2015年5月22日、東京にあるスウェーデン王国大使館にて、スウェーデンビールに関するイベントが行われ、同国のビールが、このいくぶん盛り上がってきた日本のクラフトビール市場にまとまって参入することが発表された。イベントはマグナス・ローバック大使による来場者への深い感謝から始まった。また、参加ブルワリーによるプレゼンテーションの後、引き続き行われたテイスティング会で、大使は乾杯の音頭を取った。
基調講演は、『℅ HOPS』という、同国最大のクラフトビールの定期刊行物のペレ・ストリード編集長が担当し、スウェーデンのビールの歴史と同国の現在のクラフトビールの状況について説明した。ストリード氏によると、スウェーデンは1800年代の中ごろにブームを迎えたことがあるほど、ビールづくりおいて長い歴史を持っているという。1890年には国内で500以上のブルワリー数を誇ったが、米国と同じく、悲しいことに、禁酒法の施行という愚行により、それらのほとんどが20世紀初頭には消えてしまった。
それから100年以上が経った1988年、国内にはたった九つのブルワリーしか残っておらず、クラフトビールと呼ばれるものも誰もつくっていなかった。しかし、世界中の数多くの国に起きてきたのと同様、スウェーデンでも法改正があり、結果的にクラフトビールブームが引き起こされた。2000年から2012年にかけては、ブルワリーの数が4倍にもなった。2013年から2015年というさらに短い期間では、ブルワリー数は70から170へと大幅に伸びた。人口が1000万人に満たない同国にとって、これはかなりの存在感を示す数値である。
デゥッゲス、サンクト・エリクス・ブリュゲッリ、ビアー・ストゥディオ、シグトゥーナ・ブリュッゲフース、フライングブルワリー、ムーラブリュワリー、ソールシーダンス・ブリュッゲリ、そしてウィスク・イーによってすでに日本に輸入されているキャップブルワリーといったブルワリーがイベントに参加した。もちろんテイスティング会にも参加。イベントはスウェーデン式の温かいもてなしの雰囲気に包まれ、スウェーデン王国大使館の職員も参加者に交じって楽しんだ。彼らは、ビールや母国について、イベント終了予定時間を過ぎるまで参加者と話していた。
当日、提供されたスウェーデンのビールは確かな品質を持っていた。しかしその一方で、米国やベルギーなどすでに確固たる地位と価格面での優位性を持っている外国産ビールはもちろんのこと、日本のクラフトビールとも、日本の市場において競争できるかどうか疑問に思った人もいるだろう。スウェーデンでつくられたアメリカンペールエールやヴィット(白)ビールでもって、この競争に参入するのは、確かに急な上り坂を上っていくような苦しい戦いとなるだろう。スウェーデンよ、あなたの美しい国がつくるユニークなビールで私たちを驚かせてほしい。そうすれば、その坂の勾配が少し緩められるかもしれない。我々はスウェーデンのクラフトビールが日本で成功することを期待しているし、もちろん応援もする。スコール(スウェーデン語で乾杯)!