さよなら、タナバタビアフェスタトヤマ

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photos & text: Kumagai Jinya

3月に「今年で最後です‼」と添えられて今年の開催が発表され、驚きをもって受け入れられたのが、タナバタビアフェスタトヤマである。富山市で2008年から毎年7月に開催され、近隣だけでなく、関東や関西からも大いにお客を集めてきた。岩手県一関市で開催されている全国地ビールフェスティバルin一関とともに、地方都市で長年続いてきたビールイベントの成功例である。

全8回のうち、第1回、第4~8回で実行委員長を務めたのが、城端麦酒の山本勝である。山本は「2008年の初回は開催する直前まで、お客が十分に来てくれるかどうか不安だった」と振り返る。そこで打った策が、青色のビールである「グランブルー」を、地元のブロック紙である北日本新聞に取り上げてもらうことだった。記事掲載によって前売りチケットの問い合わせが殺到し、参加した12のブルワリーで8000杯という予想を大幅に上回る杯数のビールが出た。

以来、2010年の第3回には16ブルワリーで約1万4000杯、2013年の第6回には20社で約2万1000杯と参加ブルワリーとビールの売り上げ杯数が増えていき、今年の第8回は21ブルワリーで約2万9000杯が売れた。山本は「会場は入場無料なので正確な来場者数は分からないが、初回は6000人ほどだったのが、今回までに1万5000人くらいに増えてきたのでは。若い人が増えたのが大きい」と見ている。

このタナバタビアフェスタトヤマのプログラムの一つに、ブルワリー投票ランキングがある。これはビールチケットに付いている投票券をお客が気に入ったブルワリーのブルワーに直接渡し、投票券を多く集めた上位5ブルワリーを発表するというものだ。今年は以下の結果となった。

第1位 城端麦酒 252票
第2位 富士桜高原麦酒 214票
第3位 日本海倶楽部 146票
第4位 志賀高原ビール 144票
第5位 べアレン 116票

山本は開催中、実行委員長としてお客に向けたあいさつのなかで、どうして今年で最後なのか、説明した。そして最終日の関係者打ち上げでさらに、詳しい説明をした。この山本のスピーチは今後の日本のクラフトビールの発展に大いに役立つと思われるので、以下に全文を掲載したいと思う。

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タナバタビアフェスタトヤマは、参加していただいたブルワリーと飲食店の出店料、お客さんに飲んでもらったビールの売り上げでもって運営してきました。出た利益は次回の準備のために充てました。行政の援助を受けたことはありません。関係者の宿泊施設のご提供以外、企業からの協賛も受けたことはありません。一度赤字になった時期もありましたが、常にこの形式で運営してきました。
一般的にイベントは、1回目に生みの苦しみがあり、3回目と5回目は区切りとしてとらえられ、7回目までいくと数字の縁起がいいのでやる気が維持されます。8回目と9回目は気持ちが若干フラットになって、そしてキリの良い10回までやって終わりにする、というのがよくある話だと思います。

去年7回目を終えたとき、横並びの6人から成る実行委員会が、ものすごく安定していると改めて感じました。8回目の今回は年明けから会議を始めましたが、会議の回数は結局たったの4回。これでイベント最終日まで取り仕切ることができました。限られた時間のなかで、各人がそれぞれすべき仕事をしっかり認識しているので、誰も不安になることはありませんでした。

全国各地のブルワリー関係者が「タナバタに行きたい」「富山いいよね」と言ってくれています。でも全国のほかのイベントと比べると、タナバタは売れる杯数が突出して多いわけではありません。だから「タナバタに出たい」と言ってくださっている各ブルワリーの方々は、出店するために会社を説得する必要があります。そのためには、「タナバタは運営がちゃんとしていて安心してビールを提供できる」と実感してもらわなければなりません。
現実行委員会のメンバーには、ビールとは関係のない仕事を持ち、ボランティアとして入っているメンバーもいます。このイベントが次のステップに進むためには、今より5、6倍の時間が必要です。「それではメンバーを増やせばいいのでは」と思われるかもしれません。しかし、この4年間続けてきた実行委員の体制は安定感があるだけに、新しい人が入ってくる余地がないと思うようになりました。

タナバタを始めたときに費やした時間は、8年をかけて10分の1くらいに減りました。実行委員のメンバーが、僕の役割をものすごく減らしてくれて、支えてきてくれたおかげです。現状の規模のイベントを維持することは十分できます。だからといってそれを続けては、次の世代が育ちません。まだまだ伸びしろのあるタナバタには、次の世代が必要です。彼らを育てる時間は、僕たちにはありませんでした。

昨年、一つの決断をしました。それは、実行委員の一人が言った「本当にケジメをつけて惜しまれながらやめたいなら、『今年が最後です』と謳って最後の1回をやりきってからやめなきゃ」という言葉を受け入れたことです。そして2015年の第8回でもって最後にすることを決めました。
8年前の現状だとSNSはミクシィくらいしかない状況でしたが、現在はフェイスブックやツイッターなどで何でも情報が手に入り、全国では本当にたくさんのイベントがあります。おかげさまで「クラフトビール」と言われて評価される時代にもなっています。

そうした環境・状況を生かして、次の世代の方にこの富山に新たな風を流し込んでもらいたい――。そうした気持ちで、僕たちはこのイベントを今回で最後にするという決断をしました。そして今年3月1日に、今年のタナバタの要項を発表し、「今年で最後」という言葉を使い始めました。こうすることにより、もし次にやりたいと思っている人に1年以上の準備期間を残せることになりました。

今回、「どうして止めてしまうんですか」と何回も聞かれました。「大変な事情や問題がいろいろあるんでしょう」とも言われました。しかし、そうした問題は全くありませんでした。そうおっしゃっていただいた方一人ひとりに、しっかりと理解していただくまで話し続けました。おかげでこの、かれた声になってしまいました(笑)。でも、「このイベント大好きなんです」「なくなったらさみしいんです」とおっしゃっていただいた方が大多数でした。そうした方々にも、どうして止めるのかを一人ひとりに説明しました。

だから、ネガティブな意味での終焉ではありません。次のステップに行くために僕たちがいったん手を引くのです。タナバタをやってきたことにより、クラフトビールの不毛地帯だったこの富山を、なんとか耕すところまでできた気がします。

この地でクラフトビールに関して新しく何かをしようと思っている方に、この3日間でどれだけ刺激を与えられたか。この3日間が皆さんの心にどのように残ったのか。皆さんそれぞれだと思いますが、それが価値あるものであると信じています。僕たちはいったん、こうしてマイクを置かせていただきたいと思います。皆さん、どうもありがとうございました!

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 筆者もタナバタが終わったことを惜しむ一人である。しかし、イベントオリジナルグラスを見るたびに思い出すだけでなく、「タナバタ」と聞けば「トヤマ」だし、「トヤマ」と聞けば「タナバタ」と必ず連想するようになった。同じようになった方は少なくないと思う。地元でイベントをすることの意義を多くの人に伝えたという、語り継がれるべき功績もあるだろう。そして何より、こうした素晴らしさに触れる媒介となったビールの力を改めて思い知らされる次第である。