Anglo Japanese Brewing Company

Tom and assistant brewer, Kobayashi Shingo

野沢温泉は、暖かい季節には毛無山の麓の静かな集落となる。約5,000人が住むこの町では、全員がお互いを知っているようだ。冬期になると様子がすっかり異なる。多くのスキーヤーやスノーボーダーがこの町に押し寄せ、母なる地球は膨大な量の美しいパウダースノーを降らせて、この町をにぎやかな冬の遊び場へと変えてしまう。この町を訪れる人は、自分たちの車を一晩駐車場に置けば、それが白雪の海に飲み込まれていることに気づく(より正確な表現をすれば、「見つけられなくなる」)。

オフシーズンの地元のそば屋にトム・リブシーと絵美子・リブシーの夫妻といると、その小さい町では誰もが知り合いだということがすぐにわかった。そば屋のオーナーは彼らを温かく迎え、ご近所の人やほかの常連は彼らに、今夜彼らの店である「里武士」に立ち寄る予定であると伝える。単純に外見からいってもトムは町で少し目立つ存在だが、それだけが彼が有名な理由ではない。彼は、野沢唯一のブルワリー、アングロジャパニーズブルーイングカンパニー(AJB)のヘッドブルワーでもある。そのため、彼がある種の地元における名士のような地位を獲得してきたことが容易にわかるだろう。彼を知らない人はこの町にはいないのではないかとすら思える。

英国ダービーシャー州出身のトムは、ペールエールとイングリッシュIPAを飲むことが水を飲むことと同じくらい日々の生活に重要だと思われているペールエール大国の中心地、バートンオントレントの近くで育った。

「今振り返ってみると、そこで育ったのは幸運でした。なぜならそこにはたくさんの素晴らしいビールがあったからです。しかし、その素晴らしさに気づいたことはありませんでした。私が育った小さな村でさえ、5、6のローカルパブがあり、それぞれで数種類のビールが提供され、その一つひとつが実においしかったのです」と、トムは言う。



トムが十代の時に友達が手に入れてきたキットを使い自家醸造者としてキャリアを始めたことは驚くことではない。しかし、彼のもともとの専攻は意外かもしれない。18歳のとき、芸術を学びにロンドンに行った。現在もなお、趣味として彫刻をつくっているが、今日の彼の作品のほとんどは醸造所でつくられている。我々のほとんどにとって、芸術と醸造にあまり関連性がないように思われるが、トムの心中においては、思考の過程は同じである。トムはこう説明する。「ビールをつくることは、いわゆる、彫刻や絵画を思いつくことと似た、とてもクリエイティブなプロセスに思えるのです。単純な類似性がほしければ、絵画やそれを描くことを使う代わりに、麦芽やホップ、そのほかの原料を使ってビールをつくるのです」。

絵美子の「以前の人生」も、今のものとはかなり違っている。人生のほとんどを東京で過ごし、香港に5年住んだこともある彼女は、もともとは国際研究を専攻していて、スイス銀行に勤め金融の世界に飛び込んだ。東京からロンドンへ転勤した際、彼女は意欲豊かな芸術家であるトムと出会った。それから2年後、燃え尽きてしまう前に、彼女はストレスの多い国際金融の世界から脱出することを決め、トムと半年かけて、メキシコ、南米、アジアをバックパックで巡った。

その旅は人生観をまったく変えてしまう類のものだった。絵美子は彼女自身が変化を受け入れる準備ができていることには気づいたものの、次にどんなステップに進めばいいのかわからなかった。その日暮らしの旅から戻ってくると、彼らはダービーシャー州の田舎にあるトムの両親のところで一年を過ごし、その間、トムはアートショーをしていた。大都市にしか住んだことのない絵美子は、英国の田舎に住んだことで、日本のそれがどんなものであるかについて考えるようになった。絵美子の言葉を借りれば、「羊や家畜の数が外を歩いている人の数より多い田舎に住むまで、それがまさしく私が求めていたライフスタイルであることに気づきませんでした。だから、それが私の人生において、目を見張るような大きな転機となりました」。

