Kyoto Brewing Company

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京都を京都たらしめているものはなんだろうか。その問題は、研究者が生涯をかけて答えを見つけるものかもしれない。京都の伝統家業の大部分が、代々、彼らの作品の真正さを追い求めてきた。京都で基準に達するためには、たいてい、老舗から影響力のある僧侶まで、力を持つ集団または個人に承認されることが求められる。「京都に忠実」であることは「真の京都」であることとは全く意を異にする。後者は前者に対する偉大な犠牲と奉仕によって獲得される。京都に忠実であることとは、必要最低限、地元の伝統、ヒエラルキー、ビジネスのやり方へのリスペクトを意味する。

真の京都を体験する方法はたくさんある。その方法とは、地元の茶会に参加したり、特定の飲食店で食事をしたり、地域に根ざした師匠のもとで古代芸術を学んだり、あるいはたくさんある近所のお祭りに参加したりすることまで含まれる。最近オープンしたばかりの京都醸造株式会社のビールをすすることも例に挙げられるかもしれない。今までのところ、地元で受け入れられるための適切なステップを踏んでいるようで、人々が誇りに思うことのできる高品質の製品をつくっているのは確かだ。

京都には模造品が溢れ返っている。世界で最も人気のある観光地として選ばれている京都に安っぽいお土産品が広く出回ることは避けられない事態なのかもしれない。清水寺門前の商店に「忍者」とプリントされたTシャツが売られているのも見かけられる。しかし、飲食業界はより明敏であるようだ。当然のことだが、上流なレストラン、バー、小売店の経営陣は、京都に引っ越してきて、京都の名を冠したブルワリーを設立した外国人たちの動向に注視しているかもしれない。京都という名前が持つ威光のご利益にあずかろうとしているだけなのか。どのようにして彼らは受け入れられるのか。

共同創設者であり醸造責任者でもあるクリス・ヘインジはこう答える。「私たちは正直であるように努めてきました。それがまず第一歩です。私は京都に7年住み続けています。初めて京都に来たとき、ここが日本の中で住みたい最後の場所だとわかっていました。これまで5、6カ所、別のところに住んでいました。事業をするというアイデアが浮かんだとき、すぐに私たちは京都でやるのがベストであると思いました。京都は職人芸の伝統が息づく街だからです。この街にはビールづくりと似ているものがたくさんあります。私たちがやっていることにたくさんの可能性を見出してくれている多くの京都の人々に、私たちは助けられてきています。彼らは、京都出身でない人が喜んで京都にやって来て、うまくいけば、ゆくゆくは京都を代表する新しいビジネスを始めるのが好きな人たちです。そういうわけで、京都という名前を選んだのです。京都という言葉が意味するすべてを象徴するようなビールがつくりたい。簡単なことではありませんが、私たちならやれると思います」

京都醸造の「私たち」とは、共同創設者のポール・スピードとベン・ファルクを含む。彼らは皆、青森で「JETプログラム(正式名称: 語学指導等を行う外国青年招致事業)」の講師を十年以上にわたって務めていたころの同僚で、それ以来の友人だった。多くのクラフトブルワリーと同じく、事業の設立に導いたものは、以前からの友情に加えて、自家醸造への情熱だった。

ヘインジは言う。「大学時代に自家醸造を始めてからというもの、私はそれがいかに複雑で面白いかということに気づきました。回数を重ねれば重ねるほど、私の趣味は私の人生を乗っ取り始めたのです。あるときには、私のアパートの部屋の三分の二が自家醸造の設備で占められていたこともありました。毎週スノーボードに出かけていましたが、1ヶ月に四つある週末のうちの三つは、醸造していることに気づきました。私のビールづくりの情熱が確実なものとなっていったのです。ビールづくりがほとんどすべてのことに優先していたため、これを自分の仕事とする必要があると気づきました」

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同じころ、スピードはマギル大学ジャパンで「アントレプレニュアルエンタープライズ(スタートアップ経営学)」というMBAコースを取得していた。「そのコースは基本的に会社を始めるにはどうしたらよいかに関するものでした。そのコースで学んでいたとき、クリスがある週末に私の家に来て、新しくブルワリーを開設したいのだと話しました。私といえば新しいビジネスを始めたかったので、そういう風に京都醸造は始まったのです」

スピードはその数年前にヘインジの自家醸造ビールをいくつか味見していて、そのクオリティーに驚愕したという。新進のビジネスに関する識見を持つスピードは、ビールづくりに関して明らかな才能を持つヘインジにぴったりの人材だった。

