ノースカロライナにあるアシュビルという町はいわばクラフトビアの北島康介的な存在。オリンピックで4回も優勝し、ロンドンで再び金メダルを狙う北島選手のように、アシュビルは4年連続でBeerCity USAのタイトルを獲得した。チャーリー・パパジアンによって運営される同コンテストはインターネットを通じて投票を募る形式。ノミネートされた各町の熱心なファンたちによるネット投票数を集計するだけだが、まあ人気の参考程度にはなるだろう。
比較の参考までにいうと、アシュビルの人口は8万人余りだが、町を取り巻く各郡も入れると40万ちょっとになるので、日本でいうと高松や横須賀あたりの規模に相当する。アシュビルには11の独立したブルワリーがあり、今年中にあといくつか増える予定。構想段階ながら注目すべきはニューベルギー・ブルーイング社の2つ目となるブルワリー。地域全体でみるとさらに10のブルワリーがあり、それ以外に計画段階のものもいくつかある。その中で要注目は大手のオスカーブルース・ブルーイングやシエラ・ネバダの2つ目となるブルワリーだ。スターバックスの数よりもブルワリーの数のほうが多いのはアシュビルならでは。クラフトビアを提供するバーやレストランの数は一体どれくらいになるのか分からない。
単なる数だけの話ではなく、アシュビルがクラフトビアのメッカとされる理由は他にもある。ローカルクラフトビアの第一人者であるアン・フィッテン・グレンに聞いた。
「美しい山々が連なるこのエリアには自主性と創造性をもったクラフトビア愛好家たちがたくさん住む素晴らしい町、アシュビルがあります。この町には年中観光客が訪れますが、特にここで造られたビールを目当てにやってくる観光客が目立ちます。このエリアのきれいな山岳水は美味しいビール造りに欠かせません。アシュビルのビールを飲むことは以前はマニアだけの楽しみでしたが、今では一般の人たちの楽しみとして定着しています」
アシュビルに住む人たちの気風も間違いなくこの町のクラフトビアの成長に貢献している。様々なものを受け入れる柔軟性に満ちたこの町をヒッピーの町と表現する人いる。一種のしたたかさもここでは普通に許容されているように思える。音楽や各種アートも盛んだ。ジャック・オブ・ザ・ウッドというバーではグリーンマン・エールを始め、選りすぐりのビールを揃え、ハイレベルのミュージシャンたちによる生演奏が聞きもの。アシュビルの人たちは話好きで、一緒に何かをするのが好きで、ここにはある種のコミュニティーが構築されている。またアシュビルにはブルワー同士の交流を目的とした組織もある。
アシュビルは食べ物もおいしい。トゥペロ・ハニー・カフェで食べた南部料理は最高の味。この店には限定タップや、アシュビルでもここでしか飲めないというカロライナ・ブルワリーのビールも置いている。バーレイズ・タップルーム&ピゼリアのピザも外せない。1920年代に建てられた古いビルに入っている同店にはステージもあり、生演奏が聞ける他、一階には24種類のタップが、二階に上がればさらに19種類のタップがあり、ビリヤード4台、ダーツボードも5つ設置しているので退屈しない。アシュビル・ブルーイングには家族で楽しめるブルーパブがあり、ここのピザもとても美味しく、映画館も併設している。町の中心部に近いところにもう一つブルーパブを持っており、こちらには中庭もあってさらにカジュアルな雰囲気。ここのニンジャ・ポーターはおすすめ。ボリュームのあるピザとサースティー・モンクというビールは最高の組み合わせ。雑誌や色々なサイトでアメリカ国内といわず世界でもトップの部類に入るバーとして取り上げられ、二つのフロアを持つこのブルーパブでは30種類以上のタップが楽しめる。上の階ではアメリカ国内外の様々なクラフトビアを飲むことができ、下の階ではベルギービールと、アメリカ国内で造られたベルギースタイルのビールを楽しめるようになっている。
