Harvest Moon

1990年代半ばにハーヴェスト・ムーンの醸造長職に応募した園田智子は、応募者としては意外なタイプだった。当時は日本のマイクロブルワリーブームが正に始まりつつある時で、ハーヴェスト・ムーンの親会社であるイクスピアリも、ディズニーランドのすぐ隣にオープン予定のロティズ・ハウスで地ビールを提供したいと考えていた。

「ビールの造り方なんて全く知らなかったけど求人を知って面白そうだと思い、応募したら仕事がいただけたんです!造りたいビールについて作文させられたので『海のような香りのビール』と書きました。海辺だからね。」園田は笑う。「今考えると、当時は自分が書いたことの意味も判っていなかったのですが、このアイディアが彼らの頭にひっかかったんでしょうね。」

何度も面接を重ねる選考過程でイクスピアリに印象を残した候補者がもう1人おり、彼も採用された。現在まで園田と共に働いている、櫻井だ。地ビールブームの黎明期には、全く経験の無い人物を採用して醸造所を立ち上げたせいで無残な結果に終わった例も多い。イクスピアリが少し遅れて参入したのはラッキーだった。おかげで様々な失敗例を目にすることができ、立ち上げには充分時間をかけると決めたのだった。準備期間、4年である。

そして2000年、ロティズ・ハウスがついにオープン。地ビールブームは基本的に過ぎ去っていたが、園田と櫻井は充分な知識と経験を備えていた。忍耐とは、恐らく全てのブルワーに必要なものだろう。しかしビール造りを開始するまでに4年も待つなんて!4年間も何をするというのですか?

「地ビール黎明期には多くの醸造所が3種類のビールしか造っていないと気付き、私達は少なくとも5種類を造って変化を出そうと早期に決めました。でも、櫻井も私も醸造経験は皆無。多くのことを学ぶ必要があったんです。」

この間、同じ設備を持つ醸造所で実際に学んだり、JCBAが認定するビア・テイスターやビア・ジャッジの資格を取ったりした。国内の醸造所を訪ねて回るに留まらず、「ビール研究休暇」としてアメリカやヨーロッパへも飛んだ。

「当時日本にはギネスかそれと似たようなスタウトしか無かったのですが、櫻井も私もあまり好きではなかったので、飲みやすいダークラガーをラインナップに加えたいと考えました。で、プラハにあるウフレクのダークラガー、これに出会いました。各地を訪れて飲んだビールの中でも一番感激したので、日本人の好みに最適とは言えないと判っていても、それでも、このウフレクを基にダークラガーを造ろうと決めました。私達のシュヴァルツはこうして生まれました。今ではハーヴェスト・ムーンの看板ビールです。」

日本で最高のシュヴァルツの1つだ。今年のビアフェスなどでハーヴェスト・ムーンのシュヴァルツを見かけたら是非飲んでみて欲しい。ハーヴェスト・ムーンのラインナップの半分はピルスナータイプだが、理由の1つは観光客が多いという立地にある。園田は、客が親しみやすいビールを提供したいと考えていた。

「こちらへいらっしゃるお客様の多くは、クラフトビールを初めて召し上がります。まずは、クラフトビールに対する喜びを感じて頂きたいのです。力強いフレーバーのビールではなくて、飲みやすいビールを造ろうと心がけています。当初からフルーツビールを造り続けているのも同じ理由で、次はペールエールをベースにした少しだけ苦味のあるオレンジビールを造るところです。」

このような姿勢は成功したようだ。ハーヴェスト・ムーンの現在の売上は開業時の2倍を記録し、年間15万L強という醸造設備の上限も近いという。ビールの90%は地元舞浜で売れている。ロティズ・ハウスでは、レギュラービールと季節限定ビール合わせて6〜7種類のビールがいつでも楽しめる。

しかし園田にも、働き始めた当時の困った笑い話がある。

「ビールの樽詰め作業をしていた時のことです。まだ機械の扱いに慣れいなかったので、樽にフィラーを取り付けようとしたらビールが樽から噴き出して私に降り注ぎました。ちょうどその時にたまたま扉を開けた副社長が、大声で「大丈夫か!?」と。ずぶぬれでしたが「大丈夫です!」と答えましたよ。」

櫻井とのチームワークについて。建設的な議論としてだが、2人はよく反論しあっているという。

「一緒に働いてもう16年間ですから、互いの考えや望みはよくわかります。時々本気の喧嘩になりますが、その時はアシスタントの斉藤が間に入ってくれますし」。彼女は笑う。

将来の展望について尋ねてみた。彼女自身の将来と、クラフトビール業界のそれと。園田は、ハーヴェスト・ムーンで働くことに充分に満足していると強調した。

「まだまだ、私がハーヴェスト・ムーンのためにできる事があると思っています。ブルワーなら誰でも独立を夢に見るけれど、私には多分、自分で醸造所をやるよりハーヴェスト・ムーンを支えて行く方が合っているんです。今後も、若く野心的で独立を夢見るブルワー達が小さな醸造所を次々と開いていくでしょうし、そういった所にはとても忠実な常連ファンがつくでしょう。それから、最近の日本では、醸造できるビールスタイルも以前よりずっと自由になってきました。私が始めた頃に比べて本当に様々なビールが出回っています。世間では大きなブームの再来が言われていますね。私は、クラフトビールが爆発的に広まるとは考えていませんが、ビールの製造量と消費量は安定して増え続けると思います。最初の地ビールブーム時に起こった失敗を繰り返さないよう、新しいブルワーさん達には醸造をきちんと学んでほしいです。」

園田たちが牽引することで、彼女のような女性ブルワーの数も増えるだろう。男性主導の業界で、強烈なホップと高アルコールのビールが大流行している今、女性には困難も多いのでは?園田は穏やかに否定した。

「自分が『女性ブルワー』だとは思っていません。私はクラフトビールのブルワーです。」

なるほど。良いビールを造りビジネスも成功しているのだから、異議を唱える者はいないだろう。

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