Kengo Saito of Number Nine Brewery


最初に成功しなくとも、何度でも挑戦せよ。この格言は、現在、横浜にある「ナンバーナイン・ブリュワリー」のかじを取る、齋藤健吾のこれまでの人生を如実に表している。齋藤が歩んできた15年間の軌跡は、まさに「初志貫徹」。オセアニアを経由して、日出ずる国日本で醸造長の仕事を得るまで、粘り強く彼の決意を貫き通してきた。

齋藤は明るく快活で、話し好きだ。海外で過ごした経験があるので、完璧ではない英語を話すときもまったく恥ずかしがる様子を見せない(彼いわく「キーウィ・ジャパングリッシュ」だそう)。取材時、会話がほとんど途切れることがないまま2時間ほど経っていた。彼に仕事が残っていなければ、ビールを飲みながら一日中話していたことだろう。

齋藤の物語は、彼が生まれ育った神奈川県の寒川町ではじまる。専門学校で経理を学んだあと、1994年、隣接した茅ヶ崎市の「ステラおばさんのクッキー」で職を得た。この会社を選んだ理由として、話をすれば入れると思ったからだと齋藤は明かした。にんまりと笑いながら「採用試験が書類選考と面接だけだったのです。面接は得意ですが、筆記試験は苦手なので良いと思ったのです」と話した。10年間勤めて、うち8年間は店長として働いていたが、最終的にはクッキーづくりにやりがいを見い出せななかった。

転職しようと思った齋藤は、面白そうな仕事を探していた。すると同じ茅ヶ崎にある熊澤酒造(日本酒「天青」と湘南ビールの製造元)が人材を募集していた。「醸造か、これは面白そうだ!」と思った齋藤は、2004年春に応募し、製品の出荷責任者として採用された。当時、あまり酒に強くないこともあってビールはあまり飲んでなかったという。それを考えると、彼がクラフトビールに入り込むきっかけとなったビールが、湘南ビールのインペリアルスタウトだったというのは珍しい。重厚な味わいのインペリアルスタウトは、それまで齋藤が知っていたビールとはまったく違うもので、衝撃を受けた彼はビールをつくりたいと思うようになった。彼にとっては不運なことに、醸造チームには筒井貴史という学生が入ることが決まっていた。クラフトビール界では知られているが、筒井はその後ブルワーとして開花し、ここ15年ほど湘南ビールの醸造長として活躍している。

せっかちなところもある齋藤は、早く醸造長にならなければと思い、熊澤酒造で空きが出るのを待たずにふたたび転職することを決めた。そして、千葉県のハーヴェスト・ムーンでアルバイトとして職を得て、ベテランブルワーの園田智子と櫻井正時のもとで醸造のノウハウを学んだ。半年経ったころ、齋藤は正社員として迎え入れられる。園田はイベントで全国を回ることが多かったので、齋藤がブルワーとしての作業をする機会が多々あった。ここで多くのことを学んだ彼は、現在もハーヴェスト・ムーンと強いつながりを持っている。

ハーヴェスト・ムーンで働いていたころ、彼の頭にはどうしても実現したい願いが生まれていた。彼の姉がニュージーランドのクイーンズタウンに住んでいて、何度か現地を訪れていた齋藤は、これまでとは違うビールの文化に触れ、ニュージーランドでビールをつくりたいという思いが強くなっていった。どうしてもこの夢を叶えたいと、齋藤は10年間働いたハーヴェスト・ムーンを辞めて、ニュージーランドへ行くことを決意する。

当時、齋藤はすでに30歳を超えていたのでワーキングホリデービザの対象外であった。そこで、英語学校に入学し、学生ビザを取得。学校に通いながら、ブルワリーでの仕事を探すために各地を回るという生活がはじまった。彼は首都ウェリントンにあるガレージプロジェクト(本誌第23号参照)で働きたかったが、ガレージプロジェクトはもちろん、どのブルワリーにもコネクションを持っていなかったので、履歴書を手に、突撃でいろいろなブルワリーを訪れていたという。ガレージプロジェクトから断られていた齋藤は、フォーク&ブルワーという小さなブルワリーを見つけ、最終的にここで受け入れてもらうことになった。

醸造長は、ソーンブリッジの醸造責任者を務めていたという英国出身のケリー・ライアン。ライアンはじつは界隈では有名な人物だった。齋藤はライアンのもとに何度も通い、働かせてくれと頼み込んだ。しかし、なかなか良い返事がもらえない。そこで齋藤は経験を積ませてもらう代わりに、無料で手伝わせてもらえないかと提案すると、ライアンからOKが出た。「仕込みの日を教えてもらい、その日に行くようになりました。何も言われなくても掃除をしたり、準備の手伝いをしていましたが、そういうことを何度も繰り返すうち、最終的にライアンから一緒に醸造しないかと声をかけてもらいました。このときも給料は出ていませんでしたが、ランチには美味しいハンバーガーをごちそうしてくれました」

