Thrash Zone

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横浜にあるスラッシュゾーンのタップルームに足を踏み入れればすぐに、そこが唯一無二の空間であることが分かる。建物そのものが、まずほかになく個性的で、不規則に立ち並ぶアパートとラブホテルの真ん中を走る通りから隠れたところにある。店内にはセメントで打ちっぱなしの床と12席あるカウンター、そして2、3のテーブルが備えられており、一見普通のバーだが、二つの点が際立っている。一つ目は、店のドアを開けるとまず、大量のDVDやライブのポスター、アンプ、ギターなど、膨大な量のヘヴィーメタルに関するグッズが目に飛び込んでくること。そして二つ目は、バーカウンターの後ろに架かっている大きな黒板に書かれたビールメニューだ。そのラインナップのほとんどは、高アルコールでIBU(国際苦味単位)も高い銘柄で占められている。それらを飲み放題にすると身の破滅をもたらすだろう!

この店はオーナーでありビールづくりも担っている勝木恒一の思いがそのまま形になっている。彼はしばしばお決まりの姿でいるのが見かけられる。眼鏡をかけ、キャップをかぶってアングラなメタルバンドのTシャツを身に付け、腕を組んで直立している。この見た目は「エクストリーム」ではないが、勝木と会話をすればその印象は変わるはずだ。勝木の哲学は非常に非順応的かつ反主流的で、彼がつくるビール、飲むビールから好む音楽まで、あらゆるものが世の中の主流から外れている。

しかしながら、勝木は常に「非主流」であったわけではなく、10年前まで国内石油最大手の新日本石油株式会社で働いていた。そこでの仕事に何も不満はなかったが、熱意がわいてくるようなものでもなかったのもはっきりしていた。2004年、同社は勝木に大阪オフィスへの転勤を命じた。当時知る由もないが、この転勤が勝木の人生を全く違う方向に進ませ、すべてを変えるきっかけとなった。

クラフトビールについて何も知らなかった勝木は、ある日、滋賀県にある長浜浪漫ビールに偶然出合った。ときどき琵琶湖に釣りに出掛けていた彼は、宿泊していたホテルで長浜浪漫ビールのパンフレットを手にし、興味を持つ。同ブルワリーの長浜エール(スタイルとしてはアメリカンペールエール)は、決して強いレベルではないが、勝木にとっては新鮮に思えたホップの味わいがある。その美味しさに夢中になり、その後すぐ、滋賀に出掛ける目的は釣りよりもビールを飲むことへと変わっていった。大阪への転勤が、勝木がクラフトビールの世界に深く入り込む契機となった。

箕面ビール直営のビアベリーというバーが、新日本石油の大阪オフィスの真向かいにあった。今回のインタビューの間ずっと、勝木は非常に穏やかでくつろいだ様子だったが、ビアベリーの話題になると一転して活発な様子になった。ビアベリーで提供されるビールが素晴らしかったのはもちろん、彼を本当に興奮させたのは、その経営の在り方だった。箕面ビールの銘柄はもちろん、ほかのブルワリーからのゲストビールも入れて、クラフトビールしか提供しないことに深く共感した。「なんて新しくて画期的なビジネスモデルなんだろう。これこそまさに自分がやりたいことだ」。勝木はいつしかほぼ毎晩訪れる常連となり、現在も店を切り盛りしている八幡康斎から、ビールについて教えてもらえることは何でも学んだ。そしてたまたま立ち寄ったブルワーとも話して知見を深めていった。そして、転勤から2年が経ち、また、何杯飲んだか分からないほどビールを味わった後、勝木は会社を辞めてサラリーマン生活から離れ、クラフトビールの世界で新しいビジネスに挑戦することを決意した。

勝木が最初に設定した目標は、出身地である横浜でバーを開き、箕面ビールと長浜浪漫ビールを提供して、その素晴らしさをなるべく多くの人に知ってもらうことだった。営業モデルはもちろん、ビアベリーの「クラフトビールのみ、大手メーカー製はなし」だった。勝木の両親は、勝木が経済的に不安定になるのではと心配しつつも支援してくれた。独身(勝木は「自分の妻はビール」と言う)であるからこそ、このリスクが取れると考えた。2006年にスラッシュゾーンを開店したとき、クラフトビールを提供するお店は横浜を含む東京大都市圏でもほとんどなかった。このビジネスはすぐに軌道に乗ったわけではなかったものの、勝木の予想以上にうまくいった。まず、店の基礎となる常連をつくることから始めた。彼らは今でも忠義に通ってくれている。

当時、勝木は、米国のクラフトビールについては常連の米国旅行のお土産でしか味わったことがなかったが、それらを気に入り、樽を輸入する方法を探し始めた。そして2007年に株式会社ナガノトレーディングのアンドリュー・バルマスと出会う。バルマスは、「勝木さんは、弊社が日本で発展していくための大切な顧客、そして友人として、非常に重要な役割を果たしてくれた」と振り返る。実際、ベアリパブリック醸造所やスピークイージー醸造所の樽詰めビールをナガノトレーディングが日本に輸入した際、勝木が主要な推進役となった。ベアリパブリック醸造所のスタッフの来日歓迎パーティーはスラッシュゾーンで開催された。その後はバラストポイント醸造所とコロナド醸造所の来日歓迎パーティーも開いてきた。将来的にはストーン醸造所のそれも構想している。

