Beer Hearn: Where Gods & Ghosts Love Beer



by Kumagai Jinya

島根県出雲市にある出雲大社には、全国から観光客のほか、10月には神々が集まることで知られている。伊勢神宮と双肩を成す、日本で最も重要な神社の一つだ。そこから鉄道、車で1時間ほど離れた県庁所在地の松江に、「ビアへるん」ブランドでクラフトビアを製造・販売する島根ビールがある。本誌で以前取り上げた伊勢角屋麦酒が伊勢神宮の近くでおいしいビールをつくっていることからも、やはり日本にもビールの神様がいるのだと思えてくる。

17ページの大山Gビールの岩田が「やのっち」と呼ぶのが、島根ビールの社長の矢野学だ。島根県出雲市出身の矢野は大学の工学部を卒業後、大手酒造メーカーに入社。杜氏になることを希望していたが、機械のメンテナンス部門をずっと任され続け、醸造を担当することはなかった。4年が経ったある日、故郷の島根県でビールづくりをする会社の立ち上げメンバーの募集を新聞で見て、転職を決意した。1996年のことだった。

転職してビールづくりがすぐに始まるかと思いきや、工場の土地が2年以上決まらなかった。その間矢野は、広島県にある酒類総合研究所に派遣され、稼働して間もないビール醸造設備のマニュアルづくりに従事し、知見と経験を深めていった。

そうして1999年4月28日、念願の製造と販売が始まった。ブランド名は松江にゆかりのあるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の愛称を入れた「ビアへるん」に決定した。ハーンはギリシャ生まれのアイルランド育ちで、作家、教育者、ジャーナリストとして知られている。特に怪談の『耳なし芳一』『雪女』『ろくろ首』は有名だ。1890年から翌年までの足かけ2年、島根県尋常中学校と師範学校の英語教師として松江に暮らしていた。ハーンに関する様々な資料を収蔵した小泉八雲記念館は、島根ビールから歩いて5分かからないところにある。

工場が稼働すると同時に矢野は工場長になり、ブルワーはほかに3人いた。当時のラインナップはピルスナー、ヴァイツェン、ペールエールの3種。工場と同じ敷地内にある「松江堀川地ビール館」の飲み比べセットにもできる選択だった。この地ビール館はオープンした年こそお客で賑わったが、次年度から客足は大きく鈍った。販売のほとんどを地ビール館に頼っていたビアへるんも厳しい状況に陥った。

状況を打破できないまま、2002年から矢野自らが関連会社である酒造会社に出向することが決まった。ここで矢野は営業を担当した。「ビールづくりができないのは確かにさみしかった。しかし営業という初めての職種を経験することにより、商品を売るということがどれだけ難しいのか、知ることができました。ビールづくりを事業として成り立たせるためには営業もしっかりやらないといけないと、このときから思いました。質の高いビールをつくることはもちろんですが、それだけではいけないのです」

2004年に矢野がビアへるんに戻っても、赤字状況は変わっていなかった。販路のほとんどは相変わらず地ビール館だけという状況が続いていたため、矢野は醸造をしつつ営業もするようになった。大阪や横浜のビアフェスティバルに出展し、徐々にだが知名度を高めていった。

そうして2005年に、縁結麦酒スタウトが、インターナショナルビアコンペティションで金賞を受賞した。乳糖を入れたまろやかで飲みやすいこのミルクスタウトに、矢野は並々ならぬ思い入れがある。縁結びの由来は、島根ビールのスタッフであり妻である亜希子との、結婚披露宴で振る舞われたビールであることだ。実は亜希子はもともと他社のブルワーだった。披露宴では矢野が黒色のビールを、亜希子は淡色のビールを用意し、出席者に振る舞った。この黒色のビールが現在の縁結麦酒スタウトなのだから、ご利益がないわけがない。もちろん、縁結びのご利益があると言われている出雲大社ともイメージを重ねている。