前述のとおりジャック・オブ・ザ・ウッドでグリーンマンのビールが飲めるが、市の中心部にあるグリーンマン・ブルワリーのテイスティングルームに行ってみるのもいい。ここが造るフルボディーのエールには間違いなくノックアウトされるだろう。またウェッジ・ブルーイングのブルーパブは小規模のブルーパブに対する考え方を変えてしまうほどのインパクトがある。私たちが実際に訪問した中では間違いなくベストの部類に入るウェッジのブルワリーとテイスティングルームは町の中心部近く、美しいリバー・アーツ・ディストリクトというエリアにある。車で行けるブルワリーを一つ選ぶならハイランド・ブルーイングだ。ここはアシュビルのクラフトビアの中心的存在になっており、その広大なテイスティングルームは特に週末のライブイベント時には地元の人たちでごった返す。ブルワリーツアーもあり、無料ながら同時に寄付も募っている。寄付は現金または食品の缶詰で行うようになっていて、缶詰はマナ・フードバンクに贈られる。
アシュビルのクラフトビアの活況ぶりはとてもここに紹介し尽くせないし、ここで紹介した以外にも素晴らしいところはたくさんある。ぜひ現地に行って地元の人にお気に入りやお勧めの店を聞いてみよう。それがきっかけで友達ができるかもしれない。最高のクラフトビアとごちそう、そしてフレンドリーな人たち、それがアシュビルの魅力だ。
Highland Brewing Company
ハイランド・ブルーイングは禁酒法時代以降合法的に設立されたブルワリーとしては、ノースカロライナ西部では初のブルワリーであり、同エリアではクラフトビア業界を引っ張ってきたブルワリーとして知られている。創業者、オーナー、そして社長としての顔も持つオスカー・ウォンは1994年の創業以来会社の舵を取っているが、その道のりは決して平たんではなかったようだ。
「収支がとんとんの状態までくるのに8年も掛かりました。本物を造ろうと思えばそれなりのコストが掛かるものです。事業拡大や販路拡張に掛かるコストとは別の、安定して売れるものを時間を掛けて作り出すためのコストです」とウォンは言う。
当然ながらクオリティの高いものを造ることが重要で、この点については創業当初からのメンバーである醸造長のジョン・ライダの功績が大きい。物静かで控えめな印象のライダだが、シーベル醸造科学技術研究所で学んだ彼がハイランドを成功に導いた、とウォンは言い切る。
2000ガロンのラガーのタンクが3つもダメになるなど、初めの頃は失敗の連続だった。しかしライダはその失敗したビールを使ってブレンディングという方法で新たなビールを造り出した。今では人気となっている同社のオートミールポーターはそうして生まれたものだという。
なぜ初めからそんなに大きなタンクを使ったのだろう?
「そうですね。確かに大き過ぎました」とウォンは言うが、ライダは現在あえて3バーレルシステムを試しているという。「失敗しても3バーレル廃棄すれば済むことですから」ということらしい。
ジャマイカ生まれのジャマイカ育ち、中国系の両親をもつウォンはノートルダム大学卒業後、エンジニアリング関係の事業を始めた。
「エンジニアリング関係の知識を得たお陰で、ビールの醸造に使う設備や法的な要件に対する理解がスムーズにいきました」。その後そのエンジニアリング会社を売り払ってシャーロットに移住し、そこであるブルワーに出会う。そのブルワーは実務経験も資金もあるビジネスパートナーを探していた。ウォンは適任と思えたがアシュビルでの開業にこだわったことが問題になった。結局ハイランド・ブルーイングはBarley’s Taproom & Pizzeriaという店の地下を借りて創業し、2006年にアシュビルの現在地の広い土地に移転した。
ウォンは現在、愛娘のリアに仕事を教えており、将来は彼女に事業を継いでもらうことを考えている。ウォンが今の仕事を始めたのはリアが大学を出たばかりの頃で、当時ウォンの頭には娘を後継者にしようという考えはなく、リアには何か別の道を見つけるように勧めていたという。数年後、セールス担当者を雇う必要が生じた時にウォンはリアにセールスをやる気があるか聞いたが彼女は断った。「私は当時別の仕事に就いていたので父には、今は手伝えない、と伝えました。私が父のところに戻ってきたのはそれから何年か経ってからでした。そんなわけで、なかなかお互いにタイミングが合いませんでした」。そんな紆余曲折を経て今の彼女はブルワリーでの仕事を楽しんでいるようだ。
