協会設立の元々の目的はビアフェスの開催ではなかったという。当時の細川政権が1993年にビール製造の規制緩和の方針を打ち出した時、小田はビールのことをもっと知る必要があると思った。ワインの世界ではすでに大型イベントやテイスティング講習会などが行なわれており、小田はビールの世界でも同じようなことが出来るのではないかと考えた。そこで彼はカリフォルニア大学デーヴィス校の教師からビールについて学び、さらに1994年にはシーベル醸造科学技術研究所でテイスティングコースを受講、知識を習得していった。
日本で第一次地ビールブームが起きようとしていた1994年7月、小田は日本地ビール協会を立ち上げた。「初めの頃はもっぱらテイスティングを行って、ビアジャッジのための基準を作ることが仕事でした。1996年にビア・コンペティションを初めて開催しましたが、私たちがジャッジの対象としていたビールを来場者の人たちもその場で飲みたがっていることを知り、それが1998年の日本初のビアフェス開催に繋がっていきました」。小田は同年、ビアハンターの称号を持つマイケル・ジャクソンの著書「ビア・コンパニオン」を翻訳、その日本語版を出版した。
その頃と比べると現在の日本のクラフトビアシーンも随分成熟してきている。しかし小田はまだまだ道のりは遠いという。「もっとたくさんの人にクラフトビアのことを知ってもらいたいですし、その一方で世界の注目を喚起するためにも世界レベルでのクラフトビアの輪の中に入っていく努力が必要です。日本の醸造技術者はもっと世界に目を向けるべきです。日本には輸入ビールがたくさん入ってきていますが、これからは日本のクラフトビアを世界に向けて発信していかねばなりません」。
日本地ビール協会が毎年開催している「ジャパン・ビアフェスティバル」での輸入ビールの位置付けについて聞いた。「そうですね。このイベントは基本的にクラフトビア・フェスティバルという開催趣旨ですから。クラフトビアであれば輸入ビールでも出展していいと考えています」。また、海外の素晴らしいクラフトビアを紹介することで日本の技術者たちが刺激を受け、何かを吸収してもらえれば、という期待もあるとのこと。小田は昨年、アメリカから知識や技術を共有する複数の醸造技術者を招き、日本の技術者を集めてカンファレンスを開催した。このカンファレンスは今年も開催が予定されている。これは面白いことになってきそうである。
Continued to: People of Craft Beer - Fujiwara Hiroyuki
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