photos & text: Ry Beville
クラフトビアの世界で彼の名前を知らない人はほとんどいないだろう。クラフトビアの伝道師であり、ビール評論家の故マイケル・ジャクソンや、シエラ・ネバダ・ブルーイングの創設者ケン・グロスマン、アンカー・ブルーイングを救ったフリッツ・メイタグらに匹敵するほどの功労者でもある。
しかし日本に限っていうと、まだホームブルー(自家醸造)が法律で禁止されているという現状や、クラフトビア文化も始まったばかりというような事情もあり、チャーリー・パパジアンの名前と功績はそれほど知られているわけではない。そこで今号ではアメリカで日本のクラフトビアを積極的に紹介している彼の努力に敬意を表して特集を組み、日本のクラフトビアについての彼の思いを紹介しよう。
パパジアンにはホームブルーについての著作がいくつかあるが、特に「自分でビールを造る本」Complete Joy of Home Brewingは90万部以上売れている代表作。およそ100万人のホームブルワーがいるとされるアメリカの成熟したホームブルー文化を詳しく解説している。彼は1978年に米国ホームブルワーズ協会を立ち上げた。この組織は現在全米の1000を超えるホームブルークラブから成り、会員数は28,000人を超える。同年、彼はホームブルーのサポートを目的とする雑誌Zymurgyを創刊している。
アメリカのホームブルーコミュニティの間では、パパジアンはBrewers Association of America(ビール醸造者協議会)の会長として、あるいはグレート・アメリカン・ビア・フェスティバルの発起人としてその名が知られている。世界的にみれば彼は隔年で開催されているワールド・ビア・カップの発起人として、また同イベントの顔として有名である。ワールド・ビア・カップは今や、95ものカテゴリーで3921種類のビールがエントリーされ、54の国々から800人近いブルワーたちが参加する盛大なコンペティションとなっている。また数年前に彼はインターネットを通じて誰でも気軽に投票できるBeerCityUSAを立ち上げた。これはノミネートされた各町の熱心なファンたちによるネット投票数を集計し、ビアシティーのタイトルを競うコンテストである(4年連続でタイトルを獲得したノースカロライナの町、アシュビルを前号で特集)。
僕が初めて彼に会ったのは今年の春に開催されたワールド・ビア・カップで、ジャッジを務めた者同士としてだった。休憩時間に少し話す時間があり、ホームブルーの意義について意見を交わした。日本では酒造免許を持たない個人が1%以上のアルコールを含む飲料を造ることを法律で禁止していることから、本格的なビールを自宅で造ることは違法となる。ちなみにアメリカではアラバマ州とミシシッピ州にのみ日本と同様の規制が敷かれている。もしこの規制が撤廃されたら日本はどうなってゆくだろう?
「ホームブルーはクラフトビア産業の健全化に寄与します」とパパジアンは言う。「アメリカから学ぶとすれば、アメリカの今の素晴らしいビア・カルチャーの源はホームブルーだったということです。現在活躍中のブルワーたちの多くはホームブルーを通じてビールに興味を持ち、そのキャリアをスタートさせています。また、ホームブルワーたちはプロのクラフトブルワーが造る新しいビールを応援し、サポートしてくれる存在でもあります」。
日本の規制は簡単には無くならないだろう。議員などに法改正を陳情する機会も一般市民にはそうそうあるものではない。規制撤廃に必要なのは何か、そのヒントを彼に尋ねてみた。
「クラフトビア産業の振興は新たな雇用を創出します。またホームブルーの普及は人々のビールに対する理解を深め、それがクラフトビア産業の振興に直結することになります。実際、ホームブルーコミュニティのお陰でクラフトビア産業が大きく振興してきた国は多いのです。例えばデンマーク、アルゼンチン、オーストラリアなどです。ホームブルーが解禁されればビールに対する理解が深まり、優秀な人材が育ってくれる環境が整います」。
今は本格的なビールを造ることを許されていない日本のホームブルワーも元気を出してゆこうではないか。パパジアンは1970年代を通じてアメリカでホームブルーを教えるクラスを開講し、その普及と啓発に努めてきた。そうした彼の功績もあってアメリカでホームブルーがやっと解禁されたのは1979年、そんなに古い話ではないのだ。
「私が当時クラスで教えているところへ関係官庁のお偉いさん方がよく偵察にやって来たものです。彼らは決まって白のワイシャツにネクタイというお堅い恰好でやって来たのですぐに分かりました。しかしやがて分かったことは、あくまでも自分個人で楽しむ目的で造るのならお咎めなし、ということでした」。
