トム・エインズワースは笑顔を絶やさない。いつも何かいたずらっぽいことをしようと企んでいるようでもあるし、彼の持って生まれた溢れる優しさ故のようでもある。オーストラリア人は皆優しくていつも笑顔なのだろうと思う人も多いだろうが、京都ビアラボでのブルワー兼共同所有者としての仕事が楽しくてしょうがないのかもしれない。いずれにしても、彼の笑顔は周囲の人をハッピーな気分にさせてくれるし、ビールを飲みたい気分にもしてくれる。
今年春にオープンしたばかりの彼の小さなブルーパブは、京都の木屋町を流れる小川のそばにある。パブが並ぶ通りは、いかにも京都らしく、丁寧に手入れされた小さな庭園や緑であふれている。有名な鴨川からも数ブロックしか離れていない。厚い灰色の雲が低く垂れこめ、梅雨が近いことを感じさせる。ブルーパブの横を流れる小川も鴨川も、梅雨に入れば水かさが増してその表情を変えることだろう。
シンプルな木製のカウンターから外の景色を眺めていると、このオアシスが七条駅から歩いて5分もかからない場所にあるとは到底信じられない。七条駅は京都駅からたった15分の場所にあり、繁華街のブルーパブとしてここはまさに理想的な場所に思われる。そして、極上のビールがあればもちろん言うことはない。
このような小規模ブルーパブの経営はうまくいくか失敗するか、どちらかであることが多い。品質の維持のためにたゆまぬ努力が必要とされる。オフフレーバーの発生を避けるために、常時気を配らねばならない。小回りが利くのも特長で、ブルワーは日々、実験も自由にできる(実験的につくったビールもすべて販売すれば、の話だが、小規模ならそれも難しいことではない)。また、つくったばかりのビールに対する顧客の反応を、その夜には直接得ることができる。エインズワースは、小規模ブルーパブのこのようなメリットを十分に活かし、しかも笑顔を絶やさない。通常は一度に100~200リットルを仕込むという。タンクは、200リットルタンクが4つと、400リットルタンク(ダブルバッチ用。訳注:2回仕込み、それらを一つのタンクで発酵させること)が3つ。入口近くの壁一面が黒板になっていて、8種類のおすすめビールが書かれている。在庫状況によってはゲストタップも数種類提供される。
エインズワースはすべての銘柄と、まだ一般には出していないビールも何種類か飲ませてくれたが、そのどれもが驚くほど美味しかった。ここのビールの味を疑う人がいるなら、その理由を知りたいくらいだ。小規模のブルーパブであるという事実に加え、ここはまだオープンしてから数か月しか経っていない。日本では(人によっては「心配するほど」)驚異的なペースで小規模ブルーパブが急増しているが、こうしたパブは技術習得や品質管理以前に、夢を追いかけたり、一獲千金を狙って先走っていたりするだけではないか、と感じる人も多いようだ。エインズワースでさえオープンを急ぐあまり、ノースイーストスタイルのIPAがねらいよりも随分濁った感じになってしまったことを後悔している。しかしその後の数か月でレシピを改良し、時間の余裕も生まれて、満足できるペースで仕事ができるようになってきた。
ラインナップのおよそ半分はペールエールかIPAで占められているが、とても美味しいゴーゼや、茶葉を浸出させた非常に飲みやすいものもある。茶ビールシリーズの一つである後者のビールは、京都ビアラボの定番かつルーツともいえる商品だ。京都ビアラボの誕生前、エインズワースのパートナーである村岸秀和はすでに醸造免許を取得していて、密かに茶ビールを何年もの間、醸造していた。しかし村岸が手掛ける茶ビールは京都でも知る人は少なく、二人が手を結んで一緒に仕事をするようになるまで、売れ行きは限定的なものだった。
二人が出会ったのは2016年9月頃。エインズワースは数年間、滋賀で英語を教えていたが、醸造の経験があった。一方、村岸は、茶葉を使用したビールは京都という土地柄にぴったりだと思っていたが、パートナーを必要としていた。エインズワースに出会った村岸は、彼にビールへの情熱と才能を見出したのだろう。
「2016年から2017年にかけての夏(南半球では新年前後にあたる)にオーストラリアに帰国し、実家で茶ビールづくりに4か月ほど取り組みました。その後4月初旬に日本に戻ってきて、その年は二人で京都ビアラボ開業の準備に明け暮れました。そして今に至っています」
二人は、コンクリートを流し込む作業を手伝った。建築現場で働いた経験もあり、大工仕事も得意だったエインズワースのおかげで、バーの外観は素晴らしいものに仕上がった。彼は機械類の組立てもおこなった。文字通りの手づくりショップだ。しかし、エインズワースの経歴はもう少し遡る必要がある。
エインズワースは自家醸造をしていた頃、シドニー郊外にあるグリフター・ブルーイングカンパニーの友人を通じて、プロユースの設備に親しむ機会に恵まれた。日本で英語を教える仕事に就く前、大学時代に1年半ほど日本語の勉強をしていて、沖縄での3週間コースや大阪の桃山学院での半年間コースも経験した。そのおかげで彼の日本語は流暢で、京都在住にもかかわらず滋賀の方言で冗談を飛ばすことさえある。
