学校の後輩、ジージャが2代目醸造長を継ぎ、現在はジージャの同級生のコチャスが3代目となっている。この学校とは、首都プラハにある4年制の食品に関する専門高校であり、彼らはそこでビールづくりの基礎を学んだ。卒業後、コチャスは魅力的なダークラガーを手がけるベルナルドに入社し、その後ジージャの紹介で日本海倶楽部にやって来た。
現在、レギュラー銘柄として「ピルスナー」「ヴァイツェン」「ダークラガー」「奥能登伝説」を展開。ほかに限定醸造もあり、私が取材した際は「インペリアルブラウンエール」という挑戦的なビールを楽しむことができた。
日本海倶楽部に面する海は確かに日本海だが、富山湾の内海でもあり、波は穏やかで透明度が高い。ビールとおいしい料理を楽しむ前に、敷地内の全長52メートルに及ぶ長い滑り台から海を眺めよう!
1997年4月に醸造を開始した宇奈月麦酒館。設立当時は後に黒部市に合併される宇奈月町にあり、宇奈月温泉を中心とする観光と農業が主な産業だった。しかし農業は次第にかげりを見せ、まちおこしと雇用の創出のために、町と商工会議所による醸造施設とレストランを運営する第三セクターとして出発した。「そのタイミングで私は入社し、以来ビールをつくり続けています」と語るのは、製造部マネジャの森下雅仁である。
オープン時のレギュラー銘柄はケルシュ、アルトであり、季節限定醸造として春:ヴァイツェン、夏:ピルスナー、秋:ドュンケル、冬:ボックを展開していた。特にボックは1998年にドイツ人ブルワーの技術指導を受け、その味が磨かれた。2000年にボトル販売を始めるころには、現在のラインナップであるケルシュ(十字峡)、アルト(トロッコ)、ボック(カモシカ)が固まった。
宇奈月ビールの特徴は何だろうか。水道水を使っているというが、この水道水こそが名水として知られる黒部の水である。水のおかげも多少はあるだろうが、ここのビールはいずれもスッキリしている。また、クラフトビアメーカーには珍しい製麦設備がある。ここで地元産の大麦を製麦するのだ。もちろんこの麦も黒部の水が育てたものだ。
2012年には、国際ビール大賞でカモシカが金賞を獲得した。このコンペは審査員43人中、17人が海外からの参加者であり、チャーリー・パパジアン氏をはじめそうそうたる顔ぶれがそろい、実に国際色の強いものだった。森下は評価シートに書かれた「Good job!」というコメントを見て、世界レベルで認められたことを実感したという。
自動車の板金工業を営むと同時にビールを作っているのが城端麦酒(富山県南砺市)だ。醸造長の山本勝と彼の父親が発泡酒の醸造免許を取得し、2001年に製造を開始した。
しかし、しばらくは厳しい状態が続いた。地元の祭に出店しても3杯しか売れない。「売れても『まずい』などとボロクソに言われました。悔しさに耐え、祭は製品のヒアリングの場と思い直しました」。客は目の前の売り子をブルワーとは思わず、何でも言ってくれる。山本は率直で有益な言葉を参考に、改良を重ねた。
それでも発泡酒醸造の条件である「年間6キロリットル以上の製造」の壁は高かった。初年度に続き2002年もクリアできず、2003年にはついに税務署から「今年ダメだったら、やめましょう(免許を更新しない)」と言われてしまう。山本は「『とりあえず』ではない、2杯目以降のビールをつくろう」と開き直り、桃を使った「Sakura」、カシスを使った「Kaede」を開発。出店したイベントなどで好評を博し、その年の製造量は7キロリットルを達成。レギュラー銘柄の「はかまエール」や「麦やエール」を知ってもらうきっかけにもなった。
2005年には取引先やファンの勧めもあって国際ビール大賞に出品し、三つの賞を獲得。山本は自身の喜び以上に、ファンや取引先が喜んでくれたことが嬉しかったという。そうして認知度が上がるにつれ、地元からの声も温かくなっていった。やがて後述のタナバタビアフェスタトヤマの開催を主導するなど、躍進が始まる。
