鎌倉ビールがクラフトビールの醸造を開始したのは1998年。前年に醸造免許を取得してからすぐだ。社長の今村は、当時ローカルなアルコール飲料がないことを嘆いており、それを変えるべく挑戦を試みたのだった。彼の言葉を借りれば、鎌倉では「期待される水準が高い」。そんな土地で、今村は良いブルワーを探さなければならなかった。
2年前に後藤が加わったのは運命だという。初代のブルワーが健康を害したため、全くの新人である後藤にチャンスを賭け、予想以上の結果を得たのだ。といっても、完全なギャンブルで彼女を選んだのではない。一般的に予想される選び方とも違っていたが。
「彼女は、自分がどれだけビールを造りたいか、その気持ちを手書きで絵葉書に綴り送ってきたのです。他の応募者が提出したような普通の履歴書ではありません。私はノックアウトされました。彼女は私達に会いたいのだ、と本当に強く感じたので彼女を呼びました。
初めて顔を合わせた時のことは、今では2人の笑い話だ。
「彼女は父親と母親を連れて来たんですよ!ご両親がすべて質問し、その間彼女はほとんど黙って座っているだけでした。」
後藤は言う。「両親には来なくていいと言ったんですが、このように小さな醸造所で娘が働くことを2人は心配していたんです。」
しかしそんな両親も、後藤がクラフトビールへ興味を持ったことに無関係ではない。バイオテクノロジー系の学校を卒業したばかりの若い女性には珍しいことだったかもしれないが。NHKで仕事をしていた父親の都合で、彼女が10歳の時から13歳になるまでの間、家族はセイロン島で暮らした。
「セイロン島では風味豊かなものをたくさん食べました。この頃の経験が私の味覚に影響を与えているのでしょうね。」
後に彼女は発酵技術に興味を持ち、自分が造れるものは何だろうかと考えを巡らせる。学校の研修旅行でベルギーを1週間訪れた時のことだ。研修の目的はワインとチーズの技術だったが彼女は偶然ランビックと出会う。そして、情熱に火がついた。
「帰国するとすぐに醸造所を探し始め、鎌倉ビールが近いことがわかりました。」
後藤が加わったのは、鎌倉ビールが相当に厳しい立ち上げ時期を乗り越えた後だった。どの醸造所も乗り越えねばならない困難かもしれないが、そこでダメになった所も少なくないだろう。
今村は当時を振り返る。「始めたばかりの頃は、造りたいビールを決めるために、あらゆるビールを飲んで回りました。オーストラリアのビールを見つけると、他社が揃って造っていたヨーロッパやアメリカのビールとは大きく違うものとして印象に残り、私が好きなビールはこれだ!と思いました。その後オーストラリアの会社と契約を結び、醸造所の設置と私達への指導を約束してもらいました。しかし相当な額の支払いを済ませた後でこの会社が倒産したのです!現地へ飛びましたが、設備器材はニュージーランドにあるとわかっただけでした。歳取った従業員の方が、恐らく私を哀れんで、設備を日本へ持ち帰り設置するのを助けてくれました。幸運にも設備は良いものでした。」
しかし運の悪いことに、醸造を始めてみると明らかに何かが間違っていた。ビールが発酵しないのだ。海外から来ていたブルワーは去ってしまっていて、状況は酷いように思われた。しかしそこで思いがけない救世主が現れる。キリンビールのスプリング・バレーに勤めていた人物が、醸造システムの修理を手伝い、そのままアシスタントになったのだ。
そして、発見の瞬間が訪れる。普段通りに使ったヴァイツェンイーストが、それまでとは全く違うフレーバーを醸し出した時だった。全くの偶然だった。
今村は言う。「あのイーストは正に『出会い』でした。10年前のことです。以来このイースト株を保存し、現在ではビールの80%に使用しています。」
鎌倉ビールは現在8種類のビールを造っている。葉山、江ノ島、横須賀などの地名がつき現地でしか飲めない銘柄もある。レギュラービールでさえも鎌倉の外では飲めない。生で提供される場所も限られている。また、彼らは、ビールスタイルに厳密に従うよりも、地産の素晴らしい食材と相性の良いビールを造ることに心をくだいている。
後藤は説明する。「今村さんは、どんなビールを造れとは指示しません。そうではなく、ある特定の味を挙げて、これと相性の良いビールを造ってくれと言います。私は食事の楽しみを打ち負かすようなビールは造りたくありません。」
今村によると、ブルワーが女性だと言うとよく驚かれるという。特に、男性のみの業界で働いている保守的な地元のシェフ達は面食らうようだ。
後藤は喜んでステレオタイプを打ち破りにかかる。「女は良いブルワーになれないなどと言われたくないので、25キロ入りの麦芽の袋を一人で持ち運ぶことも敢えて強調します。女性には機械がわからないとの声もありますが、機械のメンテナンスはほとんど自分でやっています。」
小柄で、優しくはにかむような彼女の、笑顔は大きい。そこには、ブルワーであることへの誇り、更には、自分が造るビールと、それが地元に受け入れられていることへの大きな誇りが感じられる。取材の後で、鎌倉ビールの瓶を片手に旨いソーセージをつまみつつ、鎌倉の古風な裏通りを今村と散歩した。あちこちに、鎌倉ビールを販売しているとの広告があった。鎌倉の人々が求める水準が高いのだとしたら、後藤の水準は充分にそれ以上だ。その証拠に、鎌倉ビールが街のあちこちにあるではないか。
http://www.kamakura-beer.co.jp
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