取材・執筆: Kumagai Jinya
1997年9月にビール免許を取得して以来、「周山街道」というブランドのビールを展開してきた羽田酒造。ビールの銘柄は創業以来、アンバーエール、ヴァイツェン、ケルシュの三つ。一般には、もともと1893年に創業した清酒メーカーとしての方が知られているかもしれない。同社は7月10日に民事再生法の適用を申請、同日に監督命令を受けた。地ビール/クラフトビールファンにとっては、信用調査会社や新聞などによる素っ気ない情報だけでなく、「周山街道」というブランドが存続するのかどうかが気になるところである。同社の水谷憲郎・社外取締役に現在の状況を聞いた。
――今回の民事再生法適用の申請をした理由は何でしょうか。
ビール事業を始める際、3億円の投資をして設備をそろえました。この、いま考えるとかなり大きな規模の金額が経営を圧迫し続けてきて、これ以上耐えられないと判断しました。この設備をフルに稼働させたら、日本の小規模ブルワリーの製造量において上位10社に入ることになるでしょう。この投資に見合う販売計画に対して、実際の売り上げは到底届きませんでした。
さらに、設備を維持するための費用もかなりかさんでしまっていました。そして老朽化が進み、補修では間に合わず、入れ替えが必要な設備も出てきたのです。それを実施するには数千万円以上が必要になる見込みです。
――多くのブルワリーの製造量が増え、周山街道のビールの売り上げも増えているなか、もう少し耐えるという選択は取れなかったのでしょうか。
確かに近年、ビールの売り上げは増えていますが、設備投資の3億円を支えるほどではありません。近年の年間製造量は順調に推移していましたが、ビン製品が主体ではコストがかかり、収益構造は大きく変わりませんでした。それゆえ、金利は払えているが元本は減っていない状況です。
だから、既に報じられているように、負債額の3億円は、そのまま最初の設備投資分ということです。ビール事業の赤字は、好調な清酒からの利益で補填し続けてきました。このよろしくない構造を見直すために、今回の申請に踏み切ったのです。
――近年のビールの売り上げ増の要因は何でしょうか。
樽詰めの販売が拡大したことが大きい。6年前から、関東エリアを主体に樽詰めの拡販を進めてきました。例えば、東京・神田「地ビールハウス蔵くら」や町田の「十月祭」といった比較的古くからあるビアパブでは、取り扱っていただいてきました。その後、象徴的だったのは、都内で今や7店舗を営業しているクラフトビアマーケットとの取り引きです。1号店である虎ノ門店がオープンする際に「周山街道のビールを扱いたい」と連絡をいただいたのです。現在は全店で月1回程度のゲストビール扱いにしてもらっています。
取扱店を増やすためには、デパートの試飲会を活用してきました。出展を決めると、そのデパートに近いビアパブに「試飲会でそちらのお店を宣伝するので」と営業をかけていったのです。そして試飲会にいらしたお客さんには、樽詰めを扱っている近くのビアパブを宣伝してきました。こうしてお互いに幸せな形で取り扱い店を増やしたのです。
また品質の良さを評価され、例えば京都市内の料亭からのオファーでOEM(委託醸造)もしてきました。
――今後、周山街道のビールはどうなるのでしょうか。
今夏の製造の最盛期が終わったら、製造をいったん休止します。ただし醸造免許を返還する予定は今のところありません。休止後にどうするかは、現在は検討中です。8月の京都府宇治市の「クラフトビール夜市」というイベントには、予定通り出店します。今回の決定の前から決めていたことですから。しかし、毎年ビールを送る形で出展していた9月のビアフェス横浜には、在庫が残っていなければビールを送れないかもしれません。
――再建計画はどのようになっているのでしょうか。
まずは清酒を残す形で経営を立て直します。そのために、主たる支援者になっていただくのが、株式会社京都酒販という京都府内で最大の酒類卸売会社。ここはもともと、羽田酒造から独立して生まれた会社です。
――民事再生法適用の報道の後、どんな反応がありましたか。
取引先や消費者から「がんばってください」「製造を止めないで」といったお声をたくさんいただいています。そうした激励をいただくのは大変ありがたいことです。しかし決断としては悲しいものであるので、複雑な気持ちです。