デビルズ・キャニオンはある意味最もクラフト・ブルワリーらしいブルワリーである。ビールのみならず、ビール以外のものもほとんどすべてがハンドクラフト(手造り)だからだ。
オーナー兼ブルーマスターのクリス・ギャレットはニューメキシコ州の人里離れた大牧場で育った。何でも自分でやるのが当然、そんな環境で育った彼は今でも便利屋さんのような存在だ。カリフォルニア州のサンカロスに完成間近の新しいブルワリーを私たちが訪ねた時、クリスは配線、導管、機器類など彼と彼の仲間が行っている作業について、一つ一つ説明してくれた。道具類やスペア部品が散乱している小屋にも案内されたが、その光景はまるでブルワリー内にホームセンターでもオープンさせるのか?という感じだった。彼らは廃業予定のブルワリーから使えそうなものをかき集めて再利用しているのだ。それは彼らの持続可能なビジネス手法であり、クラフトビール業界にとって必要不可欠なことである。
もちろんビール造りこそがデビルズ・キャニオンの真髄であり、あらゆるスタイルにおいてバラエティ豊かなビールを生み出している。私たちがまず注目したのはフル・ボア・スコッチエールというビールで、チョコレートの香りがするモルティなボディはまるでチョコを食べている感覚にさせてくれる。他にも色々試してみたがどれも素晴らしい出来で、これまで同社のビールが日本のクラフトビール愛好家の間であまり話題に上らなかったことが不思議なくらいである。そこで私たちは同社の歴史とビール哲学についてもう少し掘り下げてみることにした。日本のクラフトビール愛好家にとっても興味津々な内容だと思う。
クリスがビール造りを初めて手がけたのは大学時代に彼が専攻していたバイオテック・マネージメントというカリキュラムの中でのことだった。
「発酵化学の世界に引き込まれて、薬品が発酵作用によって研究室で培養されることを学びました。その概念にすっかり夢中になり、ビール醸造との類似性に気付きました」。
そしてクリスはホームブルーイングを始めたのだが、その後大学側の都合でそのカリキュラムは閉鎖になってしまった。そこで彼はマーケティングを専攻することになったが、その選択のお陰で多忙なサラリーマン生活を送ることになり、ビール造りも中断してしまった。
ビジネスの世界に埋もれて5年が過ぎたある日、彼は悟った。「このライフスタイルは最悪だ」と。そして2001年のある日のこと、クリスはベルモントにある建物を借りてそこで醸造会社を立ち上げた。17米ガロン(64リットル)の小さな釜が8個並んだ小規模醸造システムからのスタートだった。しかしビール造りが始まったらのんびりとはしていられない。ビール造りは常にビールの状態から目が離せない世界であるし、細心の注意が要求されるのだ。
クリス・ギャレットの話はブライアン・ベアードを連想させるところがある。ベアード・ブルーイングも1バッチがたったの30リットルという規模からのスタートだった。そのような小規模醸造を毎日続けたお陰で短期間に多くのことを学ぶことができた、とクリスはいう。「小さな設備で何百種類ものレシピで何千バッチも仕込みました。年間1300バーレル(約155キロリットル)造ったこともありました」。
しかしそのような無茶な状態も長くは続かず、クリスは2003年、ある工業団地で新たなブルワリーを始めた。ブルワリーの規模は大きくなったが、その一方で依然としてホームブルーイングから得るものもあったという。
「当社のデディケイテッド・アンバーエールは、ホームブルーイングの中で考え付いた歴史的なIPAレシピが元になっています。IPAが世界で初めて造られた頃に入手可能だった原料はどんなものだったかを調べている中で生まれたレシピです。そのレシピにいくつか改良を加えて今の形になりました」。
何年か経った頃、彼のブルワリーは自宅と託児所を兼ねた状態になっていた。クリスの妻で共同オーナーのクリスチャン(チェコの某有名ブルワリーで働いていたブルワーの末えいでもある)が女の子の赤ちゃんを出産したのである。
「私はブルワリーで産気づいて病院に連れて行かれるまで、ここの長椅子でほぼ35時間もの間陣痛と戦いました。そして娘は生まれて5日目の日から毎日、このブルワリーに来ています。生後何か月かの間は特に面白かった。ブルワリーの事務所は私以外に3人の男性と共同で使っていて、私は娘をそこで寝かせたり自分の机で授乳したりしていました。周りもその状況を自然に受け入れていました。娘を託児所に預けたことは一度も無く、自分たちの手で育てられたことに感謝しています。赤ん坊が泣いている横で電話が鳴り、その状態で込み入った仕事の話をしなければならないこともあったし、彼女をおんぶしたり抱っこしながら会議をしたりビールを飲むことも普通でした。娘をここで育てたお陰で、私たちがコミュニティに伝えたいと思っている家庭的な雰囲気がこのブルワリー内に広がりました。ファンの皆さんには私たちが築き上げたこの家庭的な環境を気に入ってもらっています」。
