Silver City Brewery



ワシントン州(アメリカ合衆国の太平洋沿岸北西部)には多くのホップ畑があり、複数の都市がクラフトビール関連で訪れるべき真の目的地として知られている。そしてアメリカ最高のブルワリーレストランのひとつ、シルバーシティ・ブルワリーの店がある。少なくとも、かなりの人々がそう考えている。シルバーシティは、地域レベルでも全国レベルでも「ベスト○○」賞を多数受賞していて、そのビールは消費者やジャッジなどから高く評価されている。

こうした成功とそれに続く需要に背中を押され、オーナー兄弟のスコットとスティーブ・ホームズは2010年に大規模なプロダクション・ブルワリーを開設した。そしてこれにより日本を含む幅広い地域でビールを供給することが可能になった。我々はこの春、スコットとブルーマスターのドン・スペンサーに、彼らのこの「生涯をかける仕事」について質問をした。

スコットとスティーブは、父親の励ましにより1990年にレストラン業をはじめたが、数年後にはクラフトビールこそ彼らの天職であると気付いた。スティーブは「マクミナミンス」での前職を通じて既にクラフトビールへの情熱を育んでいた。マクミナミンスは、オレゴン州の兄弟が設立した面白い企業で、ブルーパブ、歴史的ホテル、映画館、そのほか同様に楽しいものを営んでいた。

1996年、スコットとスティーブは、シルバーデールにブルーパブをオープンし、クラフトビールビジネスに参入した。では彼らはレストラン経営者だったのか、それともブルワリーの?

スコットはこう言った。「自分のことは1人の起業家だと考えています。私は、何か正しいことをして自分がしていることに誇りを持ちたい人間です。楽しく仕事に行きたいし、毎日の中で私の周りにある製品、サービス、そして人を楽しみたいです。自分がしていることにワクワクするほど素晴らしいことはありませんからね」

クラフトビールに極めて適した心構えと数年間のレストラン経験を持つ2人は、この起業で成功をおさめた。醸造施設の拡張は何年もおこなわなかったが、ニーズの集中を解消するために自社レストラン以外にビールの販売を開始した後でさえも、レストランは入店まで45分待ちの状態だった。そこで彼らは製造拠点の移転を決意し、近郊のブレマートンに2010年、より大規模な施設を開く。

「移転拡張はビジネス上の決断でしたが、結果としてワシントン州内でより幅広く多くの人々にビールを提供できるようになりました。さらに、伸び代が得られたことで、現在では当時の4倍以上の量を製造しています」

より大型のシステムを用いるようになって、品質管理やロジスティクスの面で問題に直面することはなかったのだろうか?

醸造長のドンはこう答えた。「実際のところ、驚くほどスムースに事が運びました。起こり得るあらゆる障害を予測しながら計画を練り上げました。幸運なことに、我々はそれほど遠くへ引っ越さずに済んだため、移転前と同じ水を使うことができました。ここの水はとにかく素晴らしいのです」

客は以前を懐かしんだが、ドンは、専用の設備を得てビールの質は恐らく向上したと考えている。製造量が増加したことで、地元のクラフトビールシーンを成長させることにもつながった。

ドンはプロとしての自分のルーツを振り返り、自家醸造とトーマス・ケンパー・ブルーイングを挙げた。1985年頃に設立された、当地で有名なクラフトビールのパイオニアだ。

「初めてクラフトビールに触発された時、自分の街にブルワリーがあった。これは幸運でした。トーマス・ケンパーは、クラフトビールを仕事にすることもあり得るという考えを、僕の頭に植え付けたのです。そして僕はビールに取り付かれ、できる限り何もかも学びたいと思い、トーマス・ケンパーで4年間働きました。とにかく没頭していました。本を読み、試飲をし、毎週末、時には1つの週末で2度、自家醸造を続けました。1995年にスコットとスティーブと知り合った時、2人から彼らのレストランをブルーパブに改装する計画を聞かされて、またとない大きなチャンスだと思いました」

ドンが造った初期のビールには自家醸造の経験から生まれたものもある。シルバーシティはドンのパイロットシステムにも信頼を寄せていた。このシステムは現在でも醸造施設内で研究開発に使われている。

「ブルワリーの成長と共に、自身のクラフトについても多くを学びました。同時に、常にオープンな姿勢でいることも学びました。僕たちが造ったビールの多くは、異なる伝統がルーツになっています」

最近では、ドンはスコット、スティーブ、そして社内の他メンバーと新しいビールのアイディアを共有しながら共に仕事をしている。そのアイディアはマーケティング側から生まれる時もある。ドンにとって最初はちょっとした抵抗を感じるようでもあるが、そのアイディアに沿って仕事をして結果に驚かされることが多々あるとドンも認めている。

「素晴らしいアイディアがあちこちから生まれてきます。このパイロットシステムを持つメリットのひとつはこの点にあります。それに僕たちはブルワーたちと非常にオープンに話をします。ブルワーたちは、実験を試みたり自分のインスピレーションに従うことを許されていて、素晴らしいビールを生み出してきました」

そうした実験的ビールのひとつである「レッドゴジラ」(レッドIPA)は、けやきひろばのビアフェスでもデビルクラフトのブースで販売されていた。

シルバーシティーは客のリクエストにも耳を傾けてくれるのだろうか?

「ええ、もちろんです。僕たちは自分たちのアイディアでも、まだ手をつけるにも至らない長いリストがありますが、お客様からのフィードバックをいただきたい、という哲学を常に持っています。自分たちだけのことではないからです。また同時に、自分たちで飲むことにワクワクできないビールはつくりません」

シルバーシティは、ほとんどの原料を地元でまかなっている。既に述べたように、地元の水は素晴らしい。ホップ畑は山のすぐ向こう側だ。地産の穀物もある。では「テロワール」を謳うことができますね?

「そのような要素もあると思います」とスコットが答えた。

ドンは次のように付け加えた。「多くのブルワーは、醸造を始めるとまず世界中のスタイルを真似しようとします。ミネラルを使って水質を調整し、各スタイルに合わせようとします。僕もそうしていました。その後、自分たち自身のローカルな味をビールに与えたい、と気付いたので、水には何も加えなくなりました。現在シルバーシティがつくっているビールはすべて、そのような特徴を持っています」

シルバーシティはエバーグリーン・インポーツを介して2012年の暮れから日本への輸出を開始した。

スコットは言う。「日本市場でクラフトビールが成長するお役に立ちたいと思っています。20年前に日本を訪れた時はクラフトビールを目にすることはありませんでした。それを思うと、今私たちのビールが日本にあるというのはエキサイティングです」




This article was published in Japan Beer Times # () and is among the limited content available online. Order your copy through our online shop or download the digital version from the iTunes store to access the full contents of this issue.