Strange Brewing

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1985年にオープンして今年で30周年を迎える両国のポパイは、今や日本国内だけでなく、観光ガイドブックなどを通じて世界にその名を知られているビアパブである。東京を代表する観光スポットの一つでもある。そのポパイがついに、2014年からビール醸造を始めた。醸造所はポパイのマスターである青木辰男の故郷である、新潟県南魚沼市に設立された。

醸造長に就任したのは藤木龍夫だ。青木と同じタツオという名前だから採用されたというわけではない。1994年の地ビール解禁当初からのファンには藤木の名前を知る人が多いかもしれない。藤木は1990年から1995年まで清酒メーカーで日本酒をつくっていたが、1996年に奈良県のヤマトブルワリー(現在は製造中止)に入ってビールづくりに携わるようになった。ヤマトブルワリーは倭王というブランドのビールを製造していて、その質の高さは今でも懐かしむ人がいるほどである。ポパイでもかつて倭王のビールを扱っていて、その縁で青木と藤木の交流が始まった。

藤木はヤマトブルワリーの後は、2001年から三重県の火の谷ビールで2年間ビールづくりをしていた。このときに一緒に働いていたのが、現在プレストンエール(栃木県上三川町)で醸造長を務めている菊地明である(本誌2014年冬号参照)。その後は2012年まで京都の伏見で再び日本酒づくりをしていた。この間、週末に通って品質向上を指導したのが、宮崎県延岡市のひでじビールである(本誌2014年秋号参照)。

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一方、青木は、2009年から故郷である南魚沼でホップづくりを始めた。青木は「試しに始めた」と謙遜するが、青木なりのビール探究の一環だろう。そこで収穫されたホップがツルに付いたままポパイの店内に飾られているのを知っている読者もいるだろう。そして2013年に南魚沼に別荘を建てた。青木の別荘はこの地域特有の家のつくりをしている。豪雪地帯ゆえ、1階はガレージと玄関を設け、2階に主な生活空間を設けている。

青木は完成したガレージを見て、「ここに醸造設備を入れてビールをつくれるのではないか」と思った。そして懇意にしている甲府市のアウトサイダーブルーイングの醸造長である丹羽智に相談すると、意外と安く設備を入手する方法が見えてきた。そして醸造免許は、最短4カ月かかるところを5カ月で取得。まず順調に進んだと言えるだろう。

製造について青木は当初、一人でこなそうと考えていた。しかし週の半分は店に立つ必要があるために断念し、信頼できる誰かを雇うことにした。そのときに真っ先に思い出したのが藤木だった。藤木が素晴らしいビールをつくっていたのはヤマトブルワリーでだけでなく、その後に在籍した火の谷ビールでもそうだった。青木は言う。「火の谷ビールは藤木が在籍していた時期に日本で初めてリアルエールをつくったのですが、その美味しさに舌を巻きました」。ちなみに、このリアルエールに触発されて生まれたのが、ヤッホーブルーイングのよなよなリアルエールだという。

だから青木には「藤木にビールの世界に戻って来てほしい」という思いがあった。そして青木が藤木を誘うと、仕事を始めてから一度も離れたことがない関西の都市部から、日本有数の豪雪地帯であり、日本を代表する米の品種・コシヒカリの産地である農村部に移住した。「唯一の難点は、大好きな映画館鑑賞を映画館でするのが大変なこと」と言う藤木の顔は光るように笑っていた。そして藤木は免許取得に向けて、自分で持っていた酵母の培養設備を提供している。

そうして醸造担当となった藤木は、好きなバンドであるクリームの曲名『ストレンジブルー』にちなんで「ストレンジブルーイング」というブルワリー名を提案し、採用された。青木は、藤木がここで初めてつくったビールを口にした瞬間「ああ、ここまでのレベルのビールをよくつくってくれた」と喜んだ。これがデビュー作にして名作と言ってもよい美味しさを持つ、ゴールデンスランバー(スタイルとしてはペールエール。今度はビートルズの曲名)である。2014年6月からポパイで提供が始まった。