マギルで過ごした日々について、スピードはこう言及する。「MBAプログラムを卒業するには、論文を書くかビジネスプランを企画するかしなければいけませんでした。私はビジネスプランの企画をしようと決めました。お互いにメリットがある状況だったからです。結果的に投資家に渡ったのは60ページのものとなりましたが、90ページの書類を準備しました。下調べや費用の算出をすべて終えると、そのビジネスプランが非常に良いものだった、そう思います。何億円もの資金を集めることができたのです」

ファルクとともに、彼らは資金集めのため、友人、家族、前職での同僚にアプローチした。天文学的数字の利益を期待している人も何人かいたため、その期待を落ち着かせねばならなかった。また、全員に忍耐と長期間のコミットメントを求めた。

この資金集めの活動に先んじて、ヘインジは彼の醸造技術を専門的な訓練で磨き始めた。2年にわたって、彼はアメリカ醸造者協会で通信教育を受け、米国サンディエゴのロストアビィブルワリーで修行した。その後、長野県の志賀高原ビールで7ヶ月間働いた。ヘインジによれば、それら二つの経験が、在庫管理からボトリングまで、ビールづくりの全過程について教えてくれたという。彼は京都醸造株式会社を立ち上げる直前にうしとらブルワリーで3ヶ月過ごし、デュー・デュ・シエル(カナダ・モントリオール)の前ブルワーであるルーク・ラフォンティンの助力を受けて、ブルワリーを軌道に乗せた。さらに、ヘインジは箕面ビールの大下香緒里についても言及した。彼女は、非常に寛大なことに、彼に彼女の時間とアドバイスをくれ続けたという。さらに、京都醸造の最初の数バッチで、ラフォンティンがコンサルタントの役割を果たしたという。ヘインジは、志賀高原のマントラである「自分たちが飲みたいビールをつくる」(多くのクラフトブルワリーの間ではお約束となっている)という言葉も少々拝借している。自分たちが飲みたいビールをつくる——。彼がこう言うとき、「自分たちが飲みたいビール」とは、概してベルジャンアメリカンスタイルを意味する。

詳しい説明を求めると、ヘインジはこう説明した。「ベルギーと米国の両方の伝統を取り上げ、両者の最良な部分を組み合わせる、という考え方が好きなのです。特に日本では、多くのブルワリーが、出来上がりのビールの味わい全体のなかで、酵母の味わいをできるだけ少なくなるようにしていると思います。ベルギーのビールでは、それこそがほとんどの肝心なポイントです。つまり、酵母の味わいこそがビール全体の味わいを引き立てます。酵母がビールにもたらす味わいの量を考えると、酵母の味わいを生かさないことはもったいなことかもしれません。ベルジャン酵母の味わいと、インパクトがあって、非常に香り豊かで柑橘類らしさもある米国ホップの味わいを組み合わせると、うまくいくだろうと思ったのです。私たちが尊重している両国の醸造の製法の伝統を採用し、それらを興味深い方法でつなぎ合わせているのです」

通常、自分たちが飲みたいビールをつくりながら、同時に莫大な成功を収めているクラフトブルワリーでさえ、市場のトレンドに従い、利益を増やすために、様々なスタイルのビールをつくる。KBCのラインナップにあまり売れ行きがよくないものがあるならば、もしくは日本市場のなにかしらの人気が高くなっているならば、KBCが自身のアプローチ手法を変えるということを考慮することはあるのだろうか。

「答えはもちろんイエスです」とヘインジは言う。「事業を始めたときから、どんなものが売れ行きが良くて、どんなものが良くなかったのか、たくさんのバーに聞いて周りました。単なる一例ですが、ウィートビールが人気高いと言う人もいました。私の個人的な意見では、伝統的なジャーマンヘーフェヴァイツェンはまあいいですが、世界のビールの中で私のお気に入りのスタイルというわけではありません。『ウィートビールの人気が高い』というアドバイスを受け、なにか面白い手法を用いて、どのようにしてウィートビールを私たちが興味を持つことのできるビールに近づけられるかについて考えました。それは多少のホップを加えたり、サワーっぽくしたりすることを意味しました。そういったアイデアで遊ぶことができるなら、顧客の要求に近づくことはできます。しかし、自分たちが飲みたいものに忠実であり続けなければいけません」

