リチャードはアメリカの経済界での仕事に20年間携わり1992年に退職、今でも彼のオフィスの書棚には金融関係、経営関係の書籍がずらりと並ぶ。また彼の息子は学生時代に自ら造ったビールを大学構内で販売し、一家がビール醸造業を始めるきっかけになった。しかし、すぐに醸造所を始めることはせず、息子はまず何年か別の所で醸造をし、その間残りの家族はできるだけ多くの醸造所やパブを訪ねて回ったという。息子は当初何年かの間、別の醸造所にビール造りに出ていたため、その間残された家族は余所の醸造所やパブを訪ねてビール造りに関する知識を習得したという。
資金の調達でも苦労したらしい。「ビール造りの実績が全く無かったので銀行の信用が得られず、なかなかお金を貸してくれませんでした」とリチャードは告白する。また彼らは開業の立地について、どこでもいいと考えていたわけではなかった。「私たちは醸造所の開業と共に店では美味しい料理も出したいと思っていました。業態や立地に関して私たちが考えていたアイデアに最も条件的にぴったりだったのがサンフランシスコ郊外にあるヒールズバーグという町でした」。1995年にやっと資金調達のメドが立ち、翌年の1月に開業の運びとなった。「敢えて冬の商売の厳しい季節に開業してまずは地域のお客さんに認知してもらいながら基礎を固めておけば、その後夏場の売り上げ増を客観的に評価できると考えました」。醸造所に併設のパブ開業に先立って親戚や友人たちを招待し、おもちゃのお金まで使ってパブでの実務を想定したテストランを念入りにおこなったという。
ベア・リパブリック醸造所は開業から1年半後事業の拡張に伴い、繁盛していたパブはそのままヒールズバーグに残し、醸造所を北部に移転した。この醸造所は実に素晴らしいもので、最新式の設備が常に清潔に保たれ、時計のように規則正しく稼働しており、当然ながら温度管理も非常に厳しくなされている。醸造所全体がビール酵母の研究施設のようでもある。そしてなぜかレース・カーが何台か置いてある。どうやら一家は大変なカーレース好きらしい。製造設備の機種選定にあたってはメーカーが迅速な対応をしてくれるかどうかを最も重視した。「どの代理店を使うかということもビールの販売に大きく影響してきますし、良い代理店はビールのコンディション管理にも充分に気を配ってくれるでしょうから、代理店の選定にもかなり時間を掛けて慎重にやりました」とリチャードはいう。あらゆることに可能な限り細心の注意を払うことがビジネスの成功には不可欠だとリチャードは考えているようだ。そして同社の場合、家族愛も美味しいビール造りに不可欠の要素になっている。
ベアリパブリックは、有限会社ナガノトレーディングにより正式に輸入販売されています。www.naganotrading.com
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