Requiem for Taguchi Shohei

Taguchi, right, with Oshita, center, of Minoh Beer, and Sato, left, of Shiga Kogen beer. Taguchi, right, with Oshita, center, of Minoh Beer, and Sato, left, of Shiga Kogen beer.

多くの人がこのニュースを知って悲しく思っているように、前途有望なブルワーの一人、田口昇平(たぐち・しょうへい)氏が、予期せぬ体調の急変で、8月29日に急逝した。享年35歳。

ほとんどの人が田口氏のことを、クラフトビールに情熱を注ぐ、穏やかで長身の男性であると記憶しているだろう。彼は、成人してからの人生のほとんどをクラフトビールに捧げ、2015年4月に香川県でボタニカルビバレッジワークスという、ビールの製造・販売を事業の一つに掲げる会社を立ち上げたばかりであった。自身のブルワリーを開くという夢の実現の前は、日本のクラフトブルワリーのトップに類するヤッホーブルーイングとベアードブルーイングで、合わせて約10年勤めていた。

田口氏は、1999年に米国アンカー社のアンカースチームという銘柄を初めて一口飲んだときが、クラフトビールとの出合いだったと言っていた。アンカー社の設立者であるフリッツ・メイタグの本を読んだ翌年、自家醸造を始め、いつかブルワーになることを夢見るようになった。数年後、ヤッホーで職にありつき、梱包作業をする部屋で缶を箱に詰めていくという、最も下っ端の仕事から始めた。最初に醸造する機会を得るまで、何度も願い出ては断られた。自家醸造の経験のおかげで仕事上の醸造でも深い洞察ができるようになり、ヤッホーが目覚ましい成長を遂げている時期に、ついに醸造責任者に就任した。

数年前にはヤッホーを円満退社し、新工場の開設を控えていたベアードブルーイングに入った。彼は常に自分のブルワリーの立ち上げを目指していて、限定銘柄の多作で知られるベアードでは、ビアスタイルの理解を広げることを狙っていた。オーナーのブライアン・ベアードが言うには「田口氏は常に紳士的なブルワーで、思いやりがあり、落ち着いていて行儀が良かった。しかしブルワーとしてクラフトであることに専念することには熱い情熱を持っていました。彼のような優れたブルワーが必要不可欠な日本のクラフトビール業界にとって、彼の死は本当に惜しまれます」。

田口氏はイベント後に談笑している際に倒れ、発作を起こした。病院に運ばれたが、助からなかった。彼は短かったが充実していた人生の終焉で、少なくとも、友人に囲まれ、心から好きなことをしていた。彼の貢献は日本のクラフトビール文化を豊かにした。彼の友情は人々の生活を豊かにした。彼の死は本当に早すぎる。