父親の事業を継ぐことにプレッシャーは無い?「従業員の人たちに対する責任の重さを感じます。皆が元気に楽しく働けることがとても大事なことですから」。仕事をする上で重要なことは?「会社が大きくなるにつれて私自身も成長してゆかねばなりません。自分の能力を高いレベルで維持するためにはどうしたらいいか。そのためには規則正しくあることが重要だと思います」。女性であることについては?「女性だからといって特に問題は感じていません。私が良い待遇を受けていることで私の父は高く評価されていますし、皆さんとても親切な人たちばかりです」。しかし父親のウォンは「ハイランドと同時期に創業した他のブルワリーたちはいずれも創業時の何倍も大きくなっているか、廃業したか、どちらかの道を辿っています」と厳しい表情で話した。ハイランドは幸いにも生き残っている他のブルワリー同様、成功して大きくなっている。そして父親が築き上げてきたものをリアは立派に受け継ぎ、さらなる成長を目論んでいる。
Wedge Brewing Company
優れたブルワリーとは?答えは簡単。経験豊富で仕事に対する情熱と能力を合わせ持ったブルワーがいるブルワリーだ。
醸造長のカール・メリサスは見た目も晩年のフランク・ザッパを思わせるが、彼が造るビールは奇才ザッパの音楽同様、尋常ではない。アルコール度数7%、ドライホッピングによる「スーパー・セゾン」もその一つだが、アルコール度数9%のベルギーストロングゴールデンエール「ゴーレム」はさらに力強い風味で、小麦、オートムギ、とうもろこし、ベルギー・キャンディ・シュガー、そして数種類のヨーロピアン・ホップスを使い、複雑な風味を醸し出している。
「ベルギースタイルには特に個人的な思い入れがあります。しかし色々な種類のビールにチャレンジしてみることも好きです」とメリサスは言う。
メリサスと助手のデイブ・ミッションの二人はあらゆるスタイルのビールにチャレンジし、その結果できたビールのどれもが不思議なくらい実に素晴らしい。「アイアンレールIPA」は“ベストビア・イン・アシュビル”という賞を2年連続で獲得した(メリサスはラベルが気に入ってないらしいが)。通常の2倍のホップを使った、アルコール度数10.2%の「ザ・サードレール」も強力だ。伝統的なドイツラガースタイルにホップのひねりを効かせたヘレスボックの他、ミッションが考案し、焙煎した麻の実を150ポンド使った「ディレイルド・ヘンプ・エール」はクリーミーでナッツを思わせる風味が特徴。
通常のスタイルから逸脱したようなものばかりだが、メリサスは「ある特定の文化を取り上げたり、その文化がどのようなビールを造っているかということに興味があります。それぞれのスタイルに適したグラスを使いますし、スタイルに合わせたカーボネーションを行います。ピッチャーやグローラー(ハーフガロン瓶)で出すことをお断りしているビールもあります」と、こだわりを見せる。
メリサスはジョージア州でホームブルワーとして賞を取ってキャリアをスタートさせた。「ホッピーなベルギーのトリペルに衝撃を受けてその魅力に取りつかれ、マニアックなホームブルワーになりました」。アトランタのドッグウッド・ブルワリーで助手として経験を積んだ後、ペンシルバニアのブルフロッグ・ブルワリーで初めて醸造長になったが、ここで造った2種類のベルギースタイルのビールがワールド・ビア・カップで金賞と銀賞を受賞。その後アシュビルに移り住み、ウェッジ・ブルーイングが入っている古い建物のオーナー、ティム・シャーラーに出会うまでの2年間はグリーンマンに在籍していた。
助手のデイブ・ミッションはいつ頃加わったのですか?
「ジャックハンマーで床を掘り起こす作業していた彼を見つけて採用しました」とメリサスは笑いながら言う。「ティムとデイブと私の3人で約1年でこのブルワリーを完成させました」。デイブ曰く、「ガソリンの代わりに植物油を入れたバンに乗っていたのですが、しょっちゅう止まってしまうので、止まったところで車が直せるまで働いていました。そうやってたどり着いたのがアシュビルでした」ということだ。
ウェッジ・ブルーイングはすでに製造能力の限界にきているが、規模を拡張する予定はないという。それどころか、彼らが造るビールの大部分はブルーパブでさばいているという理由から、外部の顧客との取引をほとんどやめてしまったくらいである。アメリカの最高のクラフトビアが飲みたいなら騙されたと思ってウェッジまで行ってみよう。
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