バルマスと出会ってから約半年後、初めての「非国産」クラフトビール2樽を店につないだ。銘柄はスピークイージーのビッグダディーとグリーンフラッシュのウェストコーストIPAだ。インタビューがここに及んだとき、勝木はまたしても非常に生き生きとし始めた。そしてイスから飛ぶように立ち上がってカウンターの後ろに駆けていった。並ぶタップの前に立つと、こう言った。「その二つの樽をつないだ日のことはありありと覚えています。ウェストコーストIPAを注ぎ始めると、私の鼻はタップから離れていたにもかかわらず、強烈な香りがしたのです。これで完全に虜になりました」。現在、スラッシュゾーンは、グリーンフラッシュ醸造所製の樽詰めビールの売れ行きが日本で最もよいバーだ。小さな店が成し遂げた偉業である。

ウェストコーストIPAは勝木のビール観を完全に変えた。強烈な味わい、力強い香り、そして高いIBUとアルコール度数を同時に持つ銘柄は日本では珍しい。ウェストコーストIPAは「過激」と言うにふさわしいと思った。そしてそのとき、スラッシュゾーンのコンセプトである「過激なビール」が生まれた。彼によると「ウェストコーストIPA並の質を持つだけでなく、明確で卓越した個性を自己主張しているのがこの『過激なビール』なのです」とのことだ。数年にわたってそうしたビールをした後、勝木は新たに大きな一歩を踏み出し、ビールづくりを始めることを決意した。

ピルスナーやペールエールといった定番的なビアスタイルからつくり始めたほとんどのブルワーと違って、勝木は「過激」一直線にダブルIPAから始めた。勝木はそれをギターの弾き方を学ぶことに例えて言う。「初心者は、まずお決まりのパワーコードとディープパープルの『スモークオンザウォーター』から始めます。しかし最初につくるビールをダブルIPAにするということは、最初のレッスンでデスメタルの弾き方を習うようなものです」。完璧な方法だったと彼は振り返る。

厚木ビールに友人がいた勝木は、自分でつくったレシピをもとに、彼らにビールを委託醸造してもらうことにした。そのレシピはロシアンリバー醸造所のプライニージエルダーを大まかに基にしたものだった。この銘柄はカリフォルニアを旅したときに飲んで非常に印象に残っていた。そうして、ホップスレイブダブルIPAという絶妙な名前を付けられた銘柄が誕生した。これはスラッシュゾーンで人気の定番銘柄となり、自信を得た勝木は、もっと多くのレシピをつくろうと思った。クラフトビールが日本で人気を得ていくと、厚木ビールの友人はスラッシュゾーンのビールをつくる時間を持てなくなっていった。そこで勝木は2011年に、自分でビールをつくる場を探すことを決めた。

勝木は、横浜の反町にあり、スラッシュゾーンの店舗から歩いて行けるところで、約120リットルの小規模な仕込み量での製造を始めた。彼のつくるビールを求める声が大きくなったため、今では仕込み量は300リットルに増え、製造スタッフもほかに2人の男性が加わっている。過激なビールを求めるすべての人たちのために、将来的には製造設備をもっと大きくする必要があると勝木は考えているが、決して、大規模な営利本位のブルワリーにするつもりはない。あくまでも自身の手でつくり、提供する。

この記事を書いている現在、スラッシュゾーンでは六つの定番ビールがあり、それぞれへヴィーメタルに由来する名前を持っている。前述のホップスレイブは、今では主力銘柄であるダブルIPAのホップディーサイド(IBU 70、アルコール度数8.9%)に発展した。ホップはシムコー、シトラ、チヌーク、コロンバス、トマホーク、ゼウスを使っている。そのほかにスピードキルズIPA(同75、7.5%)、モービッドレッドIPA(同45、7.2%)、ワールドダウンフォールスタウト(同50、7.8%)エンヴェノムバーレイワイン(同70、10%)、そしてフロントサイドグラインドスケートボードIPA(同50、3.5%)がある。フロントサイドグラインドスケートボードIPAは西山剛とのコラボレーションで生まれた銘柄だ。西山は、スケートボード関連グッズやスケートパークの設計を手掛ける、その世界では有名なFelem Skatesを率いている。茨城のスケートパークで西山と出会った勝木は、彼がパンクロックとビールの大ファンであることを知ると意気投合した。彼らは、勝木がつくるビールにしては極めて珍しく、アルコール度数3.5%しかないセッションIPAをつくることにした。スケーターが何杯かあおっても滑り続けることができるように、アルコール度数の低いものをつくったのである。

勝木がブルワリーにも店にもいないときは、Marubullmenというスラッシュメタルバンドでヘッドバンギングをしながらギターを弾いているかもしれない。彼は2014年1月にこのバンドに加入した(ライブ映像に興味があれば、「Marubullmen@ Nine spices Shinjuku Tokyo 2014.11.15」でインターネット検索をすると見つかる)。もちろん「過激な」音楽をやっている。

勝木が歳を重ねるにつれ、つくるビールが過激でなくなっていくかもしれないと思う向きもあるかもしれないが、勝木は「それは絶対にない」と強調する。いずれにせよ、客は主流から外れたビールをもっとつくることを期待しているし、それは実現されるだろう。「過激なビール」というコンセプトに共感する人は、引き続きスラッシュゾーンが生み出すビールに注目しよう。失望することはないはずだ。

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