ヘインジがつくった最初のビールには、ホッピーペールエールというベルジャンブロンドとアメリカンブロンドのハイブリッドが含まれる。ラフォンティンとのコラボレーションビールは「秘密」(実際ビールの名前にもなった)だったが、ある種のゴーゼハイブリッドの味がした。これらのすぐにすべて売れてしまった最初のビールに続き、ヘインジは彼らの定番ビールに近いものになるであろう二つのビールをつくりはじめた。セゾンとベルジャンIPAで、そのどちらもがロストアビィと志賀高原をトリビュートしたものだ。

日本の醸造伝統から採用するものがあるかどうかについて尋ねると、ヘインジはこう答えた。「日本は自身のクラフトビールアイデンティティーについていまだ模索中であると私は考えます。アメリカは自身のそれについて、インパクトが強く、フレーバー豊かで高IBU値のものであるとわかりました。しかし、食においての日本人の嗜好を考えれば、すべての調和が取れていて、どの点においても極端すぎない、より繊細なビールをつくるというアプローチをほとんどのブルワーがとると思います」。事実、ヘインジのビールはどれもバランスが取れているように思われる。彼自身は、強力なベルジャンの特徴を持つ、ホップが前面に出ているビールが好みであるにもかかわらず、彼がつくるビールは、あたかも和食ととてもよく合うようだ。

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京都醸造の設備は、シンプルなマッシュロータータンとケトルワールプールを備えた15バレルのブルーハウス(17.5キロリットル)を含む。創業当時、彼らは最初の年のビール製造量は50〜60キロリットルになるだろうと予測していたが、4つの発酵タンクすべてが使われると、製造予想量は100キロリットルにまで上昇した。事業立ち上げがうなぎ上りの成功を収め続けるにつれ、当初のプランはやがてすっかりどこかへ行ってしまった。

スピードはうれしい悲鳴を上げる。「私たちはだいたい2年のうちにタンクを2倍に増設しようと考えていましたが、2ヶ月でそうしなければならなくなりました」

要求に見合うためにタンクを増設し続ける場合においても、彼らの現在の施設では、およそ400キロリットルの総製造能力しかない。逼迫した製造力は、おそらく、良い問題ではあるだろうが、京都醸造の成功的な立ち上げは、いくつかの深刻な課題を伴っていた。

米西海岸港湾のストライキ(現在では解消されている)のために、醸造設備の到着が少なくとも数ヶ月遅れた。その間の賃料も払い続けざるを得なかった。

スピードはこう振り返る。「さらなる資金を見つけるほか、私たちにできることはなにもありませんでした。ブルワリーを開設しようと考えている場合、ぜひとも必要だと思うよりはるかに多くのお金を集め、不測の事態に備えるべきです。予算は倍に増やしましょう!」

身近に経験者を擁することも賢明だろう。機械を動かしたまさに初日、すべてのことがまずい方向に行き始めた。

ヘインジはこう説明する。「煮沸の間、煮沸釜が4回止まりました。ありがたいことに、プレミア社の技術者とルークがそばにいたため、彼らが調整に手を貸してくれました。また、醸造途中で、私たちのエアレーション用の酸素供給ラインを蒸気消毒することができなかったことがわかったので、その次善策を見つけなければなりませんでした。8時間もの間、問題が起きないように、基本的にはずっとあれこれと動き続けなければいけなかったのです!」

現状はうまく進んでおり、彼らは、自身の設備、ブルワリーのデザイン(ラフ・インターナショナルの堀輝也監修による)、そして彼らがつくるビールのクオリティーに非常に満足しているようだ。

これから先にあるものは未来と多くの可能性である。彼らが、これまで以上に京都というコミュニティーに彼らが根ざしていくことは間違いない。

ヘインジが言うように、「私たちは京都の職人コミュニティーにたくさんのコンタクトをとっています。私たちがやっていることとの類似点を多くみつけ、彼らから多くのことを学んでいます。私たちとは異なるプロダクトを彼らがつくっているとしても、似たような困難に多く直面しているのです」

そういった芸術家——陶芸家、染織家——は、彼らがつくっているものがすぐに売れないとしても、彼らの作品を信じている。ヘインジ、スピード、そしてファルクは、つくったものがすぐに売れないという問題はまったく抱えていない。おそらく、彼らが京都内でのリスペクトを得られるものについて、そういった芸術家とより深い対話を交わす時期がきているのだろう。京都醸造の三人は、自身がすでにその途中にいることを知るだろう。

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