トムが最終的に日本に住むことをひと押しした。彼は年に数回、スノーボード旅行で野沢を訪れていて、その地に恋していた。2012年3月、二人はそれぞれ一つずつスーツケースを持ってこの地に移り住んだ。保守的な小さな町の住人がよそ者に対して向けるかもしれない視線を絵美子は心配していたが、野沢は彼らをすぐに受け入れてくれた。

長期間の住居に落ち着こうとする一方で、彼らは日本にシェフを招聘するビジネスを始めた。料理イベントの手配に焦点を当てていたが、たくさんの時間と彼らが使える以上の資金を必要とするものであるとわかった。そのビジネスが里武士の始まりであり、のちにそのままバーの名前として使うことにした。

ブルワリーの創業は日本への移住を決めた当時に会話に上っていたわけではないが、満足のいく地元のビールがなかったことがトムを悩ませ始めた。「ばからしく聞こえますが、毎日大手メーカーの生ビールを飲むことに本当にうんざりしていました。また、当時の日本のクラフトビールは、私が英国でよく飲んでいたようなものではありませんでした。私にとって特別興味を引くものはなく、その多くがドイツに影響を受けたラガーでした。素晴らしくよくできたものもありましたが、好みではありませんでした」。

Tom and Emiko in front of Libushi 里武士: 絵美子が彼らの苗字であるリブシーを漢字表記したもの。

ブルワリーを始める前、トムは故郷・英国へ長期帰省するときは大量にビールをつくっていた。それこそが「ブルワリー開設の主要な機動力だった」と、彼は言う。加えて、満足いくビールがなかったこと。「当時、悩む必要がないように思えました。いずれにせよビールづくりにたくさんの時間を費やしていたし、この地でおいしいビールも見つけられなかった。それならブルワリーを始めればいいと考えたのです」。絵美子の持つ、金融というバックグラウンドは、資金問題および税務署の対応にぴったりだった。「準備は整った」と、彼らは感じた。

2014年1月、彼らは開業した。スキーシーズンには少し遅れたが、彼らの事業に対する十分な関心と支援を生み出すには間に合った。里武士はスキーゲレンデの麓にほど近い村の中心に位置しているため、スキー後のビールにはよい立ち寄り先だ。また、道を挟んだ真向かいには、江戸時代から続く大湯温泉の浴場がある。バスローブでビールをたしなむのは入浴者にとって珍しいことではなく、扉が開けば硫黄の煙がふわりと入り込む。

夫妻がビールづくりにおいて心を注ぐことのひとつに、地元の原料を使うことが挙げられる。信州蕎麦スタウト、川中島白桃を使った野沢サワー、地元で育ったルバーブを使ったルバーブグランクリュは、彼らがいかに長野の産物をビールに取り入れているのかという一例だ。美味しいサワービールをつくることは、トムが現在情熱を注ぐもののひとつ。酵母とバクテリアの実験、または彼が愛情を持って呼ぶところの「虫」について話すとき、トムは活き活きとする。ようやく樽熟成プログラム用のスペースが確保できたので、この試みはすぐにスピードを上げるだろう。トムの目標は50樽の在庫を持ち、毎週およそ1樽を充填できるようになることだ。



当初の計画はセゾンやサワービールの樽熟成を常に行うことだったが、ビールを初めて売り出すまでに一年待つというのは実行可能な事業モデルではなかった。一年目は、彼らはテストのためにさまざまなホップと酵母を使い、樽や野生酵母での発酵の実験を含めて40種類の異なるレシピでビールをつくった。今では、核となるレシピのいくつかに落ち着き、自分たちのつくるビールの出来に非常に満足している。

トムは心中をこう明らかにした。「私たちは弁解がましいビールをつくろうとしたことは一度もありません。特に日本では、ブルワリーを開設するとき、人が飲みたいと思うビールをつくろうとします。それはまったくとして私たちのプランではありませんでした」。彼は、その日にどんなビールをつくるか心変わりすることについて、何とも思わない。同じビールをつくり続けなければというプレッシャーを自分にかけることもしない。それは進化の過程であり、彼はその時々に最善だと思うことを行うだけだ。