なぜ出雲大社が縁結びのスポットとなったか、確認しておこう。出雲大社に祭られている神はオオクニヌシで、アマツカミへの国譲りで知られている。オオクニヌシはあるときから、今まで自分が治めていた国を譲る代わりに幽界を治めることになった。この幽界は「目に見えない世界」と解され、そこには「人と人との縁」も含まれるところから、「幽界の統治者は縁結びも司る」と理解されるようになったようだ。グラスに注がれた漆黒の縁結麦酒スタウトを見つめていると、目に見えない世界を感じることができるかもしれない。

縁という意味では、「中国地ビール協議会」もある。中国地方でビールを醸造している8社(吉備土手下麦酒醸造所、海軍さんの麦酒、作州津山ビール、大山Gビール、チョンマゲビール、独歩ビール、真備竹林麦酒、ビアへるん)が参加し、醸造に関する勉強会や、イベントへの共同出展をしている。特に重要なのが「飲み会」だ。所属は違うが、同じ仕事をしている仲間たちとざっくばらんに飲むことは、どんな業種であれ重要だと思う。アイデアの行き詰まりを打破できるかもしれないし、何より近くに仲間がいることを確認できれば、困ったときに助け合えるだろう。

矢野は、「島根は『日本で47番目に有名な都道府県』とも言われている、残念ながら有名ではない県。松江と松山もよく間違われます。だからこそ、ほかとは違うビールで特徴を出さねばなりません」と主張する。そこで、ほかがほとんど出していないミルクスタウトをつくり始めたし、コーヒー、チョコレート、ハチミツ、レモンを使ったビールをつくってきた。さらに、一昨年からはホップの栽培も始めている。品種名は「ゼウス」ということで、これもまた出雲の神のイメージとぴったりと重なる。

単に奇をてらったビールをつくっているわけではない。「『ほかがやっていなくて、自分が飲みたいビール』であることが重要なんです。飲みたくないものをつくっていると、作業に手抜きが出てくるでしょう」

そんな矢野の営業展開とオリジナルビールの製造は、着々と成果を生み出している。「5年くらい前から、他社と比べるとウチのビールのラインナップは濃いということに気が付いたんです。イベントに出ていなければ、気が付かなかったかもしれません」

2011年から島根ビールの社長となった矢野は、現在は主に営業を担当し、醸造長には矢野と同時に入社した谷勲が就いた。谷は「私は、工場があるこの町内の出身。松江の湧き水を使い続け、松江のおいしい食べ物に合った、松江らしいビールをつくっていきたい」と意気込む。私が取材で訪問したとき、谷は水汲みからちょうど帰ってきたところだった。さらに2012年には、増え続ける醸造量に対応するため、ブルワーとして大石泰史も加わった。大石は東京でのサラリーマン生活から心機一転、松江でブルワーとなった。そしてこの4月には初の仕込みを担当し、そのビールは6月に販売される予定だ。彼の飲みっぷりをよく知るビアパブのスタッフ、クラフトビアファンは少なくないだろう。勇気ある決断に乾杯!

まだまだ地元島根でファンを増やす必要を感じている矢野は、昨年から松江で「山陰地ビールフェスタ in 蓬莱吉日庵」を開催している。これは松江にある料亭を貸し切って料理とビールを楽しむもので、ビアドリンカーたちの次なる興味である「ビールとフードのマリアージュ」の、一足早い取り組みと言えるだろう。今年は6月15日と8月23日の開催予定だ。

谷が言うように、シジミや和菓子など、松江にはおいしい食材がそろっているし(私のおすすめはウナギ)、出雲大社や夕陽で有名な宍道湖など見るべきスポットも多い。そして松江駅前にはビアへるんを楽しめる店「ステーションバル エスパーク」が2年前からオープンしている。前述の地ビール館は遅くても午後6時には閉まってしまうので、夕食と一緒にビアへるんを楽しみたい人は、ここに行こう。もしかしたら、矢野たちが仕事の疲れを癒やしているかもしれない。

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