ニュージーランドに渡った当時は英語が話せなかったそうだが、学校で学んだり、ブルワリーでも用語を覚えたり、英語に浸かった生活をしているうちに彼のコミュニケーション能力はみるみるうちに向上していった。醸造の作業自体はわかっていたので、彼の語学力はブルワリーでの仕事をこなすのに十分であった。ライアンも彼の働きぶりに感心し、実際に手助けが必要だったので、10か月ボランティアで働いたのち、ライアンからフルタイムで働かないかと誘いを受けた。しかし、齋藤が説明するに、ニュージーランドで従業員として労働ビザを取得するには、現地の人で適合者がいない場合に限られる。そこでライアンは応募が来ないように、ひっそりと募集をかけた。しかし、ライアンの人気が仇となり、大勢のニュージーランド人からの応募が来てしまった。そして齋藤が労働ビザを得られる可能性は消えた。

このとき、彼はすでに自分の貯金を使い果たしており(語学コースも修了していた)、ビザをスポンサーしてくれるブルワリーも見つかっていなかった。しかたなくウェリントンから姉が住むクイーンズタウンに移り、姉の住む家にしばらく滞在しながら、履歴書を手にニュージーランド中のブルワリーを回った。当時を振り返って、齋藤は笑みを浮かべながら「ケリー(ライアン)がサポートしてくれました。訪れたブルワリーから、ケリーに『ケンゴという変な日本人が仕事を探しにきて、ケリーのもとで働いていたと言うんだけど、本当に知ってるのかい?』という問い合わせが来ると、『うちで以前働いていた人だよ』と答えてくれて、良いことを言ってくれました。”ケンゴという変な日本人”は、現地のブルワリーのあいだで有名になりつつありました。じつはケリーはとても人気のある人で、ケリーのもとで働きたいという人は大勢いるということをあとで知ったのですが、そういう意味で僕はラッキーでした。おそらく自分は醸造の基本知識を持っていたし、きれいにする掃除の仕方、知識などもあったのが良かったんじゃないかな、と今では思います」と話した。

齋藤がブルワリーを回っている一方、オーストラリアでブルワリーを経営するニュージーランド人が規模拡大のために醸造長を探していた。休暇でニュージーランドに帰ってきたとき、知り合いのブルワリーに誰かいい人を知らないか聞いていたところ、「そういえば、変な日本人が仕事欲しがっているよ。ライアンのところで働いていたし、ちゃんとしたやつらしいよ」という話を耳にした。そこでそのオーナーは齋藤に電話をし、一緒に働かないか誘ったという。

齋藤の本音としては、あまりオーストラリアに興味はなかったが、オーストラリアでブルワーのビザが取れれば、ニュージーランドでもビザが取りやすくなる。そういう狙いもあり、オーストラリアで働くことにしたと打ち明けた。そして、オーストラリア西海岸に位置するバンバリーという小さな町で、ムーディーカウブルワリーというところで2か月間働いた。「すごく田舎だったし、そこでつくっているビールは、ホップがすごく利いているといったようなビールはなく、伝統的なタイプのビールばかりでした。でもそのオーナーは僕の好きにつくっていいと言ってくれて、ビザの取得も手伝ってくれるというので働くことにしました」と齋藤は話した。

日本にいったん帰国して、労働ビザ取得のために準備を進めていると、悲しいことに母親がガンになったという報せが届いた。当時、姉はニュージーランドにいて、父親も体調が良くなかったので、齋藤はオーストラリアで醸造長になることをあきらめ、両親の看病をすることを決断した。そして日本で醸造長として働ける場所を探しはじめた。

探すにしても収入がないので、齋藤はハーヴェスト・ムーンの園田にパートタイムでしばらく働かせてもらえないかと相談した。そして、その「しばらく」は3年続くことになる。パートタイムで働いているあいだ、いくつか決まりそうなところもあったが、さまざまな事態が起こりうまくいかなかった。あるブルーパブでは、開業のために原料の見積書を取ったりと準備を進めていたが、建物の構造自体に問題があり許可が下りなかったケースもあった。最後には、福島県の会社で醸造長として雇われたのでハーヴェスト・ムーンを辞めたが、オープンまでの準備の段階で長い時間がかかったりと、本当に開業できるかがはっきりせず、意気消沈してそこも辞めることにした。

すると、レストランを経営するHUGE(ヒュージ)という会社が横浜にブルワリーをオープンするという噂を耳にした。社長との面接にこぎつけた齋藤は、自身がアルコールに強くないということもあるが、アルコール度数が低めでボディが軽いビールをつくりたいとの思いを熱く語った。齋藤の思いは、経営するレストランに(同社は30店舗ほど運営している)自社のビールを提供したいと考える社長の希望と合致した。料理の味を邪魔しない、食事と合わせて楽しめるビールというコンセプトが重なり、また醸造経験も十分にあったので、社長はその場で齋藤の採用を決めた。長い道のりだったが、2019年10月、齋藤はようやく醸造長になることができた。