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青木が驚いたのは、完成したビールだけではない。「酵母の本当の香りを初めて知った」こともそうだと言う。発酵中の酵母をかいでみたところ、ビールに詳しいとされる人間が言う、いわゆる「酵母臭」という生臭さが全くせず、まろやかさを思わせる健康的な香りがしたのだ。筆者もこの発酵中の酵母を食べてみたところ、臭みは全くなく、砂糖が入っていないきな粉のような味がした。いかにもタンパク質が豊富そうで、栄養を補給しているという感じすら持つ。「通常はオフフレーバー(ビールにとって好ましくない味・におい)として忌避されるダイアセチルが香る出来上がりもありましたが、それがまたバタースコッチのようなうっとりする素晴らしい香りでした」。この「酵母の本当の香り」も「好ましいダイアセチルの香り」も、仕込みごとに新鮮な酵母を使っているからだという。
「この酵母の使い方の原点は、日本酒づくりの経験にある」と藤木は言う。藤木は1980年代の吟醸酒ブームのなか、その香りに魅了された。そしてその数年後に未経験ながら清酒メーカーに就職して日本酒づくりに加わることができた。だから酒の味・香りの評価のし方は日本酒で教わり、今でもそれがベースになっているという。

「『前回の出来は良くなかったが、今回はおいしくできた』というような、つくるごとに出来が変わってしまうようではお客に対して無責任でしょう。日本酒づくりでは酵母の使い回しをすることはなく、毎回新しい酵母を用います」

つまり藤木にとっては、仕込みごとに新鮮な酵母を使うのが当たり前なのだ。そしてこれを実現するのが酵母の純粋培養だ。これにより、つくりたい味わいの再現性が高くなる。出来上がりの質を安定させるポイントの一つだ。もう一つのポイントが、醸造設備内を無菌状態に保つこと。酵母の使い回しをしてしまうと、その過程で汚染する可能性があり、汚染されると酵母の死滅率が上がってしまう。
青木は振り返って言う。「地ビール解禁後すぐは、例えばエチゴビールが『醸造研究所』と称して、ブルワリー開業を技術面から支援していました。ここで酵母の純粋培養の重要性や方法を指導していたと聞いています。しかし現在ではこうした指導をしているところがないかもしれません。新鮮な酵母を手に入れたとしても、それを発酵に使えるように培養するための技術が必要です」

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藤木にとって、ホップは「お化粧みたいなもの」だそうだ。「ブルワーの根本的な仕事は醸造物をつくること、つまり発酵の面倒を見ることでしょう。人間に例えれば、内面から美しさを引き出すというところでしょうか。ホップはその美しさを整えるための補助的なものととらえています」

筆者が味わえたのは前述のゴールデンスランバーのほか、ピッグヘッドIPA、ホンキートンクインペリアルスタウト、ラブポーション#9(スタイルとしてはバーレイワイン)であり、どの銘柄にも共通するのは抜群のクリアさだ(そしてやはりロックに関する命名が多い)。極端な言い方をすれば、みずみずしいクリアさが先立ち、そこに麦芽の香ばしさやフルーティーな香り、そしてホップの苦味と香りが付けられている印象だ。特にラブポーション#9はアルコール度数10%でありながらどんどん杯が進むという、自分の飲んでいるペースが信じられなくなる、不思議で素晴らしいビールである。

ポパイの探究心は昔から強い。それは、より良いビールの提供を考え抜いた結果に生まれたビール提供システムで、青木が特許を取っていることからも分かる。このビール提供システムは多くの人がご存じのようにパーフェクトビアサーバーと呼ばれ、全国で約30のビアパブに導入されている。至福の一杯を提供するためのポパイの姿勢に対して筆者が抱くのは、「そこまでやるか、そこまでやってくれるか」という思いであり、それがビールづくりにも表れている。30周年を迎えてもなお進化し続けているのだ。

Kumagai Jinya

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