日本におけるエインズワースのビールづくりは、彼一人の力では成し得なかった。石見麦酒の山口厳雄、京都醸造のクリス・ヘインジ、長浜浪漫ビールの大谷典弘、Be Easyのギャレス・バーンズらから助言や知見を得て、彼らには大いに感謝している。グリフター社の友人は今でも頼ることがあるという。
しかし京都での商売は決して簡単ではない。醸造は仕事としては楽なほうかもしれないが、京都は長い歴史があるだけに、商売上の複雑な慣習はもはや伝説的だ。適当な物件を探すのも、ビールづくりを許してくれる家主を探すのも、時間がかかった。「私は書類の手続き関係については得意なほうではなく、そういった面の不備に関して日本は寛容な国ではありませんね」とエインズワースは笑う。幸い、京都ビアラボには京都生活が長い村岸がいるし、タップルームマネージャーの横山大樹の存在もありがたい。ともすれば柔軟性に欠ける態度も、エインズワースの笑顔と少年のような魅力のおかげで、どれほど和らいだことだろう。
エインズワースは京都の将来について前向きだ。「京都という町はクラフトビールにとても協力的だと感じています。手づくりの工芸品のレベルの高さには定評がありますし、私が訪れたことのある町の中で心のこもったおもてなしを最も大切にするところだと思います。そして、我々がここで提供する商品がまさにそれです。店舗自体もビールも手づくり感があります。京都の人は品質に対する期待度が高いので、ブルワーである私も大いにプレッシャーを感じながら取り組んでいます」
彼はそのプレッシャーさえ楽しんでいるだろうが、地元民向けも増え続ける観光客向けも、商売争いは熾烈(しれつ)だ。本誌前号で紹介したとおり、京都のクラフトビール業界では専門店もブルワリーも、その数を大きく伸ばしてきた。京都ビアラボでは村岸の茶ビールが好評で、これを目当てに訪れる客が増えているが、エインズワースはバーの客に自分がつくったビールを勧めることがある。「例えばこの3番タップに繋がっているKBLペールエールを定番化する必要はないのですが、お客さんのウケが良かったものはまたつくります」
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次の日私が再訪すると、エインズワースは長浜浪漫ビールの大谷とのコラボレーションビールに取り掛かろうとしているところだった。大谷の妻はタップルーム前で赤ちゃんを寝かしつけていた。タップルーム奥のブルワリースペースは我々三人でいっぱいになる狭さで、大阪で開催されたビールフェスティバル「CRAFT BEER LIVE」から返送された空樽の整理にエインズワースは大忙しの様子だ。イベントは終わったばかりで疲れて切っていると言うが、相変わらず笑顔を絶やさず、次の仕込みに取り掛かる。
コラボレーションについてエインズワースが話し始めた。「カリプソという新種ホップを使ってコラボしようという話を以前から大谷と話していました。コラボレーションというアイデアがとても好きなんです。ビールづくりは料理に似ていて、それぞれのスタイルがあるし、それぞれが隠し技を持っていたりします。それらをすべて学び取ることは不可能ですが、アイデアを出し合いながら、どんなビールがお客さんのハートをつかむかということについて十分議論し、レシピをつくり上げてゆくことは無上の楽しみです。他人から学び、アイデアを深く掘り下げながら完成させてゆく。これがコラボレーションの醍醐味です」
エインズワースが使う製粉機はとても変わっている。これも彼の自作によるもので、グラインダーを動かすためにドリルを使っている。「写真撮影は禁止です」と笑う。「あまり自慢できる装置ではありません」と言うが、実際に稼働している。ブルワリーで使用しているほかの機械類も、大なり小なり手づくり感を漂わせている。隅のほうにある小さな机の上にスピーカーが置かれているが、そこから流れる音楽も、名も知れないDJか誰かによるミックスという感じの選曲だ。
エインズワースはミュージシャンでもある。「凄腕ドラマー」というのが彼の自己評価で、「どんなジャンルの音楽にも熱狂している」という。11歳でドラムを始め、今では京都と大阪の4つのバンドを掛け持ちし、毎晩のように演奏している。前日の晩はバンドの練習日だったらしいが、次の日はまた仕事後に別のバンドの練習が入っていた。
「パンク、デスメタルといった音楽をやることがほとんどですが、トランペットやサックスなどのホーンセクションを入れてディスコバンドをやりたいというのが本音です。モンゴルのホーミー(倍音唱法)も練習中です」
音楽的な興味についての彼の表現はビールづくりにもそのまま当てはまる。面白そうだと思えば、それが以前手掛けたビールとなんらかの関わりがあろうがなかろうが、いつでも追求する気持ちを持っている。この姿勢は「あらゆる要素が融合したスタイル」とでもいうべきか。これがエインズワースにとっては自然であり、京都という国際都市のブルワリーにとっても自然なことのように思われる。ビアラボというネーミングは、実験的なビールづくりを、新たな発見を、そして驚きを表現している。実際に足を運んでみれば、それが実感できるだろう。そこにある「融合したスタイル」にあなたの気まぐれを融合させて楽しんでほしい。
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