ナンバーナイン・ブリュワリーは、クラフトジンの蒸留所とコーヒー焙煎所も併設したレストラン「キーズパシフィックグリル」内にある。大きな窓に囲われた壮麗なブルワリーは、店内から全体が見えるようになっている。同レストランは、新港ふ頭ターミナルである横浜ハンマーヘッドの海側にあり、ロケーションもばっちりだ。1階と2階に客席があり、多数設けられたテラス席からは、みなとみらいの高層ビル群と臨海部が見渡せるようになっている。1階のパティオは、みなとみらいから赤レンガ倉庫、大さん橋(ジャパンブルワーズカップとビアフェス横浜の会場)と山下公園(ベルギービールウィークエンド横浜の開催地)を結ぶ、2.5キロメートルにおよぶ山下臨港線プロムナードに面している。横浜ハンマーヘッドは、2019年秋のオープン直後に新型コロナの影響でほぼすべてのクルーズが運航中止になり、海外からの観光客が来なくなってしまった。しかし、このプロムナードのおかげもあるだろうが、地元住民から根強い人気を集めている。ハンマーヘッドへと進化した歴史あるふ頭には9番と8番の岸壁があり、ナンバーナイン・ブリュワリーはそこから名前がつけられた(ジンの蒸留所はナンバーエイト)。

店内ではカウンターに座ることもできるが、訪れる客のほとんどはクラフトビールにあまりなじみがなく、食事を楽しむのがおもな目的だ。樽生で提供しているビールは、齋藤の掲げる理念のとおり、アルコール度数5%かそれ以下のものが多い。バランスが取れていて、ボディが軽めの香り高いビールだ。齋藤は自身の考えと同様、世界のビール市場でもセッション系(アルコール度数が低い)のビールが注目されており、そのトレンドが続くと見ている。また、8%のダブルIPAよりも、3%のセッションIPAのほうが、もう一杯飲みたいと思ってくれるのではと考えている。

現在、ナンバーナインの定番ビールはスーパーセッションIPA(アルコール度数1.2%)、ハンマーヘッド・エール(3.8%)、キーズ・ピルスナー(4.1%)、ヘイジーIPA(5.1%)とコーヒースタウト(5.0%)の5種類。ほかにも季節限定のビールを2、3種つくり、常時8タップでビールを提供している。取材時、まずピルスナーを飲んだが、味わいは軽くてさわやか、麦芽とホップのバランスが取れていて、齋藤が目指しているビールそのものが表現されているように感じた。次は、隣接のハンマーヘッド・ロースタリー(焙煎所)で焙煎されたコーヒー豆を使用した(ドライホッピングのように発酵後にタンクに投入している)コーヒースタウトを。ほのかに香辛料のような刺激があり、焙煎豆の香りが立つ、後味がなめらかなビールだ。筆者の興味を引いたのは季節限定のチポトレIPA(5.5%)。心地よい唐辛子の辛味は強すぎず弱すぎず、ちょうどいい塩梅だ。鼻からのどにかけて刺激がありつつも、若干果実味を帯びたIPAのベースは邪魔しない。そして彼は、湘南ビールのインペリアルスタウトを忘れてはいない。ナンバーナインは10月に2周年を迎えるが、周年記念ビールには9%(ナンバーナインだけに)のインペリアルゴールデンエールをつくる予定だ。

仕事熱心な齋藤は、醸造、樽詰め、事務、税務署の手続き、発注、準備、洗浄などブルワリーの作業をすべて一人でこなしている。ブルワリーには1,000リットルのタンクが5つあり、通常、500リットルのシステムで仕込みは週2回(ダブルバッチで)おこなっている。ナンバーナインのビールを提供しているレストランのほとんどは関東にあるので、今回政府から酒類提供禁止の要請が出たことで大きなダメージを受けた。この社会状況の中、多くのブルワリーにとって、缶での販売が重要なカギとなっており、同ブルワリーでも缶充填機を購入する予定を立てている。これまで、瓶の充填は横浜ビールに委託し、ハンマーヘッドのセブンイレブンで瓶ビールを販売していたが、横浜ビールも夏場は自社ビールのボトリングで多忙ということで、現在はあまり販売していない。今は、酒類提供禁止要請の緩和と缶充填機の到着を待つしかほかないのだ。

しかし、目標を叶えるために彼が歩んできた長い道のりを考えれば、今回もあきらめずにやり通すことに疑いを持つ人はいるだろうか。齋藤の前向きな性格と根性は折り紙付きだ。粘り強さが「変」だと思われるなら、変わっているのも悪くはない。「変な日本人」は、知れば知るほど地に足がついている。



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