富山湾の中心都市、富山市にあるブルワリーがオオヤブラッスリーだ。一人で切り盛りする大谷崇のビール造りのキャリアは、1999年にブルワーとして就職した船峅高原農場から始まった。
入社してすぐ、協同商事(コエドビール)に2週間の研修に行き、ドイツから来たブラウマイスターと同社の4人のスタッフからビールづくりを教わる。特に野菜やフルーツの扱い方を学んだ。
そして2000年、ついに船峅高原農場で醸造を開始。「風舎の丘ビール工房」ブランドを展開するも、同社は2007年にビール事業を止め、ついには会社をたたむこととなった。その直前、大谷は研修でベルギーのほぼ全土を巡った。
帰国後、大谷は自分でブルワリーを開くことを決意し、同年12月25日に醸造免許を取得、富山駅の南側に工場兼販売所をオープンした。屋号に「ブラッスリー」を入れているのは、ベルギー研修の影響である。ブルワリーは富山駅前に開き、2008年から販売を開始。当時のラインナップは「越中風雅(ペールエール)」とカカオを使った「ショコラノワール」だった。
2010年には、工場を市内の実家の敷地内に移転した。
大谷がビールづくりで大切にしているのは、個性的であること。他社はそれをあまり意識していないと大谷はいう。この考えを体現する銘柄が、いくつかのハチミツビールだ。「ハチミツの由来となる花によって仕上がりが違う。例えば柿由来は非常にスパイシーですね」と大谷は味わいの微妙な違いに注意を払っている。
山本と大谷が中心となって毎年7月に富山市の中心地で開催しているのが、タナバタビアフェスタトヤマである。首都圏や関西圏からも多くのファンが参加する。2008年の第1回は、山本と富山市内のビアパブ(現在は閉店)の店主が実行委員となり、富山県内の城端麦酒、オオヤブラッスリー、宇奈月ビールの3社に加え、県外から9社が参加した。
山本は開催直前まで、お客さんが十分に来てくれるかどうか不安だった。そこで打った策が、「青色のビール」を開発し地元のブロック紙である北日本新聞に取り上げてもらうことだった。記事が掲載されるや前売りチケットの問い合わせが殺到、予想を大幅に上回る集客数を達成した。この青色のビールが、後の「グレートブルー」である。以後、2012年の第5回まで、来場者と参加ブルワリー、ビールの販売数はいずれも増え、スペースの都合でこれ以上規模を大きくできない、と嬉しい悲鳴が上がるほどになった。消費ビール量は、初回のほぼ2倍になった。ほとんどの回で実行委員長を務めてきた山本は「僕は積極的に攻めていくタイプですが、大谷さんは冷静沈着な人です。互いに助け合える良いコンビだと思います。」と笑う。第5回は来場者が市内でもう1軒寄れるようにと、クローズの時間を従来の21時30分から20時30分に変更し、まちなか活性につなげようとしている。
前述の富山市内のビアパブが閉店してしまったのは残念だが、最近では市内の繁華街にある飲食店「多国食彩 Oeuf」が積極的にクラフトビアを展開している。城端麦酒やオオヤブラッスリーなど県内のボトル・缶はもちろん、週末は日本各地のクラフトビアをケグで提供している。客からは好評で、たいていは週末のうちに2樽が捌けてしまうほどだ。
富山湾沿岸の美しい山や海を楽しむには、やはり夏が一番良いだろう。しかし、ブリなどの海産物は冬が本番だ。そして今回取り上げたように素晴しいブルワリーがそろっている。おいしいビールは季節を問わずに楽しめるのだから、行くタイミングを待つ必要はないのだ!
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