盛り上がりを見せたワールド・ビア・カップから数カ月が経った頃、私は改めてパパジアンに会って話す機会を、ここ日本で得た。彼は日本地ビール協会主催の国際ビール大賞と国際クラフトビア会議2012のために来日していたのである。ビールのコンテストなどでパパジアンと共にビア・ジャッジを務めるのは一体どんなものか、皆さんは想像がつくだろうか。彼は私が生まれる前から今日までずっとホームブルーをやってきているベテランだ。だから私は最初とても緊張した。しかしクラフトビアを愛する人々の橋渡し的な役割を担ってきたという意味では私と同じであり、しかも彼は素晴らしいジャッジとしてのセンスを持っている。しかるべき時には厳しいジャッジを下すことももちろんあるが、彼はとてもフェアでバランスのとれたジャッジを行う。
今回の来日後、上記のコンベと会議の前後の日程を利用してパパジアンは日本各地のブルワリー、ブルーパブ、クラフトビア・バーなどを訪ねて回ったという。その感想はその後彼がアメリカに帰ってから記事になって雑誌に掲載された。その記事には日本のクラフトビアシーンが大きく成長しつつあるとの印象を彼が抱いたことが書いてあったので、彼にさらに日本のクラフトビアについての所見などを詳しく聞きたいとの思いから、今回私は再度彼にコンタクトを取った次第である。
最近の日本のクラフトビア業界で、何か明るい兆しは?
クリエイティブで、よく教育されたブルワーが増えてきていますね。世界的標準となっている伝統的な製法を踏襲する一方で、新しい方法を試みたり、地元の原料を使ったりして、クリエイティブかつバランスのとれたビール造りに成功するブルワーが増えています。
日本でクラフトビアが更に広く受け入れられるために業界にとって今後必要なのは何だとお考えですか?
クラフトビアが美味しくて魅力的なものだということを消費者にアピールする努力を、クラフトブルワーやクラフトビアコミュニティーが怠らず継続していくことです。消費者、小売店、問屋、そして各メディアに対してもクラフトビアの魅力をアピールしていく必要があります。日本のクラフトビアの魅力がフレーバーと種類の豊富さだとすれば、料理人、ホテルの支配人、バーのオーナーなどもクラフトビアの美味しさと魅力を理解し、お客さんにアピールしてゆかねばなりません。かつて日本のビールはどれも軽い飲み口で味も似たり寄ったりでしたが、今はそうではないということをお客さんに知ってもらい、啓蒙していく努力が必要です。
アメリカでのクラフトビアの成長の背景にはどんなことがあったのでしょう?
まず、ビール好きの中でも若い人たちがクラフトビアの世界でマネージャーになったり店舗のオーナーになったりして決定権を持つようになり、業界を牽引する力になっていることが挙げられると思います。小規模なブルワリーが造るクラフトビアがアメリカ全土に流通した結果、劇的な変化を遂げた町もあります。品質が向上し、製品の供給も安定してきたことが認知され、どんどん流通していったのです。ビール好きがクラフトビア志向になっていること、彼らがクラフトビアの価値を理解していてそのためには多少の出費は惜しまない、ということを、ビールを扱う問屋が小売店、レストラン、ホテル、バーなどに対してアピールしてきた結果です。こうした動きが上手くいっているのは、アメリカでは問屋やブルワーの意識が高いからに他なりません。
アメリカのビールは日本でも人気ですが、逆に日本のクラフトビールはアメリカで受け入れられるでしょうか?
もちろんそれはあり得ます。しかしそのためには品質の安定が必須ですし、特に小さなクラフトブルワリーの場合は、まず本格的な製造設備で品質の良いものを造り、出来上がった製品がアメリカまで輸送される間に品質が変わらないこと、これらをクリアしてからでないと輸出するべきではありません。変質したり、気が抜けてしまった日本のクラフトビアがアメリカで売られたりしたら日本のクラフトビア全体が悪いイメージを持たれてしまい、自らの首を絞めることになるでしょう。
This article was published in Japan Beer Times # () and is among the limited content available online. Order your copy through our online shop or download the digital version from the iTunes store to access the full contents of this issue.