トムは続ける。「素晴らしいビールだと思えば、つくり続けます。人がそのビールを買うか買わないかは、その人次第です。私たちは自分のビールを売り歩くことはしません。実際、自分たちのビールを売るために誰かにアプローチしたことはありません」。しかしかなり多くの人がAJBの存在に気づき、そのビールを購入するために彼らにアプローチしている。彼らは現在約10ヵ所以上に販売し、供給できない場所のウェイティングリストもかなりある。

AJBのビールの供給先には、一度バーに彼らの樽生ビールを設置すれば、きらすことなくタップを補充してほしいというのがトムの哲学だ。AJBのビールを求めるランダムな場所に、数ヶ月ごとにケグを一つか二つ送るというアイデアは、彼の好みではない。彼の「忠実な」顧客(ほとんどすべてが地元)に継続して供給できることに重点を置いているため、販路の拡大は非常に限定的なものとなっている。しかしこれはトムが甘んじて受け入れていることではない。生産量の即時拡大がかなわないことはもどかしいものの、常に顧客に供給しないことはフェアではないと彼には感じられる。

しかし恐れることはない、ビアギークの仲間たちよ! AJBの樽予約メンバーシッププログラムが進行中で、この冬一般の方も、野沢温泉まで旅せずとも彼らのビールを直接自宅に届けてもらうことが可能になる。その地に行かないことで、魅力的な景色と素晴らしいパウダースノーは体験できなくなるだろうが。初年度のメンバーシップは、熟成ビールの供給量が限られているため、約200に限定される。メーリングリストが即座に埋まってしまうことは想像に難くない。

「とりあえず生」という考え方は、夫妻の哲学にはあまりなじまない。ビールは、素敵なワインやシャンパンのボトルを贈り物として持ち寄るときのように、特別なシチュエーションのためにあると考えられるべきだと絵美子は考えていて、彼らのビールはその認識を変えられる可能性があると感じている。「ワインを選ぶときのようなものです。人は、特定の料理に合わせて飲みたいワインの種類やサーブする温度、注ぐグラスにさえこだわります。ビールもそうであってよいのではないのでしょうか?」

ビールづくりに親しみがわくようにし続けるというトムの哲学ゆえ、彼は、急激に規模を拡大するつもりはない。いくぶん成長したいとは考えているが、人任せにしない管理でありたいと思っている。彼が最終的に規模の拡大を決めたとき、焦点は樽熟成の拡張と、願わくば冷却槽の導入に当てられた。トムは、2、3年後に、20ヘクトリットルのブルーハウスを想定しているが、まだ何もまとまっていない。トム以外でただ一人のスタッフ、2014年12月に入ったアシスタントブルワーである小林新吾の助けを借りて、トムは、自身の忙しいスケジュールの合間を縫い、今後の計画の解決を図りたいと考えている。

彼らの小さな町で、AJBは、人々のビールに対する印象を変えるのに成功している。過去には大手メーカーのラガーを求めていた町の人も、今では、ハンドポンプのビールを得られないときには「うんざり」する人もなかにはいる。いつもサーバーから出てきていた、トムが言うところの「イエローフィズ(黄色い炭酸飲料)」をよく飲んでいた人がやって来て、AJBに、ほぼ完全に感謝している。なかには、最近新しい土地に行くとクラフトビアバーを探すと彼らに話す常連もいて、彼らはリブシー夫妻が新しい世界を教えてくれたことに感謝している。この目覚めは我々が応援すべきものだ。

今年の3月に北陸新幹線が開通するまで、野沢温泉は遠い地に思われていた。現在では、新設の、新幹線の停車駅である飯山駅から短時間バスに乗れば着くようになったので、東京からの旅行もはるかに楽になった。確かに、地元のビールを試すことに興味のある観光客は増えるだろうし、飲酒をする人でクラフトビール文化に気づく人も増えるだろう。これはトムと絵美子にとって良い前兆である。スキー旅行の代わりに、単純に彼らのビールのためだけに人がこの町を訪れるようになるまで、どのくらいの時間がかかるだろう。本稿を読んでいる読者のなかにも、すでにその計画を立てている人もいるかもしれない。




樽熟成メンバーシップに関するニュースについては、アングロジャパニーズブルーイングカンパニーのFacebookサイトをチェックされたい。インタビュー当時、絵美子は妊娠8ヶ月だった。リブシー夫妻は第一子となるケンを家族に迎えた。おめでとう!

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