ギャレット一家と彼のブルワリーの成長は共にあった。通常ならめでたしめでたしという話だが、デビルズ・キャニオンの拡張は工業地帯の空きスペースを使ってのゆっくりしたもので、駐車場にある運送用コンテナを会社のスペースとして利用したりもしていた。このことに関連して、クリスが経済的不都合について興味深い説明をしてくれた。
「事業を拡張する際、横方向に規模を広げるのはコスト面で問題が大きくなります。なぜなら、タンクのコストが工学技術面に大きく掛かってくるからです。上の空間に余裕があるなら背の高いタンクにする方が費用対効果の面で優れています」。
さらに、タンクに関する工学技術的見地から「エールの発酵には底の平らなタイプのタンクを使います。この形の方がエステル香をうまく引き出せると思うからです。下が円錐形のタンクでは発酵の進み方が荒削りで、せっかくのエステル香が飛んでしまいます」とクリスはいう。
エステルについて
ビールの発酵過程で酵母によって生成される化合物で、ビールにフルーティなアロマとフレーバーをもたらす。菌株によりエステル香の強さやタイプが異なる。発酵時の温度も大きく影響する。ラガーよりも高い温度で発酵するエールは豊かなエステル香を持つが、ラガーではほとんど感じられない。そもそもラガースタイルのガイドラインではエステル香を嫌うものがほとんどである。ドイツのヴァイツェン酵母から生まれるエステル香では明確なバナナあるいはクローブのようなアロマがある。しかし過度のエステル香はエールにおいてさえも風味のバランスを崩すものとして敬遠される場合がある。
デビルズ・キャニオンのビールの中でも最もアロマが際立っているのは恐らくビエール・ブリュット(Belle)だろう。シャンパンイースト、ピルスナーモルト、甘蔗糖を使い、非常に手の掛かる製法で造られるこのビールは、ワインとビールとシャンパンを足して3で割ったようなフレーバーとアロマを持っている。レシピの完成に2年も掛けたというこのビールは発売されるとすぐに完売してしまった。
新しいブルワリーが完成してクリスのチームが再びビール造りに専念できるようになったら今度はどんなすごいビールが出てくるだろう、と期待せずにはいられない。同社が造る限定ビールや特別醸造ビールを見ると同社の今後の方向性がちょっと見えてくる。バーレーワインスタイルのバレル・オブ・モンキーは、カリフォルニアで人気のIPAに代わる魅力溢れるビールとして大きな注目を集めている。クラフトビールとフードのペアリングが盛んに話題に上る昨今、ハデス・ハバネロ(カスケードホップとハバネロのバランスが秀逸)というビールは、食通・ビール通共に注目のビールとなりそうである。
これらデビルズ・キャニオンのビールのほとんどは生産量が少ない上に地元でほとんど消費されてしまうので、日本に入ってくることは今後もまずないだろう。それだけに同社のブルワリーにわざわざ足を運ぶ価値があるのだ。サンフランシスコ国際空港から車ですぐのところにある同社は、ブルワリー内に毎週金曜日に一般開放される大きなテイスティングルームを備え、毎月月末には生演奏もある。最近同社はインターネット上の人気投票サイトA-Listで「お気に入りベイエリア・ブルワリ—」(2013年)及び「ベスト・ベイエリア・ブルワリ—」(2014年)に選ばれた。サンフランシスコまで行く余裕が無いという人はアンテナアメリカとナガノトレーディングで同社のビールを扱っているのでご安心を。本物の味を知っているバーや酒店でも同社のビールを扱っているところがあるので探してみよう。
デディケイテッド・アンバーについて
アメリカを代表するロックバンド、グレイトフル・デッドに因んで名付けられた。即興演奏重視のスタイルで知られ(ジャムバンドの元祖ともいわれる)、1965年から95年までの30年に渡って活動した。クリスとクリスチャンはデッドのコンサートに何回足を運んだか分からないほどだという(ちなみに本誌編集長ライ・ベヴィルもデッドの大ファンである)。瓶のラベルに描かれたイメージや、缶に印刷されている説明文は同バンドの楽曲の歌詞からインスパイアされたものである。同社のビールのラベルアートには必ず何らかのストーリーがあり、例えば「フル・ボア」はブルワリー周辺に生息するイノシシがモチーフになっているし、「シリコン・ブロンドエール」では裸の女性がシリコンバレー(慌ただしい人生の象徴)に背を向け、ホップ畑(穏やかな人生の象徴)の方を向いて立っているが、これは穏やかな気分でじっくりとビールを楽しんで欲しいという同社の姿勢がそこに示されているのである。
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